5-7.氷柱の洞窟
小ぢんまりとした優雅さにあふれる部屋。このような場所に通されるのはコクフウにとって初めての経験といってよかった。田舎者丸出しでコクフウが部屋を見渡して目を輝かせていると、クロウに下のほうから小突かれる。肩にスフィンクスを乗せている姿はどこか貴人めいている。
「すみません。初めてなものですから」
部屋の隅に控えている小柄の女がそれを聞いて笑いを隠すために口元をおさえていた。その様子が気に障ったらしいクロウは女を睨みつける。迫力のある小さな客を前にして女は笑いを引っこめた。
「ルリさんはどうしたんでしょうか」
「もうすぐ来るだろう。……ほら」
彼らが用意された席につくのと同時に、二人の女が入室してくる。ルリが侍女に先導されて席についた。カロンが床に寝そべり、三人が椅子に座ったのを確認されると食事が運びこまれてくる。汁物と野菜を中心にした朝食だ。
湯気の上がる汁物を口にして、ルリが言葉を紡いだ。
「そういえば、赤花賊ってどうなったと思う? アイスランド城に送られたらすぐに処刑するって言ってたけど」
「さあ。領地での領主様の言葉は絶対ですから、やっぱりそのとおりになったんじゃないですか? 今まで数々の牢を破ってきた赤花賊だって、さすがに領主様のお城の牢を破るのは無理だと思いますが」
すぐに脱牢できなければ刑が待っている。領主が出てくるほどアイスランドを混乱させた人物だ、極刑に違いない。牢中とはいえそのような者がこの城にいると思うとふと不安になった。
コクフウは右隣に座るクロウが落ちつかなさそうに匙で汁物をかき回しているのを見かねて声をかける。
「クロウさん、食べ物を粗末にするのは……」
「してない」
冷ましているのだと言いたげだ。アイスランドは朝も冷えこむ。温かい食べものが好まれるのは当然だったが、彼にとっては熱すぎたようである。
「とにかく、もう赤花賊については警戒しなくてもいいと思いますよ。盗賊行為を裁くのは僕たちじゃない。この国の人たちです」
テーリアソンという町長の大きな屋敷で、赤花賊が捕まった。村長だとか町長だとかの所持しているような牢ならともかく、領主の城にある複雑に入り組んだ巨大な牢を破るのは不可能だ。
「でも、気にならない? アイスランドの救世主なんて呼ばれてるし、すぐに牢から出てくるとか言われてるみたいだったし」
「それがどうかしたのか?」
クロウが口を挟む。
「私たちにはもう関係ないことのはずだ」
コクフウの左に座るルリは言い返そうと口を開いたが、言葉が見つからなかったように閉じた。鮮やかな緑色をした目が不満の色に染まっている。
彼女たちと一緒にいると忘れがたいサンドランドでの記憶に霧がかかっていくようだった。
侍女を通してアイスランド領主ガルディンに呼びつけられたルリは彼とひとしきり礼儀にのっとった挨拶を交わして、それからようやくガルディンとまともに目を合わせた。いや、ガルディンの黒い目はまったく見えていないのだからその表現は少々おかしいかもしれない。
ガルディンは背もたれのついた高級感溢れる椅子に座って手を組んだ。その手は病的なまでに白く、黒い髪に合っているようだった。彼とルリのあいだにある机の正面にはアイスランド領主の紋印であるいななく馬が彫られている。ルリは立ったまま領主と向かい合った。
「さて、本題に入ろうか。魔王陛下から王命を賜っていると聞く。希望という名の秘宝を探しているのだったな」
今、クロウとコクフウとカロンはルリの従者という立場にある。ガルディンが呼んだのは王命を受けたルリであるので、従者だろうと、いや従者であるがゆえにガルディンはルリ以外が来るのを許さなかった。ルリ一人が領主と対峙している。
「直紋を持つ者を蔑ろにはできないのでな、秘宝に関連のありそうな地域を探させてみたのだが……」
どうやら、幸いにも彼は紅の混血児を殺すようにという王命が下ったことを知らないようだった。ルリたちをアイスランドへ送ってくれたのはサンドランド領主イシズミアだ。彼女がアイスランドに対してなにかしてくれたのかもしれない。
ガルディンは二度手を打ち鳴らす。質素な身なりの女が入ってきてルリに巻き癖のついた紙を手渡すと、速やかに退室した。薄い黄色をした紙はアイスランドの地図で、西部に描かれている城がこの場所だろう。
「いくつか地名が書かれているはずだ。そこに行ってみるといい。城から一番近いのは、北上したところの氷柱の洞窟だったはずだ」
彼の言うとおり、たしかに城下大都の北のはずれのほうには氷柱の洞窟と書かれている。他に結氷四大湖や樹氷の森など、名前だけでも寒そうな地名ばかりだ。
「すぐに行くのなら馬車を用意させるが、どうする?」
「お願いします」
「では、仲間を連れて中庭で待っているように」
巻いた地図を大切に両手に持ってルリは頭を下げ、しかし無言の行動だけでは伝わらないと思い直して礼の言葉を述べた。領主としての矜持だろうか、ガルディンは盲目を悟られないよう話をするのがうまかった。
部屋へ戻ると、待っているよう言いつけておいたクロウとコクフウがぼんやりと暇をもてあましていた。やっと来たかとばかりに顔を上げる。
「領主から地図をもらってきたわ。秘宝が関わってるらしい場所を書いておいたって。そこに行くための馬車も準備してくれるって言ってたから、外に出る仕度をしてちょうだい」
「どこに行くつもりだ?」
「とりあえず一番近い氷柱の洞窟に。大都の北のはずれにあるみたい」
地図を見せながらルリは答える。アイスランド城をさらに北上しなければならないとは、きっと好き好んで行くような者はいないだろう。城より北の地域に村や町の名前はほとんどない。
「あの、すみませんけど僕はお城のほうで待っててもいいですか?」
「別にかまわないけど、どうかしたの?」
「いえ、ちょっと本を読みたいと思っただけなんです。領主様のお城には貴重な本が所蔵されてますから」
「私も読みたい本が……」
「だめ。クロウはついてきて」
行きたくない、どうにかして城に残っていたい、という思いが見え見えでルリはそれを許さなかった。コクフウが留まるのを認めたのは彼が病み上がりだったからで、ルリとてできることなら行きたくないのだ。
不満そうなクロウの顔にルリは気づかない振りをした。黙って支配者に従うことを余儀なくされた農民のようだ。
「じゃ、あたしたちは行ってくるわね」
「ええ、気をつけて」
馬車の用意されている庭へルリが急がせると、クロウは半ば巻きこむようにカロンを腕に抱いた。
雪の降る中、小さな薄青の馬車がアイスランド城を出発する。
街並みを眺めているといつの間にか大都を覆う壁を越えて北はずれまで来ていた。揺られていたのはそれほど長い時間ではない。馬車が徐々に減速していきとまる。戸が外側から開けられ、ルリとクロウは白い雪に覆われた地面に降りた。馬車の中があたたかかったのもあって足元がいっそうひやりとする。
「ここが氷柱の……」
氷柱の洞窟。何千年も昔に魔界を治めていた初代魔王と神獣に由縁の深い場所であるらしい。そのためか人間も魔物もめったなことでは近づかないという。洞窟のほうが生き物を拒絶するという話もあるほどだ。
そこには、ルリが身をかがめれば入れるだろうという暗い穴があった。洞窟の内部はひたすらに暗い。光が一筋も入らないようで、闇を駆ける魔物の類ですらその洞窟に入ればなにも見えなくなってしまうだろう。
洞窟の中から冷気が這ってくるようでルリは身震いした。明かりとして、そして暖を取るために手に炎を乗せる。
「行くわよ」
ぽっかりと口を開く暗い穴にルリたちは足を踏み入れた。あたりは雪に覆われているもののこの洞窟の入口付近だけは茶色い地面が露出していた。足元からぱきぱきという薄氷の割れるような音が聞こえる。
クロウが寒さに身をちぢめてカロンを抱きしめる。彼の、金というには淡く銀というには濃い髪は凍りついているようにも見える。背に流されたそれは凍てついた滝のようだ。
靴の音がいやに響く。その名のとおり洞窟の天井からは氷柱が生えていて、ぶつからないよう注意しなければならなかった。表面の融けかけているひときわ大きな氷柱にルリの姿が歪んで映る。
火をともしていても寒いのはあまり変わらず、自然と言葉は少なくなった。息を吸うたびに冷気がしみて、小さな氷のつぶてが身体の中に入ってくる。足の運びも鈍くなった。こうしているとサンドランドが懐かしく思えてくる。
足先の痛みに耐えながらそれでも進んでいくと、透きとおった氷で形作られた階段があった。十段もないだろうそれは見るからに滑りやすそうだ。だがそこまでの道のりを上から垂れた氷柱が守っている。這っても通り抜けるのは困難な様子だ。
「クロウ、行けそう?」
身体の小さなクロウならなんとかなるかと尋ねたが、彼は首を横に振った。それならばとカロンを見やるが、たとえ氷柱の向こう側に行けたとしても階段を上った先になにがあるかをルリに伝えることはできない。人の言葉を解すといえど一方的でしかないのは不便なものだ。
仕方なくルリは手の平に浮かべる炎を大きくし、それを氷柱に向かって撒くように腕を払った。一瞬だけ頬のあたりに熱を感じて白い煙に包まれる。反射的に閉じてしまった目を開くと、そこに氷柱はなく階段までの最短の道があった。最初から、それこそ洞窟に入ったときから氷柱に気を遣わずにこうしていればよかったのかもしれない。
氷の階段に足をかけたときだ。ルリでもクロウでもない別の足音が聞こえてくる。こういった道に慣れているような音がこちらへ向かってくる。
やましいことはなにもない。無断で洞窟に入ったわけではないのだから堂々としていてもいいはずだ。だが、誰も寄りつかないと聞く氷柱の洞窟にルリたち以外が入ってくるというのはなにか特別な理由がありそうで、鉢合わせは避けたい。
気がつくとルリは仰向けになって雪の上に倒れていた。重たい灰色の空が広がっている。隣を見れば、同じくクロウがカロンを腕に抱いて仰向けになっていた。この一瞬にいったいなにが起きたのだろう。
「……大丈夫?」
クロウの澄んだ紫の瞳と目があった。彼は一つうなずき、起きあがって意識をはっきりさせようとするように頭を振る。
「なにがあった」
「わからないわ。雪の上にいたにしては衣はそんなに湿ってないから、ずっとここで倒れてたわけじゃないと思うけど」
周囲をよくよく見渡せば、洞窟の暗い入り口から直線上の、そう遠くないところにいるのだとわかった。離れた場所からこうして見ると周りが雪に覆われていて白いためにますます入り口の穴が暗く、一度入れば戻れないように感じられた。
近くに薄青をした馬車がある。屋根に積もった雪のかさはルリたちが降りたときの様子とほとんど変わりないが、どれほどの時がたっているのだろう。
軽い足音の主と対面したくないと思った瞬間、ルリたちは外に放り出されていた。これは願いを叶えてくれる場所ということなのか、それとも洞窟に拒絶されたということなのか。
立ちあがったルリは服についた雪を払う。濡れてしまった箇所が気持ち悪くて、再び炎をともして水気を飛ばす。クロウの表情に乏しい顔にも不快感がにじんでいたので同じようにした。
「まだ日は高いんだから、別の場所に行きましょう」
日はまだ昇り続け、そろそろ中天に差しかかろうとしている。近いところから潰していけば今日中にあと二箇所は行けるだろう。
次の目的地へ向かうため、ルリたちは小さな馬車に駆けこんだ。
アイスランド城の地下深くにある牢獄でのことだった。
暗い牢中で赤花賊はほぼ全員が殺気立っていた。さながら檻に放りこまれた猛獣である。これまでの悪行を鑑みての最深層だけあって一日で逃げ出すのは難しく、そのうえ今日のうちに逃げられなければ首を斬られてしまうのだ。
「おまえのせいだ! おまえがあんなことを言わなければ捕まることもなかったのに!」
怒鳴られた青年はなんの反応も示さなかった。すました様子がまた怒りを増大させる。
赤花賊はわざと捕まった。本来ならばあのような陳腐な罠に引っかかることはないが、一時的に仲間に入れた青の混血児にそうするよう頼まれたからだ。そのような危険は冒せない、失敗したらアイスランド城行きなのだと説明するとなおさら強く頼まれた。
「やめな、いい大人がみっともない」
がなる男を首領レアズがなだめ、黙ったままの青年を見やる。その顔の横で岩壁が盛り上がり、手のひら以上もある大きなくちばしが岩を突き破ったのには目を見張った。
混血の青年が特に驚くでもなく黒いそれを撫でるとくちばしが引っこんだ。残された穴に手を入れて周りを崩し穴を広げはじめるのを、突っかかっていた男が言葉を失って見ていた。
「抜け道はあるって言っただろう。ここから外に行ける」
あって当然という顔で指し示された穴は人が通れるほどにまで広がっていた。この牢は城の下にあるというのに、彼の言うことが本当ならよく掘ったものだ。
「あんたは?」
「牢に誰もいないのはまずい。それに、おれは領主に用がある」
「じゃ、ここでお別れだね。あたしらのこと、誰にも言うんじゃないよ」
「わかってる。おれのことも言わないでくれ。抜け穴のことも。それから、紅の混血児という、金髪で緑の目をした女がこの国にいる。そいつに会ったらあれを渡してやってくれ」
腰巻に隠されたあれがあることを確認したレアズはうなずき、散り散りになっている仲間たちを呼び集める。
「ほんの短いあいだだったけど楽しかったよ」
「ああ。危険な目に遭わせて悪かった」
別れを短くすませ、レアズは仲間を率いて抜け穴へするりと身を躍らせた。
入り口は狭いが内部は立てるくらいには広い。あのくちばしの主が掘ったのならあたりまえだ。誰にも見つかる心配のない道だったが赤花賊たちは始終口をつぐんだままだった。