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時を刻む紅  作者: 榊原
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10-6.父娘の夢

 階段をのぼりながら、ティーナはここまで導いてくれた混血たちに心の中で謝罪した。

 どれだけ言葉を尽くしても父はそれを聞き入れてはくれなかった。間違っていると叫んでも聞こえないふりをし、力で押さえつけることなく優しい声でティーナをなだめた。

 そしてティーナのほうが説得されてしまった。王とは男がなるもので、女が名を連ねた時点でその王族は偽りなのだと。たいへんな偽りは正さねばならないと。女王のあった時代は存在するが、それは子供があまりにも小さかった場合だけだ。ただの中継ぎで、堂々と玉座にあったわけではない。

「お父様、いったい神獣になにをお願いするんですの?」

「見ていればわかる」

 のぼりきった最上階、そこには壁と一つの扉しかなかった。窓すらない密閉された空間、天井や壁には見たこともない文字がびっしりと書きこまれている反面、扉にはなんの飾りもない。

 父が難なく扉を開ける。窓一つなくてはさすがに暗く、少しでも下階からの光を取り入れようと扉を開けたままにして歩を進めた。

 その薄暗い部屋には長方形の箱がいくつも横たえられていた。両の指ではとても足りないそれがきれいに並べられているのは壮観だ。宝石を使わない装飾もすばらしいもので、一度光の下で見てみたい。

 ティーナがそれに手を伸ばすと父の声が飛んでくる。

「触るな。王の棺だ、ぶしつけに触ると手がなくなるぞ」

 王の棺。改めて部屋を見回したティーナは身震いした。見張られているような気がしてくる。

 棺に触れないようにしながら二人は先へ進んだ。広い部屋の奥、壁には神獣を描いた浮き彫りがある。その周囲に十二個の穴があり、父はそこに迷いなく十二の秘宝を埋めこんだ。

「ここにすべての秘宝がある。さあ、我が声を聞け」

 父の声があり、十二の秘宝がある。次の瞬間、浮き彫りの獣が実体を持つかのように躍り出た。

 暗がりにいてもそこにだけ日が差しこんでいるかのように神獣は輝いている。長い毛足は日にかざした宝石のように複雑な光を放ち、ときどきのぞく血塗れたことのない牙は惚れ惚れするほど白い。

 美しい獣は父の胸元に鼻先を寄せる。光源はどこにもないにもかかわらず白金の角が鋭く光を反射した。

「神獣よ、ついに私に頭を下げる気になったか」

 他の誰が認めなくても神獣さえ認めてくれれば周りの反対など意味をなさない。いや、誰が反対などしよう。デルダスが系譜からはずされていることを知る者はほとんどいないのだから。

 胸元をまさぐっていた獣はしかしなにもせずに離れていった。間違えたとでも言うかのように頭を振り、次にティーナの元へ寄ってくる。

 すべてを見透かすような紫の瞳にティーナは恐怖を覚えた。初めてこの目を見たとき、それは子供の姿をしていた。リューズエニアで愚かなまねをしたティーナを、そのときもこのような情のない目がじっと見つめていた。

 神はただティーナを見つめるだけで次の行動には移ろうとしなかった。その視線は特になにか問いかけるでも言い聞かせるでもない。まるで紫色の鏡だ。

「お父様、怖い」

「案ずるな。神獣が我々王族に害をなすことはない」

 彼が神獣だということは最初からわかっていた。紫色の瞳には気をつけるよう父によく言われていたからだ。あのころは王族だけが神獣のことを知ることが許されるのだと誇りで胸がいっぱいだったが、今になってみれば父の考えがわかる。玉座を奪った者のことを神獣はよく思わないだろう。

 初めてあの子供を見たときからティーナは神獣がなにかに縛られているのに気づいていた。そのときは一緒にいた混血の少女が彼を縛っているのだと思ったが、解放する術を知らないティーナにはなにもできなかった。

 真実を知ったのはそれからずっと後、ファイアーランドでのことだ。父のしていることが褒められた行為ではないことをトーリュウによって知らされると、ティーナはその呪縛を解く方法を知っていた。答えの出ない難問を諦めて忘れかけたとき、ふと解法が浮かぶような感覚だった。

 あのまま縛られた存在でいたなら神獣がここに来ることはなく、父がなにか望むこともなかっただろうに。

「神獣はなにがしたいのかしら?」

「おまえが王女たるにふわさしい者かどうか見極めているのだろう。不安がらずともよい。神獣に認められれば問題はすべて解決するのだから」

「でも、お父様……」

 石像のようだった尊い獣はやっと動きだし、今度はティーナの胸元に鼻先を近づける。

 胸奥の鼓動を奪われてしまうような気がしてティーナは身を引いた。嫌がっていることに気づかないわけがないだろうに獣はかまわずティーナの持つ大切なものを探り続けた。ティーナには後ずさりすることしかできない。

「嫌、嫌よ……お父様、助けて」

 背中が壁についた感触から逃げ場を失ったことを悟った。

 ただにおいをかいでいるだけ、そう思ってやりすごそうとしてもうまくいかない。父を説得しにここまで来る前、彼女たちと話していたとき、この神獣はすぐ近くにいた。そのときは恐怖などなく、むしろ不安ながらも先行きの明るさを感じていたというのに、この違いはなんだろう。

 神獣が白い牙を見せた。食われてしまう。

 けれどもその牙が肌を引き裂くことはなかった。食んでいるのは単なる空気だ。胸元近くの空気であって肉ではない。血は流れない。

「ティーナ、どうだ。なにか変わったことは」

「なにも変わったようには……」

 いまだ胸に獣の鼻先がある。自分の顔より遥かに大きな獣の頭があるのは怖いが、それが離れてしまうともっと怖いような気がした。

 得体の知れない恐怖がティーナの心を占めると、それを避けるように獣が身を引こうとする。

「だめ、離れないで」

「ティーナ? どうした、具合でも」

 横から寄り添ってくれる父の腕はとてもあたたかい。ふと安心したその隙に神獣は一歩、二歩と後退していた。

 毛先までが完全に離れると、ティーナは身体の内側から冷たさを感じた。アイスランドの海に投げ込まれたような、氷漬けにされたような冷たさだ。瞬きをすることもできない。射殺すような眼光を神獣に浴びせる父の顔が見えるのだからそばにいることには確信があるが、隣にあるはずのぬくもりが感じられない。

 嫌だ。寒い。それだけを思ってティーナの意識は閉ざされた。



 カロンが青空に白い軌跡を描いた。その背にはルリとトーリュウの二人が騎乗しているが、コクフウの姿はない。事切れたコクフウをそのままに二人は上へ急いでいた。

 トーリュウに急かされ、ルリはコクフウを埋葬してやることもできなかった。トーリュウの従えていたグリフォンもそれは同じだが、その場合は身体が大きすぎてそうすることができなかっただけだ。土がやわらかく掘る道具があれば間違いなく埋葬した。対してコクフウには花を手向けることもできなかった。

「……そう気を落とすな」

「あれでよかったって言うの?」

「自分の手が汚れたわけじゃないんだ。それにあのまま任せていたらきっと間にあわなくなるだろう」

 彼らしいといえば彼らしい。王城へ向かう途中、首のない獣の隣で呆然としていたトーリュウはことのほか早くに自分を取り戻していたことを思い出した。

「案外、あいつもこうなることを望んでたんじゃないのか?」

 ルリは否定も肯定もできなかった。否定すべきなのだろうがそうであってほしいという思いが心の底にある。コクフウがそれを望んでいたのなら、彼の苦痛はルリの考えるよりずっと小さくてすむのだ。

 カロンは窓を割って城へ入りこんだ。褒められた行為ではないが階段をのぼっていくより遥かに早い。偽王がなにをしているかを考えると早ければ早いだけよかった。

 飛び込んだ場所はただの廊下だが飛ぶには狭い。二人がその背から下りるとカロンは翼をたたんだ。

 ここからどうやって上に行けばいいのだろうと思うとカロンがルリの袖をくわえて引っ張った。影のかかった廊下の先には階段がある。

「あそこしかないな」

 トーリュウとルリは目配せして走った。ルリが神獣の行為を許さなければ、ルリにコクフウをつなぎとめておくだけの魅力があれば、彼もここを一緒に走っていただろうに。階段をのぼるのに息を切らしても心に余裕があっただろうに。

 もうすぐ終わる。初めて自分の足で祖国を出て、たくさんのものを見てきた旅が終わる。それから後のことをルリは考えたこともなかった。この場はなるようになるとして、生きて帰ることができたらなにをすればいいのだろう。

 階段をのぼりきった最上階には不気味な文字を連ねた壁とただの板のような扉があった。

 扉は無用心にも開け放たれている。中にはデルダスとティーナがいるはずだ。神獣が姿を消したということはデルダスに呼ばれたということに他ならない。彼女の説得は失敗し、なにもかもを成し遂げたデルダスの罠かもしれない。

 壁に背中をつけて中の様子をうかがってみるが窓もなく明かりもないためよく見えない。妙に静かなのはわかった。足音も話し声も呼吸の音も聞こえないのはおかしい。

 二人は暗がりの中で再び目配せをし、ルリは手のひらに炎を浮かべて部屋に入った。最後に炎術を使ったのは夜目の利かないコクフウのためにアイスランドの夜道を照らしたときだったろうか。いや、本当の最後はゴーストランドで獣の注意をそらそうとしたときだったかもしれない。どちらにしろあのころは楽しかった。

 城の最上階全域がこの一部屋なのだからあたりまえだが中はずいぶんと広い。いくつもの箱に気をつけながら二人は奥へ進む。よくよく見てみるとそれはたいそうな装飾を施された棺だ。部屋いっぱいに並べられたそれを見て、誰のためのものだろうと思った。

 ふと振り返るとカロンはこの部屋に入ってこようとせず、廊下で足踏みしていた。

「カロン? ……いいわ、そこで待ってて」

 そわそわしていたカロンはルリの言葉で腰を落ち着けた。フォレストランドでも森から出る際にこのようなことがあった。カロンの感覚は鋭敏だ。ここはなにか異質なのだろう。たしかに棺だらけの部屋には入りたくない。

「おい、あれ……」

 真横の壁際のほうを指差すトーリュウは言葉を切った。それが示す先を追ったルリは息を飲んだ。

 棺の陰で白髪と金髪が絡まりあいながら床に広がっている。それがなにを示しているのか、なにがあるのかを想像するのはたやすく、これ以上見たくない光景であることは明らかだった。

 ルリの手のひらの炎が大きく揺らぐと影も同時にうねった。トーリュウが金と白の二色に近づき、つい先ほどのように膝をついてそれに触れる。

「死んでる。もう冷たくなってる」

「……うそでしょう?」

 そう言わずにはいられなかった。彼らを害する者がいるとすればそれはルリたちだけのはずなのに、いったいどうして。

 二つの身体はなにかに壁際まで追い詰められていたことがわかる形で息絶えていた。父が娘を守るようにかき抱き、壁にそってずるずると崩れ落ち、そしてついに倒れたのだ。

 息の有無を確認したトーリュウはすっとそこを離れ、扉と対面にある壁のほうへ足を向けた。

「もう少し明かりをくれ」

 虚偽の父娘の顔を見納めてルリはトーリュウに従った。一方は恐怖、もう一方は志半ばで息絶える無念さが前面に押し出されていた。だがどちらにもそれによって得られた平穏が隠れていた。

 トーリュウのそばに行って炎を掲げると壁には一頭の獣が彫られていることがわかった。立派な角と二本の尾が生えている。特徴はそれだけで十分だ。

「神獣だな」

 この獣の浮き彫りが実体を持ったものを見たのは今しがたのことだ。周囲には十二のくぼみがあり、すでに秘宝が埋めこまれている。

「ちょっと待って。秘宝があって、神獣がここに呼ばれた。でも二人はもう……」

「ああ。神獣がさっきと同じように命を奪ったんだろう。王族には手を出さないはずだが」

 こう言いたくはないが、実の娘でないティーナだけならまだしも王家の血を持つデルダスにも息がないのは筋が通らない。これまで介入してこなかった神獣がこのときだけ意思を曲げるということがあるのだろうか。

 やはり神獣とは身勝手な生き物だ。形式的に神獣と呼ぶことに嫌気すら差す。あれはけだものだ。野にある獣よりも図々しく、必要以上の命を狩るけだものだ。

「けだものと呼びたければ、そう呼べばいい」

 背後からの感情のない声にルリは振り返った。けだものが発する光はゴーストランドへ引きずり込む死の光にしか見えなかった。

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