幕間四【画像あり】潮鐘修道院の静かな日々
## 潮鐘修道院の静かな日々
フェルナ群島の朝は早い。
海から吹く潮風が、古びた石造りの修道院の窓を揺らし、遠くで鐘の音が静かに響く頃――。
セレディアは既に中庭へ出ていた。
白い修道服の裾を揺らしながら、井戸の縄をゆっくりと引く。軋む滑車の音と共に、冷たい水を満たした桶が持ち上がった。
「重くない?」
後ろから近寄ってきたリシェルが、桶へ手を伸ばす。
「大丈夫ですよ。リシェルは昨日、遅くまで薬草の整理をしていたでしょう?」
「大丈夫よ、私が運ぶわ!」
そう言って率先して働こうとするリシェルに、セレディアは小さく笑った。
「さあ洗濯と料理を終わらせよう」
修道院の一日は、こうした地味な仕事の積み重ねだった。
厨房ではパンを焼く香りが漂い、洗濯場では白いシーツが海風にはためく。読み書きを知らない子供には文字を教える。
華やかな奇跡も、神秘的な事もない。
あるのは、人が生きるための日常だけだった。
◇
昼前。
二人は修道院裏の小さな薬草庭園にいた。
石壁に囲まれた畑には、ラベンダーや薬草が整然と植えられている。
「これは乾燥用に分けましょう」
セレディアが丁寧に葉を摘み取る横で、リシェルは籠を抱えてしゃがみ込む。
「最近、怪我人が増えたね……」
「海賊被害の影響でしょうね」
群島周辺では、近頃になって賊船の噂が絶えなかった。
港町から戻る漁師が怪我をして運ばれてくることも多い。
セレディアは薬草を束ねながら、静かに目を伏せた。
「だからこそ、私たちが出来ることをするしかありません」
その声音は穏やかだったが、どこか強い意志を含んでいた。
◇
午後になると、二人は港町へ買い出しに向かった。
石畳の市場には魚介の匂いと人々の喧騒が満ちている。
「わぁ……今日は果物が安いよ!」
リシェルが嬉しそうに籠を抱える。
「おぅ!ねぇちゃん達!こっち来い!サービスするぜ」
セレディアやリシェルはオジサン達にサービスされる事が多い。
「ありがとうございます」
少し身体を見られるが、いつもの事であり、物資を頂けるならとサービスを受ける事も多いセレディア、対して警戒しがちなリシェル。
「こらオジサン達!ジロジロ見ない!」
「ははは!そりゃ無理ってもんよ!」
闊達な笑いを放つオジサン店主も島にはいる。
その後のセレディアは、乾燥肉や薬品の値段を真剣な顔で見比べていた。その隣で別な甘味を真剣な表情のリシェルもいる。
「こらリシェル、無駄遣いは禁止ですよ」
「えぇー……」
「クロード様のお心遣いを無駄には出来ません」
そう言いながらも、セレディアは小さな焼き菓子を一つ手に取る。
「…くすっ…でもクロード様なら…身体を健やかに育めと、これくらいお許しになるでしょう…半分こですよ?修道院の皆にも買っていきましょう」
「うん!良いねセレディア!そうだよ!さすがのクロード様だよ!」
リシェルの顔がぱっと明るくなった。
◇
夕方。
礼拝堂には、静かな祈りの光が差し込んでいた。
二人は長い柄のモップを手に、石床を磨いていく。
色硝子越しの夕陽が床へ赤く映り込み、水に濡れた石が淡く輝いていた。
「毎日掃除してるのに、すぐ汚れるね」
「皆が集まる場所ですから」
セレディアは微笑みながら答える。
その時、外から鐘の音が響いた。
一日の終わりを告げる鐘だった。
◇
夜。
島の診察室では、怪我をした漁師が眠っていた。
診察を手伝うリシェルが慎重に包帯を巻き直し、セレディアが薬湯を整える。
「熱は下がってます」
「良かった……」
二人は顔を見合わせ、小さく安堵した。
窓の外では、群島の海が月明かりに照らされている。
穏やかな波音だけが、静かに響いていた。
戦乱も陰謀も、教団の腐敗も。
この瞬間だけは遠い。
潮鐘修道院には、確かに“人が生きる日常”が存在していた。
> クロード様へ
> 潮鐘修道院修道女
> セレディアより
改めて、お礼をお伝えしたく筆を取りました。
この修道院は、私達の信心が足りないからか、中央教団から半ば見捨てられていた場所でした。
フェルナ群島は辺境で、海賊被害も多く、寄進も集められず、中央へ送る額も少ない。
老朽化した建物の修繕申請も放置され、薬品の補給は止まり、荒廃した国土により、孤児や、孤児から成長する事により抱えてしまう、修道女の人数だけが増えていく。
以前は、この冬を越せるかどうかを心配していました。
雨漏りする寝室。
足りない包帯。
港町まで往復して育てた薬草を売り、どうにか灯油代を捻出していた日もあります。
中央の司教様達は、「辺境修道院は信仰心で耐えるべき」と当たり前の事しか仰いませんでした。
ですから――。
最初に、クロード様名義の送金通知が届いた時、皆、驚いていたのです。
しかも、一度きりではなく、継続して。
驚く程潤沢な時もあり、
確実に修道院が生き延びられる額でした。
壊れた井戸を直せたのも。
礼拝堂の窓を修繕できたのも。
冬用の毛布を買えたのも。
皆や、私を、海賊達の欲望から守ってくれる地下室を作れたのも。
全部、クロード様のおかげです。
それなのに、クロード様は一度も恩着せがましい事を仰らない。
送られてくるのは、事務的なお言葉と、女神様の使途として、信心深い教義ばかりです。
『女神は勤労を尊ぶ』
『節約は敬虔の第一歩』
『身体を育み健やかに過ごす事』
……最後の一文だけ、毎回少し増えているのを私は知っています。
おそらく、私達に配慮しようと心遣いされてくださっているのでしょう。
リシェルは「絶対クロード様、適当に書いてるだけ」と言っていますが、私は違うと思っています。
本当に無関心なら、辺境修道院のためにお金など使わないはずです。
クロード様は、きっと――。
助けを求める声を、見捨てられない方なのだと思います。
修道院の年少組を優先していたのために、最近私もようやく冬服を新調できました。
皆、心優しい子達です、とても喜んでくれました。
あの子達はまだ、自分達がどれほど救われているのか分かっていません。
ですが私は知っています。
この場所が、今も修道院として残っているのは、クロード様が手を差し伸べてくださったからです。
だから、ありがとうございます。
直接お会いしたことはありません。
それでも、潮鐘修道院の皆を代表して、感謝をお伝えします。
どうか、なによりご自身のお身体も大切になさってください。いつかお会いできる日を楽しみに待っております。
セレディアより




