9-1.故国の土
船旅は思いのほか快適だった。
フォレストランドからファイアーランドに向かうときのような貨物船ではないのだから当然ではある。ウィンドランド軍の所有する船だけあって領主の一人娘と認識されているルリは丁重に扱われ、そのルリが友人も一緒だと言えばコクフウやトーリュウたちも同じように扱われた。が、個室を持つことができたのはルリだけだった。
リューズエニアが見えるようになるまで二十日必要だった。ファイアーランドへ行くときには十五日しかかからなかったが、今回はそのときより距離があり、途中で嵐に遭ったことを考えれば十分早い。商船と比べることが間違いだ。
乗っている船が船だけに、街に近い港に入ることはできない。敵船と見られて攻撃されることを恐れ、リューズエニア南端の小島に船を寄せることになってしまった。トーリュウたちにはグリフォンがいるのだから、リューズエニア寄りに北上し、寄港せずとももっと街に近いところから飛んでもらえば、という提案は通らなかった。航路をはずれるのはいいことではないらしい。
彼らが下船するのはそろそろだ。ルリたち全員が甲板に集まり見送りの準備をする。ウィンドランドの船員は目の届かないところに身を潜めてくれた。
「ごめんなさい、ここまでしか乗せてあげられなくて」
「ここまで来れただけでも感謝してる。休憩なしで飛ぶのは行きで懲りた。船を使うのは正解だ」
苦笑して言うトーリュウの表情はいくらかやわらかい。空よりも海の色に近い彼の目は静かだった。初めて対面したときの冷たさはなく、ルリはトーリュウの目を見て話すことができた。まさかこのように穏やかに話せるときが来ようとは。
ルリたちが言葉を交わす横ではティーナが己の前で組んだ手を見つめ、黒髪の女が獣に身をやつしていった。
「見つかるといいわね、秘宝」
「ああ、見つからなかったらファイアーランドに逆戻りだ」
「拠点にできそうな場所はあるの?」
「まだ沈んでなければ街の宿屋に行くつもりではある。そこの主人が受け入れてくれればな」
ルリはいまさら思い出した。そうだった、彼も混血だ。ルリのときはリューズエニア領主の子供が出てきたために混血を理由に避けられたことはなかったように思う。トーリュウの場合はそうもいくまい。
船の速度はかなり落ちてきた。目的とする小島もずいぶん近くなってきたのを見て、トーリュウは身体を低くしたグリフォンにまずティーナを乗せようとする。
しかし彼女は素直に従わずルリのほうへ歩み寄り、やや頭を下げる。ファイアーランドで真実を告げられたときの憐れな姿は消えていた。
「今まで申しわけありませんでした。わたくし、城に帰ったらお父様を諌めてみますわ」
「セントラルランドに……?」
「ええ。秘宝が見つかったら王城へ送ってもらうことを青の混血児と約束していますの」
いったいどのような心境の変化だろう。ルリが個室で休んでいたとき、二人のあいだでなにかあったのかもしれない。
「ありがとうございました」
そう告げるティーナの表情はリューズエニアで会ったときのものとは違う、気分のいいものだった。女を見せるために計算しつくされたものではなく心からの微笑みだとわかる。
驚いたのは、おもしろみのない船の上ではべったりだったクロウに彼女は目もくれなかったことだ。ティーナはルリとだけ話し、それがすむと黒い獣にまたがった。トーリュウが騎乗するのを待つあいだもクロウから目をそらしていた。
助走をつけるのに甲板を横切り、縁を踏み台にしてグリフォンは立派な翼を広げる。飛び立った瞬間、船は大きく揺れた。美しい獣は礼を述べるかのように船の真上を旋回し、それからリューズエニアの中心にある街のほうへ力強く羽ばたいた。
黒い影はすばらしい速さで小さくなっていく。彼らがどこへ行きなにをするのかわかってはいるものの、自由に空を行く姿をルリは羨ましく思った。
「……行ってしまいましたね」
コクフウはトーリュウたちが向かった先を見ながら言った。青空に染みが一つ、それもじきに見えなくなる。
「うまくいくといいけど」
「大丈夫ですよ。あの人たちならきっと」
風を受け海流に乗り、遅くなっていた船の足がだんだん元の速さを取り戻していく。海を切り裂いて進む音が大きくなってきた。次の行き先はウィンドランドだ。
故国ウィンドランド。思い出すことさえ懐かしい。父や母は出迎えの用意をしてくれているだろうか。
それから十日ほどさらに北上する。ファイアーランドは世界で一番南にある国だ。途中でリューズエニアに寄ったことを差し引いてもウィンドランドにたどりつくまでにそれなりの時間がかかる。
「ルリさん、あのお城、ウィンドランド城じゃないですか?」
え、と声を漏らしてルリはコクフウに駆け寄った。
青い水平線上に白い陸があり、その奥まったところに背の高い建物がある。灰色の城壁からは青碧の屋根がのぞく。それだけしか見えなくてもわかる、あれはまさしくウィンドランド城だ。懐かしのウィンドランド城がこれほどまでに近くに見えることにルリは感動した。
自国の船、領主の娘を乗せているとなれば大手を振って城に一番近い港につけることができる。城の裏といっても過言ではない港にだ。ほどなくして船は陸地をまわりこむように方向を変えた。
ルリはカロンに乗って飛び出したい気持ちを抑えなければならなかった。やっと帰ってくることができたのだ。早く母に会いたい。ファイアーランドに残してきた父はもう帰国しただろうか。海に出て三十日はたっているのだ、きっと父と母で一緒に出迎えてくれる。
「あれがウィンドランド城か」
背伸びしても外が見えないクロウは舵のある段上から声をかけてきた。
「そうよ。あたしの生まれ育った場所」
言った直後に、生まれた、というのは違うかもしれないと思った。ルリが王女であるのなら生まれた場所は王城になる。ウィンドランド城を目にした瞬間早く帰りたいと思ったものの、両親に会ったらなんと言えばいいだろう。ルリはあの城にいてもいいのだろうか。
だんだんと陸地が近くなってくる。速度が落ち碇が下ろされ、ついに梯子がかけられた。長かった船旅もこれで終わりだ。
何人かの兵士が先に下船し、領主の信頼厚い男を先頭にしてルリたちも続いた。降りるべき者が降り、最後にカロンと炎馬がもちろん梯子は使わず一息に降りたった。揺れることのない石畳の地面は久しぶりだ。
賑わっているだろうと予想していた港は、しかしあまり人気がなかった。普段なら市などが開かれているはずなのに、現在は近くの住民がぼんやりしながら釣り糸を垂らす程度である。港を開くこともできないのかもしれない。
「静かな港ですね」
「ええ……いつもならもっと賑やかなはずなんだけど」
こちらの港で待機していた兵士はルリたちのために道を開く。六本脚の馬の手綱を引く男の後についていくと、一台の馬車が積荷に隠されるようにして待っていた。いかにも領主が乗るというようなものではなく、ファイアーランドやゴーストランドで乗せられたような荷馬車だ。屋根のかわりに布が張ってある。
赤い髪の男はルリたちにそれに乗るよう目で指示し、己の馬を荷馬車につないで御者としてそれを操る。その内部はカロンが乗っても支障のないほどには大きい。
荷台部分に乗りこむとルリは身震いした。つい先ほどまであれほど帰ることを楽しみにしていたのに、自分でも驚くほど今では帰りたくないという気持ちでいっぱいだった。
「大丈夫ですか、ルリさん」
「……平気」
ファイアーランドで多くの情報を握る女にルリは王女だと言われた。最終的にティーナは自らが王女ではないと認めた。トーリュウはルリがそれだということを否定しなかった。しかし、それらは所詮他人が言ったことだ。両親が違うと言ってくれればルリもそれにならうことができる。
父も母も、自分にとっては本当の両親だとルリは信じている。自身が王女であっても二人の娘であることに変わりはない。けれども、言い方は悪いが二人は真実を知りながらルリを騙していて、知ってしまったならば、と態度を変えられでもしたら。あるいはルリが本当の娘ではないことを知り突き放されたら。
炎馬の足は速く、馬車を引いていてもあっという間に城についてしまうだろう。船上では帰国の喜びに満ちていたのに、近づいてくるウィンドランド城が恐ろしい。
ふと馬車が遅くなった。いくらなんでもまだ城にはつかないはずだ。外からはずいぶん沈んだ調子の、女たちの詰るような声がする。それに対応する男の声も。
「あの話は本当なのですか?」
「わたしの夫は、息子は? ちゃんと生きてるの?」
「申し訳ないが城に戻らなければ正確なことはわからない。我々は先ほどウィンドランドに到着したばかりだ」
「そんなこと言って、隠すつもりなんじゃ」
「隠すことはなにもない。我々は船上ではなにも受け取っていない」
相手は領民であり、女である。それゆえ炎馬の主は粗暴に振舞うことができずにいた。ひたすら解放されるのを待っている。このままでは城には到底たどりつけない。
「領主様は国を捨てたのですか?」
そう言われては我慢できず、気がつくとルリは馬車から降りていた。
突然現れたルリに女たちの視線が向けられる。訝る目、混血を見る目、それから領主の娘の登場に驚く目がある。そのどれもが充血しまたは虚ろで、生に輝いているものは一つもなかった。
「領主が国を捨てるわけないわ。今だってウィンドランドのためになることをしてるもの」
「国内は荒れ放題なのに、どうしてそんなことが」
「荒らしたのは誰?」
問いかけておきながらルリにもわからなかった。国をこのようにしたのはいったい誰なのだろう。ざっと見たかぎりでは畑もきちんと耕されて作物の生育も順調、家屋に損傷はなく川が枯れた様子もない。これを荒れ放題とはいえない。人心だけが不可解なほど疲弊しているようだった。
領主の影響力というものは絶大なものだということをルリは目の当たりにすることができた。父がルリと会う前からファイアーランドにいたとして、あちらでどれほどの日数をすごしたのかは知らないが、それだけ国を空けただけでウィンドランドの空気は沈んでしまった。
「情報はすべて城に集まっている。正確な情報がつかめたら必ず掲示しよう。そのためには城へ行かなければならない。どうか道を開けてくれ」
彼女たちは顔を見合わせた後でしぶしぶその言葉に従った。ルリが荷台に収まったことを確認すると、赤髪は炎馬に荷車を引かせてウィンドランド城へ開かれた道を行った。
中に戻ったルリはカロンの頭に手をやった。どうも深く考えることができない。興味なさそうにこちらに目をやるのはクロウで、コクフウがそのかわりに口を開く。
「どうでした、外は?」
「見たところなにも変わってないわ。見たところね」
人間とはいえ外での会話は聞こえていたはずだ。気を紛らわさせようとしての言葉だとしても、それに乗る気分ではなかった。
「……どうして大戦なんてはじまったのかしら」
これに明確な答えをくれる者はいなかった。大戦のきっかけを作った人物ですら口を利けないかもしれない。
「最初はウィンドランドとアイスランドでしたっけ?」
豊かな知識のあるコクフウにルリはうなずいた。
そもそもの原因は、いつからはじまったのかは定かではないが、ウィンドランドとアイスランドの衝突にある。しかしそれはもう解決したことだ。ルリがアイスランドに行ったとき、盲目の領主から謝罪を受けている。その後に七席盟約があったのだからルリに対しての謝罪に意味がなくても父とアイスランド領主で直接話しあったはずだ。
飛び火は大きかった。辞退したサンドランドと干渉のできないゴーストランドを除いた五大国がどこかしらと戦を続けている。偽者の魔王の差し金と考えてもいいが理由がわからない。戦がなければ治めるのも簡単だというのになぜ争わせる必要があるのだろう。
「アイスランドは昔から争いが絶えなかったそうです。アイスランドというより、アイスランドのある場所ですが」
「昔って、いつから?」
「本によれば、それこそ初代魔王陛下の統治以前から」
ふぅん、とルリが生返事をしたことでその話題は途絶えた。馬車も今度は城の前で止まったのでちょうどいいころあいだ。




