5-5.闇にうごめく
人々が来訪者を嫌う刻限になった。
その夜、夕食を終えてテーリアソンに呼び出されたルリはクロウを伴って彼の部屋を訪れた。机に頬杖をついてテーリアソンは待っていた。
「……つまり賊は今夜忍びこんできてもおかしくないと、そういうことなのか?」
「はい。あのとき、少ししたらまた来ると言っていたので。その財産があるところというのは、宝物庫で間違いありませんか?」
「ああ。金も宝石も、すべて宝物庫にある。宝物庫には出入り口が一つしかなく、鍵はいついかなるときも私が身につけている。出入り口を固めておけば大丈夫だとは思うのだが……」
「出入り口が一つしかないのでしたら、賊が逃走するときを狙ってはいかがでしょう」
「なるほど、その手もあったか」
わざと屋敷に侵入させて金品を持ち出そうと出てきたところを狙う。一つしかない逃げ道を断ってしまえば逃げ出すことはできない。出入り口を固めておけばいいだけのことだ。ただ気になるのは、誰もが思いつきそうなこの方法でなぜ赤花賊の一人も捕まらなかったのか。それを実行した者がいないだけか、その方法すら思いつかなかったのか。
「うむ。ではさっそく兵を張らせておこう。念のため罠も作らせるか」
兵の配置に取りかかるのだろう、上機嫌でテーリアソンは屋敷の見取り図を机の中から取り出す。嬉々として見取り図と向かいあっていたテーリアソンだったが、ふと顔を上げて怪訝そうな目つきでルリとクロウを見る。
「いつまでそこにいるつもりだ。用は済んだだろう」
「……失礼しました」
内心むっとしながらも退出の意を述べ、二人は部屋を後にした。扉をちゃんと閉めて、一つ目の角を曲がる前あたりでルリが口を開く。
「出てってほしいならそう言えばいいのに。途中から態度も変わったような感じだったし」
クロウはなにも言わない。ルリも別にクロウの返事を期待しているわけではない。相槌は心の中でしていてくれればいいと思っていたし、聞いているであろうことは態度でだいたいわかる。
二人はあてがわれた客間の隣の部屋で休んでいるコクフウの様子をそっと覗いた。
寝ている。カロンも一緒で、寝息は安らかだ。日が出ているあいだの彼の様子は酷かったもののこれなら褒賞金をもらったらすぐにでも出発できる。病み上がりになるコクフウに無理はさせたくなかったが、なんとなくこの屋敷、というよりこの町にはいづらい。長く様子を見て起こしてしまうのも悪いので、ルリは音をたてないよう慎重に扉を閉めた。
ルリとクロウが客間に戻ってそれぞれの寝台に腰を下ろしていくらもしないうちに扉が叩かれた。入室を促すとテーリアソンの傍らに侍っていた女が頭を下げて入ってきた。あの男のそばに置くのはもったいないような女だ。
「主人より伝言が。夜中に出歩くことのないようゆっくり休むように、とのことです」
「赤花賊の件は?」
「心配はいらないそうです。警備は万全だと申しておられました。もちろん褒賞金は必ずお支払いします。では、これにて」
やわらかく微笑んで、彼女は部屋を出た。それを見送って二人は顔を見合わせる。
「捕縛には参加しないでいいってこと? それで褒賞金なんてもらっても後味が悪いんだけど」
「知恵は貸した」
「それはそうだけど、でもそれだけで二百レイルっていうのは……」
「そういう約束だった」
金に困っているのだからもらえる物はもらっておけ、と紫の目が雄弁に語っている。そう、金がなくては宿をとるのもままならない。ウィンドランドやフォレストランドなら穏やかな気候のため外で眠れないこともないが、さすがにアイスランドでそのようなことをしては凍死は免れないと思っていい。人間ならば確実にゴーストランド行き、つまり死ぬ。
「どうする? あたしは起きてるけど」
「寝る」
ただ一言言い放って、クロウは寝台にもぐりこんだ。これから寝るというのに明るいのはかわいそうなのでルリは手元の灯を消してやる。するとややあって、クロウは眠りに落ちた。寝つきがいいのは子供だからか、それとも疲れていたからか。少しの物音では起きなさそうな雰囲気だ。
ルリは気だるげに窓から外を覗く。灯がいくつがあるが、あたたかさを感じることもなくあたりはしんとしていた。雪は積もってはいるが降ってはいない。年中降っていると聞いたのにアイスランドで雪が降らないとは珍しい。
いつの間にか、静寂の中にぽつんと、雪に紛れるようにして立っている者がいた。顔を隠すかのように頭からすっぽり布をかぶり、だが収めきれなかった黒髪が首元からはみでている。誰だろうと思いながらその人影をぼんやり見ていると、目があった。どこかで見たことがある眼差しには不安の色がある。
見ず知らずの得体の知れない影と目の合ってしまったルリは、気まずくなってさっと室内のほうへ顔ごと目をそらす。数拍して恐る恐るといった具合に目線だけを再び外へやると、そこには誰もいなかった。雪は降っていないにもかかわらず、まるで飛んで逃げたかのようにその上には足跡すらない。
「なに……今の」
その声はクロウを起こさないようにと気を使い自然と小声になったのだが、やけに静かなせいで響いたような気がした。
しかしその静けさは破られた。多数の重そうな足音と金属の音。今しがた人影のあった外も騒がしくなり何人もの兵士がなにか探しに行くように散っていく。
なにが起こっているのか知りたくてルリは扉を開けようとしたが、テーリアソンに仕えていた女の言葉がよみがえった。夜中に出歩くことのないようにと。しかし扉を開くくらいならいいだろう。出歩くわけではないし、少し外の様子を見るだけだ。
そう自分に言い聞かせて扉を開けると音が明瞭に聞こえるようになった。よく集中しなければ聞き取れないが話し声もある。
「赤花賊が」
「やつらの悪行もついに終わりだ」
「応援に行け、数が足りない」
「予想以上の抵抗だと」
「やっと平和になる」
足音がだんだんとこちらへ近づいてきたのでルリはすぐさま扉を閉める。これだけ聞けば充分だ。炎術を使って明かりを急いでつけ、かわいそうな気がしつつも眠るクロウを揺する。
「クロウ、起きて」
しかしクロウは起きなかった。いつか蹴り起こされたことの礼をしようかと頭をよぎったがやめた。子供は、特にクロウのような小さな子供はゆっくり眠るべきだ。魔物の外見年齢と実年齢が等しいとはいえないが。
ルリは眠るクロウの隣の寝台に腰を下ろしてため息をつく。こうしてじっとしているのはあまり性にあわないが、かといって外へ出れば不興を買って追い出されるかもしれない。
クロウの目蓋が動いた。先ほど揺り動かしたのが今ごろ効果が出たのだろうか。彼は緩慢な動作で上体を起こす。
「起きた?」
「……なにがあった」
「ついに赤花賊の悪行も終わりだって。きっと明日には出られるわよ。コクフウ君もよくなってるみたいだし、まだつらいようだったらもらったお金で薬でも買えばいいわ」
出発の準備をしておいてと言おうとしたとき、扉の向こうに人の気配がした。赤花賊の残党かと思ったがそこにいるのは落ちついた雰囲気だったのでルリは扉を開けた。外へ出るなと言ったあの女だ。
「遅くに申しわけありません。お眠りかと思いましたが、明かりが見えましたので。先ほど首領を含む赤花賊を捕らえることができました。明日の朝にはアイスランド城から使者がいらっしゃいますので、褒賞金はそのときに。時間になりましたらお迎えにあがりますので」
「あの、あたしたちはなにもしていないのでお金は……」
「一度約束したことを反故にしては主人が町人から反感を買いますので、どうか収めてください。では、これで」
女は再び扉の外へ消えた。
「……金、もらう気でいたくせに」
彼女が出て行った扉からルリに視線を移して呆れ顔で言うクロウに、ルリはなにも返せなかった。彼は建前を知らないのだろうか。
「大都から使者が到着した。奴らをきちんと引き渡すまで警備を怠るでないぞ。外部からの侵入者にも注意するように。脱走の手引きをされるやもしれんからな」
「はっ!」
誇らしげなテーリアソンに十人余りの警備兵が揃って敬礼をした。
朝からルリとクロウはテーリアソンの小間使いのような女に牢の近くまで連れてこられた。離れたところからそれを見ていたせいか暗いせいか、牢の内部はルリの視力でもよく見えなかった。
警備兵との話を終えたテーリアソンが二人を近くの小部屋へ案内する。彼はその小部屋からさらに別室へ移る。戸で仕切られているだけで続いているらしい。戸の先からは話し声がする。アイスランドの使者だ。
ややあってテーリアソンは別室から戸をくぐって出てきた。皮袋を二つ持っている。彼の取り分とルリの取り分とにわけてあるのだろう。
「褒賞だ、受け取れ。そしてこの町を去れ。いくら赤花賊を捕縛したとはいえ、私はいつまでも混血児を留め置くつもりはない」
テーリアソンは皮袋の一方を文字通り投げて寄こしたので、ルリはそれを受け取れずに床に落とした。たくさんの硬貨の重い音がする。
「中身は確認せずとも、ちゃんと数えさせた。たかだか二百レイルを惜しむつもりなどない」
ルリが腰をかがめて皮袋を拾い上げる。音のとおりやはり袋は重い。二百レイルを所持していても実際それを手に持ったことはなかったので、これほど重かったのかと驚いた。
「さぁ、さっさと行け」
半ば追い出されるようにして、二人は部屋を出た。
途中でコクフウとカロンを連れ出して召使いの案内で屋敷を出るとき、ルリは外套を頭からかぶった。また薬屋に行ったときのような目には遭いたくない。クロウもややうつむき気味である。ただコクフウとカロンだけが前を向いていた。コクフウはすっかり治ったようで足取りはしっかりしている。その足元を歩くカロンの姿は翼さえなければまるで猫のようだ。
目立たないよう屋敷の裏から出してもらって大通りに出たのだが、人が多い。馬車で大都の城まで送られる赤花賊を見送りに集まっているのだとすぐにわかった。誰も彼も赤花賊が捕らえられて悲しげな表情をしているが、それほど落ちこんでいる様子はない。
どよめきの中、女児と母親の会話がルリの耳に入る。
「赤花賊、つかまっちゃった……」
「大丈夫、あの人ならまたすぐにみんなの前に出てきてくれる。いつだってそうさ」
「本当?」
「ああ、本当だとも。今までだって何度も捕まっていたのに、次の日には隣村に現れたなんて聞くじゃないか」
「すごいんだね、赤花賊って!」
「そうさ。なんてったってアイスランドの救世主だからね」
親子の周りにいる者の一部が同意するように首を縦に振る。
民に支持されている賊とはいえ、盗みをしていることになんら変わりはない。子を教育すべき親がそのようなことを言っていてもいいのだろうか、とルリは軽く眉間にしわを寄せた。
「どんな育てかたしてるのかしら。ろくな大人にならないわ」
まだ馬車は出発しないのか、人々は散る様子を見せない。そのあいだにルリたちは早歩きで村の門へ向かっている。
「そういえばルリさん、町の人に姿を見られても大丈夫だったんですね」
「大丈夫じゃなかったわ。話したじゃない、いろいろあったって」
だからこうして外套で顔を隠すようにしているのだ、と付け加える。コクフウは緩く首を振った。
「そうじゃなくて、あの抹殺令ですよ。サンドランドを出たときの」
命からがらサンドランドから逃げてきたというのに、今の今までルリはそのことを忘れていた。追っ手らしい追っ手もなく、夜道で遭遇した野生の魔物以外で殺気を向けられたこともなかった。
「まだ伝わってないのかしら。紅の混血児っていっても顔かたちまで知られてるわけじゃないから、人相書とか回ってないのかも。陛下にはお会いしたことがないから、陛下もあたしの顔は知らないはずだし」
「人相書を回すには、あの襲ってきた人が陛下にルリさんのことを伝えなきゃならないってことですか。アイスランドの領主様がこのことを知る前に大都に行ったほうがいいですね。ルリさんが紅の混血児だということを伏せればどうにかなりそうですから」
大通りをまっすぐに進んで門をくぐったルリたちは足をとめた。
地図がなくてもだいたいの国の城下大都の位置は特定できる。栄えているほうに行けばいいのだ。近づくにつれ道は大きくなり人の流れが集まる。道をはずせば寂れてくるので間違っているかどうかはわかる。
「大都は……あちらですね。ああ、休んでいたとき地図を借りていたんですよ。無理についてきちゃったんで、少しでもお役に立てればと思って」
驚いた様子を見せたルリにコクフウはそう告げた。
「ここからあまり遠くないみたいでしたから、夜までには大都につくと思います」
「熱、下がったばっかりでしょ? 病み上がりに歩き詰めで大丈夫?」
ええ、とコクフウははっきりした声で答えた。
赤花賊が乗っているらしい大きな馬車がルリの横を通り過ぎる。地味なものだが罪人を乗せているわりにはずいぶんと豪勢だ。檻を荷台にただ積んだだけというわけではなく、内部が見えないようになっているのはまるでそれなりの貴人が使う馬車のようで。それは雪の道をものともせず進んでいき、やがて見えなくなった。