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時を刻む紅  作者: 榊原
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7-10.南へ

 青の混血児に言われたとおり、ルリたちは南を目指す。船を使うとなると彼の示した行き先はファイアーランド。ウィンドランドやサンドランドなど五大国の集まる大陸とは海を隔てて世界の南端にある国だ。

 一日のほとんどを空ですごし、そのままカロンの背中で眠ってしまうこともあった。カロンの疲れ具合を見て地上を歩き、外部から情報を得ることが難しいだろう村を見つけたときはそこに身を寄せた。来客を喜ぶことのない閉鎖的な村だったが、だからこそ根掘り葉掘り尋ねることなく関わらないでいてくれた。

 今日もルリたちはスフィンクスの背に乗って空を行く。なにもしていないにしてもルリは領主殺しに加わり、首を斬られるところを逃げ出した。すぐにかかった追っ手はあの青年が引きつけてくれたが、まだ捜索は続けられているはずだ。

 南を目指しはじめて少なくとも五日はたっている。心の整理がついたころだろうと見計らってか、コクフウが重々しく口を開く。

「混血が領主様を殺したと、大都で耳にしました」

「……その場にいたわ。なにもせず、ただ見てただけだったけど」

「じゃあ、ルリさんは関わっていないんですね?」

「見てただけ。やめさせようともしなかった。領主に直接手を下したのは青の混血児で、息子のほうはミーレって混血に殺されたわ」

 それを聞いたコクフウは安堵したようだった。もっとなにか言われるだろうと予想していた身としては拍子抜けだ。

「コクフウ君たちのほうは? 変わったことでもあった?」

「別れた後、夜を治めるエズに会いにいきました。エズがその青の混血児だったのには驚きましたけど」

「なにか言ってた?」

「なにも。彼、すぐに出ていってしまったので。それから何日かしてグリフォンのほうも外に行ったので、それを追いかけたら、あんな……」

「大惨事だったというわけだ」

 ここのところ無口に拍車がかかっているクロウが久しぶりに口を利いた。

 それ以上はルリもコクフウもなにも尋ねることはなかった。必要以上に踏みこんで望まない答えを得たいと思うわけがない。



 眼下の森が開けると緑地が広がった。日光を浴びて新芽の色が輝いている。そのまま飛び続けて海が見えはじめたところで下降する。砂浜はなく、断崖絶壁、海に対して垂直な崖があるだけだった。

 おそらくこのあたりがフォレストランドの南端だ。潮風が髪をなびかせ、気分もどこか晴れてくる。しかし彼の言っていたように船が出ているとは思えない。近くに港があるならもっと賑わっているはずだ。船も見当たらない。

「おかしいですね。あの人が嘘をついていたとは思えませんが」

 それはルリも同じ意見だ。彼はルリの手に秘宝が転がるよう仕組み、また追っ手を引き受けてくれた。ここまでしてくれて嘘をつくわけがないと思うのと、草地に小さな影を見つけるのは同時だった。

「カロン、もう少し低く飛んで。あそこに看板があるわ」

 人語を解す獣はルリの言葉に従った。だんだんと空が遠ざかり、緑色の地上が近づいてくる。控えめながらも花が咲いているのを見ると心が和んだ。楽園のような景観だ。この地の全貌を知らなければ、その先が崖になっているなどと誰も思わないに違いない。

 カロンの背を降り、その額を撫でながらルリは看板の文字を追った。

「なんて書いてあります?」

「やっぱり船は出てるみたいだわ。崖沿いの階段を下ったところから出てるって」

 クロウとコクフウが久々の地面に足をつけるとカロンは翼をたたんだ。凝りをほぐすように身体をくねらせ、歩きはじめたルリたちの後を追う。

 崖に沿って歩いていくと階段が見つかった。岩を削り出して作られた階段は狭く、風が吹くたびに恐怖を感じる。もちろん手すりなどなく、足を滑らせれば海へ落ちるだろう。その前に岩礁に叩きつけられる可能性もある。

 苦労するルリたちにカロンは翼を広げて気遣いを示したが、断って先に下へ行かせた。この狭い場所で騎乗するのは難しいし、階段を下りる程度のことまで頼れない。

 階段を下りきっても砂浜はなく、かわりに丸太をいかだのようにいくつも並べることで足場を作っていた。波に揺られて濡れた足場はあまり安定しない。崖に沿った形で作られた道を気をつけながら行くと、上空から見れば崖の先端であろう場所から桟橋が突き出ていた。

 想像していたとおりの港ではなかったが、桟橋の隣に貨物船がたしかに停泊している。船の内部から聞こえてきたのは、崖の上からでは聞き取れなかった活気ある声だ。おそらく出航が近い。

 まだ間にあう、とルリたちは走った。ちょうどそこへ古傷だらけの男が船から出てくる。

「子供がなんの用だ」

「あたしたち、船に乗りたくて」

「だめだ。家出の手助けをする気はない」

 子供だけでは船に乗せられないということだ。まだルリが一人でいたころも似たようなことを言われた。あのときは魔王直紋のおかげでどうにかなったが、今はそれができない。そのようなものを見せればルリが何者であるか自ら明かすことになる。外部と関わりを持たない村ばかりを選んできたのが無駄になる。

 ルリたちは言葉なく男に訴えた。すると男は面倒くさそうに口を開く。

「そのスフィンクスで飛んでいけばいいじゃないか」

「それが難しいから船を使いたいんです」

 休息を入れてここまで来たにしてもカロンは疲れている。これ以上飛ぶのは不可能だ。一度海上に出てしまえば翼を休めることもできない。

「僕たちは家出してきたんじゃありません。お願いですから、船を出してください」

 すがるようにコクフウは言うが男は聞く耳を持たない。ルリは退屈そうにしているクロウに目をやってからコクフウの前に立った。胡散臭そうに男はルリに向き直る。

「船を買い取りますから。言い値でけっこうです」

「どこにそんな金がある」

 ルリは手荷物の内からアイスランドでもらった褒賞金を見せる。赤花賊の捕縛に力を貸して得たものだ。中身はたいして減っていない。褒賞金をもらって以降はアイスランド城に滞在し、その後のゴーストランドは通貨が違い、フォレストランドでは混血の村と城の牢獄にしかいなかったのだ。

「しかしな、そうは言ってもこの時期の海は荒れて……」

 男は渋ったが、金に目が眩んでいるように見えた。ルリの顔と大金の入った皮袋とを交互に見ている。いや、袋に目をやる頻度が高かった。いくらか減ってはいるが褒賞金としてもらったのは二百レイル程度だったろうか。

「……その中身の半分、ってところでどうだ」

 武骨な手がついに皮袋に伸びた。間の抜けたような別の男の声が聞こえてきたのはそのときだった。

「船長さん、いつまで待たせるつもりだい? 早く出してくれるって約束だったろう」

 船に乗っていた先客が桟橋に上がって近づいてくる。苦情を言うにもへらへら笑う男の姿を見て、ルリは口が利けなくなった。身なりこそ貧相だが、そのおどけたような口調、顔の横に垂れる髪を手持ち無沙汰にいじるさまはよく覚えている。

「おや、どこかで見た顔が並んでるねえ。この子たちも乗せてやってくれるかい、船長さん。知り合いでね」

「ああ、そりゃ、もちろん、お客さんの知り合いだっていうなら」

 金をもらいそびれた男は恨めしそうな顔をどうにか笑顔で隠して何度もお辞儀した。今までの態度はどこへやら、彼は手を船へ向けてどうぞと導く。

 先客が先に縄梯子に手をかけ、続いてルリたちがそこを上る。

 ふと背筋に嫌なものを感じてルリは下を見た。体格からして男だろう、外套に身を隠したその男がクロウを抱えこんでこちらを睨んでいる。

「ルリさん、どうかしましたか?」

 一足先に甲板に足をつけたコクフウが訝ってルリを見下ろしてきた。桟橋のほうを見るようルリが目で促すと、コクフウは息を飲む。

「船に乗せろ!」

 顔の見えない男はそう叫んだ。彼の腕の中でクロウはじっと動かずにいる。よく見れば首には短剣が添えられていて、身体がすくんでしまっているのかもしれない。まだ下に残っている船長は必死に男をなだめようとしている。

 血の契約が恨めしかった。あの男がクロウの首を刎ねればルリの命もなくなる。自分がフォレストランド城の牢に捕らえられて処刑を待っているあいだ、クロウも同じ気分だったのだろうか。

 見下ろしてくるコクフウの頭が消えて再び現れると、今度は緊張感のない顔も一緒だった。

「船長さん、その男も乗せてやって」

「し、しかし、こんな危険な男を……」

「頼むよ。目の前で子供が殺されるのは見たくない」

 外套の男はクロウを小脇に抱えて縄梯子を上ってきた。詰まらせてはいけないとルリも急いで上り甲板に足をつける。それほど待たずに男も同じ場所に立ち、古傷だらけの船長も古傷に似合わない恐怖に引きつった顔をしてようやく上ってきた。

「さて、船には乗せたんだから、いい加減にその子を解放してもいいんじゃないかな。残念ながらぼくたち、武器は持ってないんでね。どっちにしても海に出ればどうしようもない」

 その物言いに従って男は荷物でも放り投げるようにクロウを解放した。コクフウとともにルリは背中を打ちつけたクロウに駆け寄る。

「おまえがゴーストランド領主か」

 出航、という船員の声が重なったがきちんと聞き取れたようで、代行だけどと先客は小さく付け加えて苦笑いした。



 フォレストランド城から逃げ出すときのようにひどく興奮したカロンをゴーストランド領主代行はいとも簡単に眠らせて船室に押しやった。代行ミカラゼルは無理やり乗船した男とルリたちを別の一室に誘い、木箱を椅子のかわりにして座った。

「で、どうしてぼくがゴーストランド領主だと?」

「七席盟約の情報をつかんだのは俺だ。それでおまえがゴーストランド領主として出席するのを見た」

「用件は」

「……娘をそそのかして、殺した。だが恩赦をいただきたい」

 男は外套を取り払った。醜悪でもなく美しくもない凡庸な顔立ちだ。日光に当たったことがないのではというほど白い肌をしている。男の骨格を持っているのに女のように白いのは奇妙だった。

 同席させられた意味がわからないルリはクロウに目をやった。不機嫌、そして男を警戒している。人質になったばかりなのだから当然か。コクフウのほうはらしくもなく眉間にしわを寄せていた。やはりという顔をしているところを見ると、知っている人物なのだろうか。

 ルリの視線に気づいたコクフウは大人の会話の妨げにならないよう耳打ちする。

「お城から逃げるときにカロンを暴れさせた原因の人です。さっき興奮したのは、たぶん、あの人のことを覚えていたんでしょう」

「足、ずいぶん速いのね」

「特別な道を通ってきたのかもしれませんし。夜の住人ですから」

 ミカラゼルとカロンを惑わした男はこちらに目を向けた。耳打ちとはいえ魔物の耳には聞こえていたようだ。

「娘をそそのかしたのは、娘の同胞のためだ。娘を殺したのは、あの子の犯した罪を償わせるためだ」

「知ってるよ。フォレストランド領主の件だろう?」

「なら話が早い。俺がゴーストランドに行ったとき、叫びの山送りにはしないでくれ」

「叫びの山……それだけでいいのかい?」

「ああ、それだけでいい」

「じゃあ、叫びの山送りにはしない、そうしよう」

 傍で聞いていて驚くほどあっさりミカラゼルは男の希望を聞き入れた。彼の性格を考えれば、面倒事は避けたかっただけかもしれない。

「さて、話もまとまったことだし、甲板に出て新鮮な空気でも吸おうじゃないか」

 領主代行はにこやかに立ち上がった。親しい友人とするように名も知らない男と肩を組んで部屋を出る。ルリも腰を上げたが、クロウとコクフウはそれを見ているだけだった。

「行かないの?」

「……なんだか気分が悪くて。それに、あの人とはあまり一緒にいたくないんです」

 ルリと別行動しているときにあの男となにがあったのか詳しくは知らない。コクフウにそこまで言わせるとは、カロンの件に加えてなにか嫌なことがあったのだろうと想像するしかない。

 隅が埃だらけの階段をルリは一人上り、海を渡る風を味わう。船に乗るのは初めてだ。思っていたより揺れないので安心した。

「大丈夫、叫びの山送りにはしないよ。そんな山はないからね」

 ミカラゼルの声と同時にそれなりに重く大きさのあるものが海に落ちる音がしてルリは息を詰めた。彼のへらへらした口調はルリの知っているものとそう違わないがどこか不自然だった。

「ぼくはねぇ、そういう面倒くさくておこがましい奴が嫌いなんだよ。ゴーストランドのことで用があるならアルドラに直接言ってくれないかな。もっとも」

 はっとしてルリは船べりから身を乗り出して海面に浮かぶ白い顔を見、そしてミカラゼルの暗く笑う顔を見た。

「向こうに行っても覚えていればの話だけど」

 がぼがぼと声にならない声をあげ、男は船に近づこうともがいていた。そうしていると突然いっそう激しく手をばたつかせたが、次の瞬間、人が変わったように微動だにしなくなる。息をしようと口を大きく開けたまま、目を見開いたまま動かなくなり、彼は石化したかのように沈んでいった。

 それを見ていたルリも動けなかった。あの男の最期によるものではない。人が死ぬのは見たくないと思っていたはずなのに、なにも感じなかった自分が恐ろしかったのだ。

「ごめん、ごめん。よくないものを見せたね」

 汚いものは見なくていいとばかりに、父のように大きな手がルリの視界を覆った。

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