第1話 目覚めたら、知らない天井だった
「――じゃあ、始めるわよ」
声がした。
暗い部屋。
閉め切られたカーテン。
机の上で揺れる蝋燭の火。
誰かの手が、紙の中央を指している。
「神代君。手」
「……俺もやるのかよ」
誰かが笑った。
その顔を見ようとして――
蝋燭の火が消えた。
『――――』
「え?」
暗闇の中で、何かが光った。
そして――。
◆
揺れている。
身体が。
ゆっくりと。
一定の間隔で。
「…………」
目が開かない。
意識だけが、暗い水の底から浮かんでは沈む。
頬に何かが触れた。
髪?
「……大丈夫ですから」
声がする。
知らない女の声。
「もう少しです。もう少しですから……」
近い。
俺は――。
背負われている?
誰かの背中。
細い肩。
なのに、不思議なくらいしっかりと俺の身体を支えている。
「お願い……頑張って……」
声が震えていた。
なんで。
誰だ。
ここは――。
「…………」
また意識が沈んだ。
◆
次に目を開けたとき、天井があった。
「…………」
木の天井。
知らない天井だった。
「……どこだ、ここ」
身体を起こそうとする。
「――あっ!」
声。
すぐ横からだった。
「起きないでください!」
「え?」
駆け寄ってきた女の子に、肩を押さえられる。
「まだ横になっていてください。お願いですから」
「ちょ、ちょっと……」
「気分は悪くありませんか? 吐き気は? 頭は痛みませんか? 息苦しくは?」
「待って待って」
質問が多い。
女の子はベッドの横に膝をついたまま、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
小柄な子だった。
淡い金色の髪。
大きな瞳。
そして――。
「…………耳」
「はい?」
長い。
髪の隙間から覗く耳が、明らかに長く尖っている。
「いえ、何でも……」
まだ頭が回らない。
部屋を見渡す。
壁も床も木造。
家具は少ない。
窓から差し込む光。
見たことのない草花が束ねられ、壁際に吊るされている。
俺が寝ているベッドも、少なくとも自分の部屋のものじゃない。
「俺……」
記憶が飛び飛びだ。
暗い部屋。
三人。
光。
それから――。
「森……?」
「覚えていらっしゃるんですか?」
女の子の表情が強張った。
「いや……なんとなく」
森。
誰かの背中。
それだけだ。
「あなたが……運んでくれた?」
「はい」
女の子がほっとしたように頷く。
「森で倒れていらしたので」
「俺が?」
「はい」
「なんで森に……」
「それはこちらがお聞きしたいくらいです」
困ったように言ってから、すぐにまた心配そうな顔へ戻った。
「本当に、どこも苦しくありませんか?」
「大丈夫だと思う」
「思う、では困ります」
「え?」
予想外に強い言葉だった。
けれど怒っているわけじゃない。
むしろ、その逆だ。
「ご自分では大丈夫だと思っていても、急に症状が悪化することがあります。ですから、今は無理をなさらないでください」
「症状?」
「魔素酔いです」
「……ますよい?」
「魔素酔い」
聞き間違いではなかった。
「何、それ」
「え?」
今度は彼女が固まった。
「魔素酔いを……ご存じないのですか?」
「初めて聞いた」
「そんな……」
本気で驚いている。
俺の方が驚きたい。
「その、魔素っていうのは?」
女の子は少し迷ってから、ゆっくり説明してくれた。
「魔素は、空気中に存在している魔力の源です。私たちは普段から身体に取り込み、魔法を使う際にも利用しています」
「空気中に?」
「はい。場所によって濃さは違いますが、どこにでもあります」
「……魔法」
聞き逃せない単語が混じった。
でも、今は話を止めない。
「それで、その魔素に酔うの?」
「男性は、です」
「男だけ?」
「正確には、女性でも高濃度の魔素に長時間晒されれば身体に影響は出ます。ですが男性は、私たちよりずっと魔素への耐性が低いんです」
彼女はそこで一度言葉を切った。
俺を見る目が、また不安そうになる。
「目眩や吐き気、倦怠感から始まって、ひどくなると意識を失います。さらに魔素を浴び続ければ……」
言いにくそうに口を閉じる。
「どうなる?」
「……命に関わります」
「…………」
思っていたより重い話だった。
「だから」
女の子が胸元で両手を握る。
「あんな森の中で、男性がたった一人で倒れているなんて……」
彼女の声がわずかに震えていた。
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