第三話:「山賊と手紙」
第三話:「山賊と手紙」
1. 灰色の日常、朱に染まる山道
アルディア大陸西部――《灰哭山道》。
かつては巡礼路として栄えた街道だが、今では旅人より山賊の方が多いとも言われている。
木々の隙間から差し込む薄陽が、ぬかるんだ地面へまだら模様を落としている。
その山道を、灰色の外套を纏った男が一人。
山道は、不気味なほどに静かだった。
木々の隙間から差し込む陽光が、湿った土の上にまだら模様を描いている。遠くで鳴く鳥の声と、自らの靴が枯れ葉を踏みしめる音だけが、世界のすべてであるかのように響く。
クロード・ヴァレンティスは、人気のないこの山中を淡々と歩いていた。
肩書きは、聖輪女神教会所属の巡回一般司祭。
地方の村々を巡り、病人や怪我人を初級術で治療し、女神の慈愛を説いて回る。そして、その対価として教団への寄進を集める――それが表向きの彼の「仕事」だ。
だが、クロード自身には教義を熱心に語るつもりなど毛頭ない。
中央神殿で肥え太った司教たちが、寄進された金で何を買い、どのような夜を過ごしているかを知りすぎているからだ。
「……さて。今日の『帳尻合わせ』はどうするか」
クロードは懐から巡回報告書を取り出し、歩きながら余白にペンを走らせる。
> 街道周辺に賊徒多数。
> 巡回遅延、および安全確保のための滞留やむなし。
「よし。これで三日は稼げる」
誰に聞かせるでもなく呟く。
半分方便で、半分は本当。
実際、王国は荒廃の一途をたどっていた。
重税に耐えかねて土地を捨て、食い詰めた民が山へ逃げ込み、そのまま賊に成り下がる。そうして治安が悪化すれば、巡回司祭の足が遠のくのは正当な理由になる。
クロードにとって、この「治安の悪さ」は絶好の隠れ蓑だった。巡回を急がず、報告を遅らせることで、彼は自分だけの自由な時間を捻出している。
それは、己を研鑽するための時間だ。
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2. 剥き出しの牙
山中の、少し開けた広場。
クロードは旅の荷を降ろし、使い古した木棒を手に取った。
巡回司祭用の安物だ。
教団支給品。
見た目だけなら、ただの旅杖。
一歩。
踏み込みと同時に、空気が爆ぜる。
打突。
回転。
木棒が風を切り、鋭い風切り音が周囲の静寂を切り裂く。
その身のこなしは、教団の儀礼用剣術しか知らない騎士など比較にならない。実戦で磨かれ、無駄を削ぎ落とした殺しの技術。
木杖が鋭い軌跡を描き、岩肌を打ち砕く。
乾いた衝撃音。
砕けた石片が飛び散った。
「……悪くない」
クロードは軽く手首を回した。
教団の司祭は基本的に戦えない。
護衛騎士任せ。
魔術頼り。
儀礼剣術だけ。
だがクロードは違った。
白聖術。
蒼術。
灰術。
体術。
棒術。
短剣術。
生き残るためなら何でも学んだ。
誰かを守るためではない。
英雄になるためでもない。
ただ。
「理不尽に殺されないため」だけに。
彼は白聖術の偽装だけでなく、蒼術による攻撃魔術の制御、禁忌とされる灰術式の解析、そして徒手空拳に至るまで、あらゆる技術を独学で積み上げてきた。
誰に誇るためでもない。この狂った世界で、誰にも支配されずに生き残るための爪を研いでいるのだ。
その時。
背後の茂みから、微かな「殺気」が漏れた。
「……面倒だな。今日は休みだと思っていたんだが」
クロードは振り返りもせず、深くため息を吐いた。
茂みから現れたのは五人の男たち。粗末な革鎧を纏い、錆びた剣や斧を構えている。頬はこけ、目はぎらついた欲望と絶望で濁りきっていた。
革鎧は泥まみれ。
武器は錆び。
目だけが獣みたいに光っている。
典型的な食い詰め山賊。
「司祭様よぉ。運が悪かったな」
先頭の男が、欠けた歯を見せて下卑た笑いを浮かべる。
「その荷物の中身、全部置いていってもらおうか。ついでに看病した病人から預かってる寄進金もな。素直に出せば、命だけは助けてやるぜ?」
クロードは木棒を肩に担ぎ、冷めた視線を男たちに向けた。
「断ったら?」
「ハッ、死体から剥ぎ取る手間が増えるだけだ!」
「……素直で結構」
男が踏み出そうとした瞬間、クロードの姿が消えた。
「がっ――!?」
鈍い打撃音。一人目の男が、胸部を強打されて木の葉のように吹き飛んだ。肋骨がひしゃげる不吉な音が響く。
二人目。動揺する暇も与えず、振り下ろされた木棒が手首を粉砕し、そのまま流れるような一撃が喉元を撃ち抜く。
「な、なんだこいつは……!? 司祭じゃねえのか!」
三人目が膝を砕かれ、絶叫する間もなく顎を蹴り上げられて意識を失う。
四人目が死に物狂いで背後から斬りかかるが、クロードは半身でそれをかわし、横薙ぎの閃光を叩き込んだ。
ベキリ、と。
硬い樫の棒が男の側頭部を捉え、男は一回転して地面に転がった。
最後の一人は、もはや武器を握る力すら失っていた。腰を抜かし、失禁しながら後ずさる。
「ば、化け物……司祭の皮を被った悪魔だ……!」
クロードは無言で歩み寄る。その瞳には、憐れみも怒りもなかった。
ただ、淡々とした作業をこなすような静かな光。
――。
逃げ出そうとした男への、後頭部へ正確な一撃。最後の一人も、物言わぬ肉塊となった。
山に静寂が戻る。
数人はまだ微かに息があったが、クロードは木棒を握り直した。
賊という生き物は、一度でも「司祭に返り討ちにされた」という情報を持ち帰れば、それだけでクロードの偽装に亀裂が入る。彼にとって、目撃者は生かしておく理由がない。
鈍い音が数回。
それだけで、現場から「生命」の気配が完全に消えた。
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3. 略奪者の生活費
「……さて」
クロードは淡々と、倒れた男たちの懐を探り始めた。
小汚い金袋。数枚の銀貨と銅貨。干し肉。研ぎ直せば使えそうな小刀。
「銀貨六枚……銅貨十三……、干し肉は…質悪いな」
袋へ放り込む。
山賊相手に容赦はない。
彼らもまた、旅人から奪って生きていた人間だ。
奪われる側になっただけである。
「悪くない日当だ」
クロードは淡々としていた。
これこそが、現在のクロードの主たる生活費だった。
教団から支給される正規の給金や、巡回先で個人的に渡される布施は、本来なら彼一人を贅沢させるに十分な額だ。だが、その大半を彼は「潮鐘修道院」への支援金として流している。
「どうせ持っていても中央へ盗られる金、あの司教共の酒と女に消えるだけだ。それなら、辺境のガキどもにパンでも食わせた方がマシだ」
自分の食い扶持は、こうして「社会のゴミ」から回収すればいい。
クロードに英雄願望などない。かといって、弱者をいたぶる趣味もない。ただ、自分の手が届く範囲の「マシなもの」を維持するために、合理的に手を汚しているだけだ。
豪邸も、名声も要らない。
一日の終わりに、賊から奪った金で買ったそれなりの酒を飲み、たまに街で質の良い女を抱ける程度の余裕があれば、それで十分だった。
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4. 銀の翼が運ぶ「重たい」言葉
夕方。
山中の岩場で野営の準備をしていると、夕闇の空を裂いて小さな羽音が聞こえてきた。
一羽の白銀色の小鳥。《伝信鳥シルフェル》。
魔力に反応して長距離を飛行する、特殊な伝信種だ。
小鳥はクロードの肩に慣れた様子で留まった。彼は脚筒から巻かれた手紙を取り出す。
「……おい、また分厚くなってないか?」
差出人は、セレディア。
あの「不良債権」と呼ばれた潮鐘修道院の修道女だ。
クロードは焚き火に火を灯し、その明かりで手紙を広げた。潮風の香りが漂う。
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> **クロード・ヴァレンティス司祭様**
> この度は、潮鐘修道院の司祭職をお引き受けくださり、本当にありがとうございます。
> 中央から見放されたと思っておりましたので、貴方様のようなお方が名乗りを上げてくださったと聞き、皆とても安心しております。
> 先日送っていただいた支援金で、子供たちへ温かい食事を出すことができました。
> ここ数ヶ月、スープの具さえ満足になかった小さな子たちが、頬を赤らめて嬉しそうに笑っている姿を見て、私も胸がいっぱいになりました。
> 修道院の屋根はまだ雨漏りしておりますが、貴方様のご配慮を使わせていただき、窓枠を直したおかげで、夜の風は怖くなくなりました。少しずつ、私たちも修繕を進めております。
> リシェルは相変わらず騒がしく、今日も洗濯籠をひっくり返して私の服を海風に飛ばしておりました。
> ですが、あの子が笑っていると、修道院の空気も明るくなります。
> 最近は海風が強く、夜はとても冷えます。
> 巡回のお仕事は、この荒れた時勢では危険も多いかと思います。
> どうかご無理をなさらず、お身体を大切になさってください。
> いつか、この島で直接お礼をお伝えできる日が来ることを、心より願っております。
> 女神様の慈愛が、貴方様へ届きますように。
> 潮鐘修道院 **セレディア**
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「……長ぇよ」
クロードは毒づいたが、その口元はわずかに緩んでいた。
手紙から漂う、潮風と石鹸の匂い。そして、泥臭いまでの「生活」の感触。
洗濯籠をひっくり返すリシェルという娘。それを苦笑いしながら見守るセレディア。
会ったこともない彼女たちの姿が、鮮明な情景となって脳裏に浮かぶ。
中央神殿で耳にする、教義の言葉遊びや権力闘争の陰謀に比べれば、この稚拙なまでの感謝の言葉は、どれほど「マシ」なことか。
クロードは荷物から粗末な紙と羽根ペンを取り出した。
返事は適当に返す。女神の教義にでも沿って書けば楽だ。
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> **潮鐘修道院 セレディアへ**
> 女神の慈愛は、常に敬虔なる者へ注がれる。
> 日々の祈りを忘れず、助け合いの心を持つように。
> 支援は今後も可能な限り継続する。
> 雨漏りについては、次の巡回報告の後に改めて手配を考える。
> 女神の加護を。
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数秒で書き上げた、あまりにも味気ない定型文。
だが、それが今のクロードができる精一杯の「誠実さ」だった。
彼は手紙を伝信鳥の脚へ括り、夕空へと放つ。
白銀の羽が赤く染まった雲の中へと消えていく。
「……さて。明日も賊が湧いてくれるといいんだがな」
自嘲気味に呟き、クロードは焚き火を見つめた。
まだ見ぬ辺境の地。
そこには、彼が守り続けている「普通」という名の偽装を、根底から揺さぶるような何かが待っている気がしてならなかった。
(第三話・完)




