8-2.火山の道
ファイアーランド西部は火山で成り立っているといっても過言ではない。そのため東へ行くには船を利用するか山を抜けるまたは迂回しなければならなかった。船を利用するのか一番早いが、そういくつも出ているものではない。安全に行くなら迂回する道を選ぶが慣れた者は山を突っ切ることが多い。
そういうわけで、ファイアーランドに詳しいというミカラゼルを先頭にしてルリたちは坑道に足を踏み入れた。
外からでは火山内部は暗く見えたが、入ってみるとそうでもない。管理者がいるのではと思うほど道は整備されていて、それに沿って柵も設置されている。蝋燭の明かりも正しい道へ導いてくれるため迷う心配は必要なさそうだ。
ただ足元に注意が必要だった。入り口からだいぶ進んだところまで来ると作業に取りかかる者がいたからだ。扱いなれた道具を持ち、手の届く範囲に第二、第三の道具を用意する。籠には大小さまざまな岩石を置いておく。ぼんやり歩いていたはじめのほうはそれらを蹴り飛ばしそうになることが常だった。
「さすがに火山の中は蒸しますね」
黒々とした岩の隙間から熱がにじみ出ているようだ。岩肌に浮かぶ水滴はまるで岩が溶けているようではないか。軽く手であおいでも余計に暑くなるばかりである。寒さとはまた違う消耗のしかたにルリは心の中で同意した。
「大丈夫かい? つらいならつらいって、早く言ってくれれば……」
「いえ、平気です。サンドランドの出なのでなんとか」
半ば独り言だった言葉を拾われたコクフウが慌てて返事をした。一番前を歩くミカラゼルは彼に心配そうな視線を送り、問題ないことを確認して前を向く。
「体調が悪くなったらすぐに言うんだよ。言っちゃ悪いけど、無理されるほうが迷惑だから」
ミカラゼルは顔色一つ変えていなかった。魔物であるがゆえのことか、ゴーストランドに属するゆえのことかはわからない。ルリの一歩前を歩くクロウは顔を少しばかり赤らめているが、こちらは子供だからという理由が考えられる。毛皮がさぞかし暑いだろうカロンの表情はうまく読めなかった。
火に照らされ、視界の隅でなにかが光る。その正体が労働者の成果であったときにはルリは言葉を失った。空色の小さな柱がびっしりと岩にこびりついている。これがアイスランドに送られて細工を施され、と考えると相当な手間がかかっているのだと改めて思った。
ただ石掘りというと子供の遊びのようだが、鉱物のある場所に目星をつけて傷つけないよう作業するということは相当な技術が必要なのだと、それについてなにも知らない者でも予想がつく。この状況で手元が狂わないというのはすばらしい腕だ。
「あれは大当たりだ。どうだい、磨かなくてもきれいなものだろう」
「ええ、とても」
採掘されたばかりのものでも美しいとは知らなかった。ウィンドランド城に届けられていたものはたしかに装飾が見事で美しかったが、これを見てからではどこか上辺だけのような気がしてくる。
「それにしても、どうして領主様の兄君がこんな場所でお亡くなりになられたんでしょうか」
「そうよね……そんな立場だったらこういうところには来ないと思うけど」
ルリは先頭を歩くミカラゼルに視線を送った。広い背中はそれを受けとめて歩を緩める。
「昔、その兄君は彼の祖母に城を追い出されたんだよ。四十年くらい前だったかな。お父上は知ってると思うけど、ルリちゃんはさすがに知らないだろう?」
四十年も前となるとルリが知ることではない。城を追い出されて領主と関係が切れればなおさらだ。他に兄弟がいるとなれば跡継ぎはどうなるのだろうと疑問に思うこともない。それを耳にしたときにひとしきり残念がって、それで終わりだ。
「自分が領主になりたかったんだっていう噂がある。弟に入れ知恵する兄が気に入らなくて追放したんじゃないかって。弟君のほうは、現領主は祖母によく懐いてるから傀儡にできると思ったんじゃないかな」
「それで、今は?」
「他国について深く知る義務はないからねぇ。ファイアーランドに関してゴーストランドが苦労している点はないとだけ言っておこうか。死者も目立って多くはないし」
では、どちらが実権を握っているとしても悪政は行われていないわけだ。城内でなにが起こっているのか調べることは難しいのだから、噂がたっても国民にそれを確認するすべはない。領主の打ち出す政策がいいものなのか悪いものなのか、身をもって知るのみだ。
「当人たちと国民がなんの文句もなければ、それでいいんだよ」
ミカラゼルの物言いはどこか冷たい。他国の事情などこちらに害がなければどうでもいい、というのがゴーストランドの立場なのかもしれない。今まで干渉してこなかったのだから当然だ。
では、なぜ今になってゴーストランドを離れたのだろうという疑問が湧いた。七席盟約には万年欠席だったというゴーストランドが今回に限って出席、そしてそれが終わったあともこうして国に戻らずにいる。ミカラゼルは代行だが、領主と同等の地位にあったはずだ。帰国せずにいていいのだろうか。
ファイアーランドに向かう船でも時間はあったがあまり深くまで考えられなかった。見ず知らずの男がミカラゼルの手によって海に突き落とされたのを見たことが効いていたのかもしれない。
しかし、疑問に思ったことはとうとう尋ねられなかった。適当にあしらわれて終わるような気がしたからだ。
坑道にいくつもあるという横穴で休憩をはさみながらルリたちは何日も歩き続けた。最初は道を拓くときに物置として造られたらしいが、今では何日も続けて火山に潜る者が利用している。坑道を仕事場でなく道として使う者にもありがたがられていた。一日で通り抜けられるほどファイアーランドの火山は小さくない。
横穴の数を数えていたミカラゼルによれば、大都側の出口まであと二日らしい。しかしルリにはすでに時間の感覚がなかった。太陽のない山の中では疲れ具合で休むかそのまま歩くか判断するしかなかったのだ。一日の基準となる太陽がないのにあと二日だと断言できるのは、彼がよほどファイアーランドに詳しいか、太陽の昇らなかったゴーストランドで生活していたからか。
時間の感覚はなかったが、二日という具体的な言葉が出ると身体が軽くなったような気がするのは事実だ。ミカラゼルの言葉に応えようと足が動く。
整備された道といっても、街や城の歩きやすさと比べてしまえばかなり歩きづらい。道の隅には人が座りこんで作業道具を広げているし、それがなくとも地面は掘りつくされた後のようにでこぼこしている。散らばった岩のかけらは足裏を強く刺激した。
「もう少しだ、がんばって」
ミカラゼルが軽く振り返った。道の奥のほうに人影が見えたのはそのときだった。
ファイアーランドの西と東をつなぐ通路なのだから、向こう側から人が歩いてきても驚くべきことではない。しかし今まで歩いてきて初めて通行者としての人とすれ違うのだ。誰だろうと興味を引かれた。
狭い道を双方ぶつからないよう壁に寄って進んでいく。近づくにつれて、帽子を目深にかぶった横幅のある大男だということがわかった。この暑さにもかかわらずたいそうな厚着をしているから着膨れしているだけかもしれない。
すれ違う瞬間、ミカラゼルは立ち止まった。信じられないものでも見るかのようにぎこちなく目がうつむいたままの大男を追う。
「ちょっと……ねえ、きみ」
呼びかけられた男は足を止め、振り向いて顔を見せた。
その顔にルリは見覚えがあった。反応したのはルリだけではない。クロウもだ。
「ちょっといいかな。きみ、もしかしてオサード?」
「ああ、そうだが……って、おまえ、ミカラゼルか? 魔物ってのはぜんぜん変わらないんだなぁ」
「ぼくも一瞬見ただけじゃわからなかったよ。人間はすぐ変わるから」
二人の距離が縮まった。幸い、狭い場所で作業する者はなく、うるさそうに目をやられることもない。彼らは友人にするように肩を叩きあい、表情を緩める。
帽子を取った男はやはりオサードだった。リューズエニアでは実質彼が切り盛りする有名な宿で世話になったことがある。オサードがゴーストランド領主代行であるミカラゼルと友人だということには驚いたが、しかし、彼は。
「なんだ、お嬢ちゃんもいたのか」
リューズエニアでは客人待遇だったため素の口調には慣れない。にこやかに握手を求められたルリは手を差し出す。しっかりと手が握られるものの、温度が感じられないことにぞっとした。彼はそのことを意識していないようだ。
おずおずとコクフウが話しかけてくる。サンドランドを訪れる以前のことだからリューズエニアで起こったことは知らないのだ。
「あの、お知り合いですか?」
「サンドランドとウィンドランドのあいだにある、リューズエニアでね。……知り合いといえば知り合いなんだけど」
リューズエニア領主によれば、オサードは死んだはずだ。詳細は不明だが、追われていたルリを逃がすために犠牲になったのだと自分なりに決着をつけた。ここにいるわけがないのに、しかしミカラゼルと話しこんでいる男は間違いなくオサードだ。なぜこのようなことになっているのだろう。死者が蘇ることなどありえない。
「クロウはどう思う?」
無言でクロウは首を横に振った。信じがたいこともルリと比べればすんなりと受け入れてしまう彼も、目の前で起きていることは受け入れられない様子だ。
「にしてもおまえ、こんなところにいたのか。どうりで手紙の返事が来ないはずだ。毎日のように手紙を書いてたんだぞ? 最後に読んだのはいつなんだ」
「あー、リューズエニアが独立して大変です、って内容に返事を出して、それ以降は知らない」
「独立直後で道が整ってないからかと思ってたんだが……山に潜ってたら知らないのもあたりまえだな。五年だぞ、五年。今までなにしてた」
ミカラゼルは口を開いて、だがなにも言わずに閉じた。ふぅと息をゆっくり吐き出し、手で顔を覆う。
なにかおかしい、とルリは感じた。話がかみ合っていないような気がする。
ミカラゼルはゴーストランドの領主と並ぶ人物で、いつからなのかはわからないが代行の座にある。ゴーストランドにいたときの彼の行動を見るかぎりではここ二、三年のことでないのは明らかだ。オサードは、死んだはずだということは無視して、ずっと手紙を送り続けていたのだと言う。どこがと問われてここだと指摘することはできないが、なにかおかしい。
悩むルリの耳にミカラゼルの声が入ってくる。それは一種の解答に近い。
「死んでたんだよ」
「死んでた? 意味がよく……だって、おまえ」
「死んで、向こうでゴーストランド領主代行になって、領主の代わりに仕事でこっちに来た」
本当なのかと確認するようにオサードがルリに目を向けた。ルリは黙ってうなずく。仕事のことは初耳だが代行云々という話は本当だ。
死んでいた。つまり、ミカラゼルは最初からゴーストランドに住んでいたわけではないということだ。彼とオサードのあいだに交流があったこともそれなら理解できる。ミカラゼルは手紙の返事を書いて死に至ってゴーストランド領主代行となり、それを知らないオサードはずっと返事の来ない手紙を送り続けていたのではないだろうか。
目を白黒させるオサードが言葉の意味を受けとめるのを待つかのように少しの間をあけ、ミカラゼルは静かに続ける。
「どうもリューズエニアの様子がおかしい。調べてみると領主とリューズエニア最大の宿がつながっている。もっと詳しく調べたら、その宿屋の経営者の弟がゴーストランドに送られてきていた」
「なんの話だ。それじゃまるで、おれが」
「知られないよう監視をつけた。数日後にゴーストランドは外部からの干渉を受けた。おそらくリューズエニアからだ。結果、ゴーストランドの人口が目に見えて減った。……脱走だ」
淡々と語るその顔をルリは覚えている。ファイアーランドへの航行中、男を海へ突き落とし、その死をただ眺めていたときの顔だ。人の上に立つ者の顔だ。
「人をやって連れ戻させた。記録と照らし合わせると、でも何人か足りない。そこでぼくも連れ戻し係に就任ってわけさ」
最後だけ極めて明るくミカラゼルは言った。不自然に反響した声が耳に残る。
「仕事で来たって、最初に言っただろう?」
案の定、オサードは青い顔をして元来た道を走って逃げた。遠まわしではあるが、おまえは死んでいるから連れ戻しに来たのだと友人に告げられ、しかもその友人も死んでいると本人が言う。わけもわからずこの場から逃げだしたくなるのは無理もない。
こうなることを予想はしていたのだろう、ミカラゼルは急いで追うという動作は見せない。
「一緒に来たいなら走って。あれ以上見たくないなら、道なりに進めば山を抜けられる。……どうする?」
「……追います」
ルリの口からはその言葉が思ってもみないほどすんなりと出てきた。リューズエニアに滞在していたとき、彼は身を張ってルリを助けてくれた。彼がゴーストランドの住人になってしまったのはおそらくそれが原因だ。ルリには最後まで見届ける義務がある。