スタンピードの危局⑤
「これだけの大人数が、命がけで頑張っているのに解決できない獣害を、魔法使い一人が介入したところでどうにもできない。獣害がどういうものかわかってるからこそ、自分の無力さもよくわかってる」
外部に助けを求めること自体が深刻そのものなのに、彼らの過酷な現状はそれに拍車をかけている。
コメット一人で百人以上の働きができたなら話は違っただろうが、布団をこしらえるならともかく、戦いにおいては彼らの妨げにしかならない。
「私に何かできるとしたら、みんなに一晩ゆっくり休んでもらう時間を作ることくらい。だから今夜任せてほしい。みんなが明日もまた戦うための力になりたい」
誰も頷かないが、否定の言葉も飛んでこない。彼らは集団で活動しているからこそ個々による決断はしない。だからこれで充分だ。
「みんなのリーダーに許可もらえたら、問題ないよね?」
「……そうだね。兵長が決定したなら異論は出ないと思っていい」
ジェラルドの答えに倣うよう兵士たちが頷く。その表情には微かな希望を滲ませている。このくらいの期待なら、心地よくやる気をくすぐってくれる。
コメットは満足げに微笑み、取り出した杖を伸ばして飛び乗る。
「じゃあ、今から許可もらってくるねー!」
スキップの代わりに空中で一回転して、地上の彼らに手を振りながらトーマスが向かった方向へ飛んでいく。
「――――というわけで、今夜はみんなでゆっくり休んでて」
拠点のテントに向かいながら、ジェラルドたちに話した内容をトーマスたちにも同じように語った。
トーマスを含めた兵士たちの視線が一人に集中する。彼がリーダーである兵士長なのだろうと察したコメットも口を閉じて答えを待った。
そして兵士長は重々しく頷く。
「……わかった。魔法使い、お前の意見に沿う」
「い、いいんですか? 兵長」
「退くにしろ残るにしろ、夜明けを待つのが賢明だ。ここにいる全員疲弊している。待ってる間に回復に専念できるなら、願ってもない」
どうやら撤退目前だったようだ。驚きを浮かべつつ、コメットはひそかに胸を撫で下ろした。彼らの現状を知って放置して離れるのは、さすがに寝覚めが悪すぎたから。
「だが、休むのは俺以外の全員だ。お前の実力を妄信するつもりもなければ、犬一匹に命を預けるつもりもなグフッ!」
「わふー!」
コメットの後を追ってきたフロストが荷車に飛び乗り、寝転がっていた兵士長の腹に前足を乗せた。そのままよじよじと腹を合わせるように位置を調整し、前足で肩を押さえつけながら圧し掛かる。まるで起きるのを妨ぐように。
「あーあ、フロストの前でそんなこと言うから。そりゃそうなるよ」
「わぅわぅ」
「……なんだこの犬、特殊な調教でもしてるのか……?」
「フロストが天才なだけだよ。まぁ失言の代償だと思って、テントに着くまではそのままでいさせておいて。それでいい? フロスト」
「わん!」
「チッ……本当にさっきから、わけわかんねぇことばっかり、しやがって、……、…………。……………………」
ガラガラガラ。ザッザッザッ。
荷車のタイヤが転がり、複数の足音が不規則に重なる。一行がテントの前に到着するまでのわずか数分、その音の中に寝息が混ざっていた。
添い寝していたフロストは荷車が止まると兵士長の上から退き、寝顔をじっと見下ろし、満足げにふー、と一息ついて尻尾を振る。
「フロスト、お前すごいな? 兵長をおやすみ三秒しちまった……」
「ふふん、フロストのおなか湯たんぽに抗える人間なんていないからね。まぁ怪我とか疲れとか、色々重なったからだろうけど。それで、テントに着いたら起こすなんて約束はしてないけど……起こす?」
「……いや、このままテントに運ぼう。あとで怒られそうだけど、誰よりも疲弊しているのは兵長だと思うし……ちょっとでも、休んでほしい」
コメットとトーマスの小声の会話に、他の兵士たちも同意するように頷く。
簡易担架で運ばれていく兵士長に付き添うつもりなのかフロストが後を追いかける。その背中にギリギリ届く声量で「みんなのことよろしくね」と声をかけると、尻尾を振って応えてくれた。
寝かしつけから起こさない配慮までできるなんてすごい子だな、とコメットは心の中で愛を爆発させる。
「……でも、本当にコメット一人だけで大丈夫なのか?」
不安や後ろめたさ、期待と疑念、心配を隠し切れない確認だった。
トーマスの反応が当然なものとして受け止めたコメットは、少し考えてから首を横に振る。
「んー、だめ。そんな声かけだとやる気がなくなりそう。もっといい感じにかっこよさげなのがよかった」
「っとに……! 人の心配を茶化しやがって!」
冗談を言えるくらい余裕があるのだと言わんばかりに胸を張れば、破顔するトーマスにコメットも安心して顔を緩めた。
「……あ、そうだ。このあたりに他の人はいないかとか、特に気を付けたほうがいい方向とか聞いておきたかったんだけど、トーマスは何か知ってる?」
「コギー村の住人は全員避難してるし、この周辺の立ち入りは規制されている。コメットみたいに規制と危険を無視した奴は他にいない、と思う。思いたい。……で、気をつけたほうがいい方向は、兵長が向かった西の山……あそこが特に酷かったらしい」
トーマスが指差した先に視線を向ける。周囲の薄暗さと遠目ではっきりと見えないが、緑が少なく土が露出しているだけで、何の変哲もない禿山に見える。野生動物が大量に住み着いているとは思えない外観だ。
「だけど、両隣の南北の山も野生動物が溢れてて、危険な状態だってことは変わらないみたいだ。このままだと収まりきらなくなった動物が大移動を始めるって……」
「駆除するより繁殖するほうが早いってこと? そんな馬鹿な」
「馬鹿げた話だとは思う。だけど、本当にそうだとしか思えないほど数が減っている実感がないらしい」
なんだそれ怖すぎる。
十年以上前、家の柱を齧る虫が駆除しても沸き続けたおぞましい光景が脳裏に蘇る。相手が虫でも根深い恐怖が残っているのに、こちらは害獣サイズ……。背筋が凍るような寒気がして思わず肩が震えた。
引き結んだ口の奥に本心を隠し、コメットは神妙な顔で頷く。
「ありがとう。常識が通じないって意味で、より警戒しておく。しっかり気を付けるから、トーマスもゆっくり休んでてね」
「……こちらこそ、本当にありがとう」
トーマスが腰に差していた短剣を取り出し、革の鞘に収めた状態のそれをコメットに差し出す。意味がわからず「貸してくれるの?」と問うと、「貸してもいいけど、違う」とトーマスは笑う。
「兵士は戦地に赴く時、互いの武器を合わせて誓いを立てるんだ。功績を立てると意気込むため、作戦の成功を願うため。今回は無事帰還することを誓ってくれ」
「……えー、本当にちょっとかっこよく見送ってくれるんだ」
嬉しくてつい軽口が出てしまったが、今度は茶化すなと怒られず短剣を突き出される。コメットの手元に武器と呼べるものは魔法使いの証である杖くらいだ、その先端を鞘に当てる。
「誓う。俺はこの場で勇敢たる魔法使いの力を信じ、帰還を待つ」
「誓う。私はこの場に残る全ての兵士の安寧を守り、夜明けと共にここに戻る。……こんな感じでいい?」
「いいけど、しまんねぇなぁ」
ケラケラと二人で笑ってから、差し出された短剣を受け取る。使い道はなさそうだが、必ず返す意味合いを込めて丁重に預かった。
「じゃあ行ってくるね。少し余裕がある人がいたら、フロストのこと気にかけてくれると嬉しいな」
そう言い残してコメットは杖に乗って再び宙に浮かぶ。見送りで手を振ったトーマスに手を振り返し、さらに高く上昇する。
誰も聞かれない高さまで到達した瞬間、大きく大きく溜息を吐いた。
「…………は、ぁぁぁ~~緊張したぁぁぁ!」
夕焼け色の空はすっかり夜の紺色に変わっていた。淡い月と控えめな星明かりは、コメットの情けない表情と感情に伴った青白い顔色を隠してくれているようだった。
(だ……大丈夫かな本当……いや、空飛んでる間は絶対襲撃も反撃もされないだろうけど、本当に本当に、大丈夫かなぁ……!?)
尋常ではない早さで増え続ける野生動物による謎の重大獣害事案。
一個人の手に負える規模ではない事態に、関わるどころかど真ん中に立ってしまったコメットは、どうしてこんなことに、と今更頭を抱えた。
次回イオス(元恋人)視点が入ります。




