5-6.氷のぬくもり
空が朱色に染まり、雪がきらきらと輝く。
朝から歩き続けていたルリ、その後ろに続くのはカロンを肩に乗せたクロウ、それより五歩ほど遅れているコクフウ。ルリは彼が追いつくのを足をとめて待った。一番前を歩くとどうも先に進んでしまう。
「身体、本当に大丈夫なの?」
「心配ありません。雪道は歩きなれていないので、そのせいですよ」
ずっしりと重い雪は表面が溶けてまた固まったような印象を受ける。人の足跡がいくつもあるためにでこぼこしていて、そのうえ滑りやすく歩きづらかった。現にクロウは先ほど転びかけたのだ。リューズエニアも雪が多かったがこれほど歩きにくくはなかったはずだ。
「この道って真っ直ぐ行けば大都に続く大通りに出るんでしょう? こんなに整備もされてないなんて国はなにしてるのかしら」
「まあまあ、国には国の事情もありますから。それに……」
言葉を切ったコクフウの横を若い女が早歩きで通り過ぎた。自分たちよりもはるかに歩きにくそうな格好、かといって防寒のためではないだろうセントラルランド風の服装で女はなんの苦もなく先を歩いていった。
「これくらいの雪道、アイスランドの人たちにとっては普通なんですよ、きっと」
それを見送ったコクフウの口から乾いた笑いが漏れた。
本格的に暗くなってくると眠る場所を考えなければならなくなった。城下大都まで距離があるのは知っていたが、そのあいだに村や町の一つや二つくらいあると思っていた。さすがにアイスランドでの夜を外で過ごすのはためらわれたため宿を取ろうとしていたのだが、村どころか夜を越せそうな小屋もない。
「ルリさん、すみません。夜にはつくって言ったのに、僕が遅いばっかりに」
「気にしないで。まだ本調子じゃないんだもの、仕方ないわ」
雪が降ってきた。今まで降り止んでいたほうが珍しいのだ。粉雪であるだけましか。
「どうしましょう、ルリさん」
「そうねぇ……」
クロウには疲れた様子など微塵も見て取れず、疲れたのなら彼は黙っていないでそう言う。カロンは肩にでも乗せておけばいい。けれども病み上がりかつ人間のコクフウさえいなければこのまま歩き続けることも可能だ、とは言えなかった。
目の前に広がっているのは雪道と雪に覆われた平原だけだ。金は革袋にたくさんあってもこの場ではなんの足しにもならない。炎一つで夜をすごしても朝に意識があるかを考えると恐ろしい。
目を閉じているのか開いているのかわからないコクフウが、あ、と声をあげた。疲れによる睡魔と戦っているのか、その声はひどくぼうっとしている。
「僕……夢でも見てるんでしょうか。あそこに光が」
ルリがコクフウと同じ方向を見ると、たしかにあたたかな光がある。しかも、それはこちらへ近づいてきた。
屋根のついた濃紺の馬車だ。その全貌が見えて、その馬車は貴人の乗るものだとわかった。前にいる二人の御者の格好はきちんとしたもので、馬車は隅々まで手入れされていて傷一つ見当たらない。さらに一見しただけではわからないように、アイスランド領主の紋印である後ろ足で立ちいななく馬の紋が入っている。
通り過ぎるものかと思って道の横に寄ったルリたちの前に、その濃紺色の馬車はとまった。二人のうち一人の壮年の御者が恭しく馬車の戸を開ける。最初に出てきたのは細い女で、女に手を引かれるように出てきたのはこれも細い男だった。領主の紋印の入った馬車に乗る一組の男女、女の領主はサンドランドにしかいないので後に出てきた男のほうがアイスランド領主だろう。
女は足元に気をつけるようにと何度も言いしきりに男を気遣っていた。召使いには到底見えないその女は、領主の妻に当たる人物かもしれない。この女は男と並んでも遜色ないし、見ようによっては、ゆったりとした服を着る隣の男よりもきらびやかな服装をしている。対して、男は最小限に抑えられているがそれだけでも十分彼の権威を表している装飾品を身につけていた。
「ウィンドランド領主の娘ルリ、紅の混血児だろうか」
抑えたような、それでいてはっきりとした声だ。ルリがうなずくと、女が耳打ちする。
「私はアイスランド領主、ガルディンという。これは私の妻だ。話はサンドランド領主から聞いている。乗りたまえ」
困惑してルリは後ろを振り返った。クロウもコクフウもカロンも、黙ってルリがどうするのかを待っている。
サンドランドで紅の混血児抹殺の王命が下されたと告げられ、それを身をもって理解した。他国がウィンドランド領主となるであろうルリを知らないとはいえないはずなのに、ガルディンと名乗る領主はルリを見てもなにも言わない。
妻だという女がまたガルディンに耳打ちする。
「ここは寒い。連れの少年も顔色が悪いようだが……」
たしかに寒いし、コクフウも唇を青くして震えている。
このまま領主についていっても大丈夫だろうか。ここで夜を明かすのとどっちが危険だろう。思い巡らして、ルリは決心した。ここで死ぬよりましだ。
お願いしますと言って導かれた馬車の中は暖かかった。濃紺の硬そうな外装とは違って内装は明るい。安心したのか、コクフウの意識はすでにない。クロウの紫の目も目蓋に隠れようとしていた。カロンはクロウの膝の上で小さな翼をたたみ丸くなっている。
長い道を馬車で揺られる。ごつごつとした道から整備された道に入ったらしく、今はほとんど揺れを感じない。大都までまさかこれほど遠いとは思わず、迎えが来てくれてよかったとほっとした。
流れていく外の白い景色を窓越しにぼんやりと眺めていると、ガルディンが声を発した。
「起きているか?」
領主夫妻とルリたちは向かい合って座っていた。ちょうど正面に座るガルディンの目は黒くどこを見ているのかよくわからなかったが、自身に声をかけられているのだろうと察した。
「なにか?」
「ウィンドランド領主のヴェリオン殿に伝えてはくれないか。……国境村のことだが、すまなかった」
ガルディンは頭を下げた。肩にかかる黒い髪が垂れる。その国境村にルリは居合わせていたかもしれない。城を出てわりとすぐのことだった。
「言いわけがましく聞こえるだろうが、あれを指示したのは私ではない。兵士の独断だ。もちろんあの場の指揮官は降格、フォレストランド国境あたりの激戦区へ送った。協定も結んだのに申しわけなかった……。私が不甲斐ないばかりに」
アイスランド領主は再度頭を下げた。隣の妻も今度は一緒だ。
「本来なら私はウィンドランド城へ赴き直接謝罪すべきだ。しかし私も一国の領主、そうそう国を空けるわけにはいくまい。それに……あまり目が使い物にならない。私は今、貴殿のほうを向いているかもわからない」
頭を上げたガルディンはまっすぐにルリを見ているように思えた。そういえば、アイスランド領主は病がもとで盲目になってしまったのだという話をどこかで耳にしたことがある。細君に手を引かれていたのはそのためだったのだ。ルリがうなずいたときに彼女が夫に耳打ちしたの理由もわかる。見えなければうなずいてみせても意味がない。
「このガルディンの謝罪を、ウィンドランドは受け入れてくれるだろうか」
ルリはうなずくが、見えないのだと気がついて声に出して答えた。
「必ず伝えましょう。きっと父も喜んで受け入れてくれると思います」
「では、頼んだ。城についたら文書も書こう」
同盟だの友好だのと予定を立てていくガルディンは安堵した表情を見せていた。彼の隣に座っている妻とルリは目が合って、軽い会釈をする。彼女も会釈を返して、にっこりと上品に笑った。見ているこちらが幸せになるようだ。
協定を結んでいたアイスランドに裏切られたわけではなかった。となれば、ウィンドランドに敵はないと言っても過言ではない。南部で接する今のリューズエニアにたいした国力はないし、さらに南下したところのサンドランドは大戦に参加していない。魔界最南端のファイアーランドは海の向こうで、西部に接するセントラルランドもウィンドランドにばかりかまっていられないのだ。少なくとも自国に被害がないのならそれでいい。
「じゃあ、もう国境付近に兵士はいないんですか?」
「ああ、撤退させた。捕虜は帰し、国境で戦うウィンドランド兵ももういない。しかし……」
領主は言葉を詰まらせた。大戦の原因を作ったのはアイスランドであるがゆえに思うところもあるのだろう。
発端はウィンドランドとアイスランドの諍いで、アイスランドが先にしかけてきたことは誰もが知っている。他の国々がアイスランド側またはウィンドランド側について争ううちに、本来の目的を忘れ自国の利益を求めての戦いになってしまった。
「フォレストランドは腕の立つ者を集め、海の向こうのファイアーランドも戦力を集めていると聞く。なにも変わらなかった」
原因となったアイスランドとウィンドランドの争いが収束に向かっているというのに他の国はまだ戦を続けている。一度点いた火は燃やすものがなくならないかぎり消えないようだった。
しばらくしてやっと馬車がとまると御者が戸を開け、ルリは地に足をつけた。まるで冷気の中に足を突っこんだかのようだった。それもそのはず、アイスランド城とは氷でできていたのだ。溶けたような様子も見受けられない、透明できれいな氷の城だ。だが不思議なことに中の様子は見えない。
「疲れているだろう。話は明日だ」
ガルディンに指で額を軽く弾かれる。崩れる身体を支えようと後ろに下がった足が力を失い、冷たい地面に倒れる寸前で誰かが支えてくれたのを感じた。
ご起床のお時間です、とばかりに何度か扉が軽く叩かれる。
あともう少しだけ。母様はいいって言ってるじゃない。
そう口走ったのに気がついてルリは飛び起きた。姿が映りこむほどに磨きぬかれた透明に近い床、小さな白い机と二つの椅子、ふかふかした寝台、身につけているいつもの紅の旅装、ほどかれた金の髪。とんだ失態だ、ここはウィンドランド城にある私室ではない。
広い部屋にはルリ一人だった。クロウやカロンやコクフウも、彼女の連れなのだから別室で同じような待遇を受けているのだろう。
再び扉が叩かれた。ルリは手早く髪を上で一つに束ねてから入るように促す。
「失礼いたします。朝食はどちらでお召し上がりになりますか」
入室してきたのは大きな茶色の目をした少女だ。このようなことを訊かれるのは久しぶりだった。まだルリが幼く、父母ともに笑っていられたころのことだ。あのときはいつも可能な限り両親と食事を摂っていた。違う部屋にいるだろう彼らはどうしているだろうか。
「ええと……下で」
「かしこまりました。ではそのように」
クロウたちも一緒に食べるつもりでいるだろうと思ってルリは答える。いつものくせで下と言ってしまってルリは苦笑した。少女は頭を深々と下げて退室していった。慣れているようでどこかぎこちない動作にルリはまた笑みを漏らす。
ルリは名残を惜しみながら寝台から降り、部屋の隅にある鏡の前に立つ。服装を整え皮袋の中身を確認して、ふと赤花賊はどうなったのだろうと思った。このアイスランド城に送られているはずだ。食事のときにでもコクフウに話してみようか。年齢はルリよりも下に見えるコクフウだが、ルリ以上に頭がいいところがある。
「……?」
なにか蹴ってしまったような感覚があって立ち止まった。ルリは床に膝をついて蹴ったもの探す。ややあって、小指の爪の先ほどの小さな光るものを見つけた。青い石だ。別段珍しいものではない。川に行けばこれに似た石などいくつも見つかる。それにルリはウィンドランド城にいただけあって宝石類を見慣れている。
なのに、小さな青い石から目が離せなかった。どこかに魅力を感じるわけではない、なんの変哲もない、透き通った青い石。見る者に強烈な印象を残す彼のあの青い目とも違う。
ひょっとして、先ほどの少女の落し物だろうか。石をなくしてしまったと彼女が思い慌てて探していたとしたらなんだか申しわけなくて、一応そのままにしておいた。石を落としたことに気づいた少女がこの部屋に来てくれればいい。
食事の準備ができたと女の声が扉の外から告げて、ルリは部屋の外に出て女についていった。さきほどの少女とは違う女で、ルリは石のことを伝える機会を逃した。




