15話 最下層と本
改めて、レティシアは思う。
――人というだけでは信用に値しないと。
大事なのはいつだって外見でもの外面でもない。内面こそが人を人たらしめるのだ。
醜さを嫌った。
人が持つ、薄汚い欲望が嫌いだった。
美しいものが好きだった。
人を救う明るさが、打算のない優しさが好きだった。
だから人が嫌いだった。
生きるために何かを喰らい、それを悪いこととは思いもせず、感謝もない。そんな悪逆を繰り返す怪物が幼い頃のレティシアには震えて竦んでしまう程に恐ろしかった。
余白しかない心には傲慢な心が芽生え同胞を庇護者を、そして最後には幼子を貶める。
自己の欲望にしか直視しない、誰かを理解しようとしない。
そんな姿が嫌いだったから、レティシアは人を寄せ付けなかった。
きっとそれはある種の自己防衛だったのだろう。
……けれど、それももう要らなくなりつつある。
嗚呼、醜い、醜い、世界とはなんと醜いことか。
きっと彼らは何も見定めようとはしていない。只々、下を向いたまま誰かが描いた線路を歩いているだけだ。
そう、だからレティシアの結論は変わらないのだ。
「ならば私も歩きましょう。私が選んだ道を――貴方達の血で彩られた復讐の道を」
再び、何かの屍を踏みしめて歩く。
決して、後ろを振り返る事なく――。
■■■
最下層の扉を開けた先、レティシア達はただ広い部屋を見た。
「ここが目的の場所、ですか」
「たぶんな」
「……」
三人は中に入り、警戒しながらゆっくりと部屋の中を歩く。
「……何もないな」
「はずれでしょうか」
「そうかもしれないな……ん? あれは…」
ルネが指さしたのは最奥にある石机だった。
「あの上に、何か置いてある」
「……確かにありますね。あれは……本、ですか?」
「ああ、何らかの紙の束であることは間違いない」
「行くぞ」とルネが先導して石机に向かう。
しかしレティシアはナーザリルトが途中で立ち止まっていることに気が付き、振り返る。
「ナーザリルトさん、どうかしましたか? 先へ行きますよ」
「……」
「ナーザリルトさん?」
ナーザリルトに呼びかけても一向に返事はなく、部屋を観察するように遠い目をしていた。
「……っぁ」
ようやくこちらを見たその時、引き攣るような驚きの呻きを上げ、そして感涙しそうな顔で石机を見詰めていた。
その顔を見たレティシアはここがナーザリルトにとって思い出深い場所なのだと察した。
この場所に来たのは半分は自身のためだがもう半分はナーザリルトの為だ。だから、気が済むまでそっとしておこうとレティシアも部屋をもう一度観察する。
床も壁も扉と同じ金属で出来ていて、通路や館本館とは耐久性は桁外れだろう。
(この天井の広さ……)
不可解に思った。
あれだけの通路を作っておきながらこれほどの空洞が作れるものなのかとレティシアは疑問に思いジッと天井を見つめると、魔力の残滓を感じ取った。
(魔力の残りがある。ということは、この場所にはトルソーの変覚が掛けられている?)
今すぐナーザリルトに確かめさせたかったが、そんな状態でないことを思い出し、後の作業とする。
(これでトルソーの魔力が掛けられている所は三つ目ですね。他との共通点または相違点はどこでしょう?)
こういった比べられる対象がある場合、同じ所か違う所を探すのが基本だ。
今回の場合は魔力がある物ではなく、その周りまたは環境の違いを探すべきだ。
レティシアは考える。
(私の感想として、この地下最下層は敵の捕縛用に作られているように思える)
なら、だ。
(ひとつ、『幻蝕結界』は隠すためのもの。ふたつ、書斎は開かせないためのもの。そしてみっつ、地下は出さないためのもの)
この情報の中でレティシアはひとつの仮定を想像した。
――その時、トンと肩を叩かれる。
「大丈夫か? そろそろ進むぞ?」
ピリッとした緊張感を持ちながら話すルネの後ろにはどこか嬉しそうなナーザリルトの姿がある。どうやらレティシアが思考の渦に呑まれている間に感傷の時間は終わっていたようだ。
「……わかりました。ですがその前に天井の魔力はトルソーのものですか?」
「天井……」
ナーザリルトが上を見て目を細めるがすぐに視線を逸らして頭を振った。
「これは、トルソー様の魔力ではありません」
「ん? ならこの場所の作成には協力者がいるのか」
「それが妥当ですね。魔力を残した人に心当たりは?」
「ないですね。私がトルソー様以外にあった人は一人だけですが……それも一度、トルソー様が出て行ったその日だけでしたから」
「……なるほど、ありがとうございます」
トルソーのことを思い出したのだろう。ふっと暗い顔をしたナーザリルトをさらりとスルーして「では行きましょうか」とテクテクと先を歩いて行った。
特に反論もなかったルネは一言ナーザリルトに呼びかけて後に続く。
「――やはり本でしたね」
石机の前に辿り着いたレティシア達はその上にある埃を被った本を見て安堵していた。さすがに此処まで来て何もなかった場合のことを片隅にでも考えていたので心にクるものがあったのだ。
「あぁ、でもそれ以外は……なさそう、だな」
「ええ、残念ですが」
辺りを見回しながらルネが言うとレティシアもまた残念だと石机を撫でながら首を縦に振った。
「ま、せっかく見つけた収穫だ。取り合えずこの本を閲覧しようか」
「そうですね。私も中身が気になります」
「……お願いします」
「それじゃあ」とルネが表紙を開こうとしている間にレティシアはナーザリルトを一瞥した。
嫌に緊張感を持った佇まいで、ふとした拍子に倒れてしまいそうな危うさもレティシアの瞳には感じ取れていた。
だがもう止められない。
知りたくて仕方がないモノを確かめる為にナーザリルトはこの場に来たのだから。
そしてそれはレティシアも同じだ。
(……どうか、生贄術のことが載っていないように)
願うことしか出来ないが、そう思った。
“――始まりはたった一人の女性に出会ったことだろう。ジクニア王国の公爵家に生まれた私は家の為に成長し、結婚して、生涯を終える。その為に生まれてきた事を知ったのは一体いつだっただろうか。”
最初の一文でルネ達はこれが何なのかを理解した。
「なるほど、これはこの館の主の日記だったか」
「ええ、それにトルソーさんが貴族とは思いませんでした。てっきり騎士や重役に近い使用人あたりだと考えていたのですが……」
「そうか? こんな大きい館が建てられたんだから貴族でもおかしくはないと思うがな」
「……昔の貴族は違ったんですよ」
「早く読み進めましょう。先が気になります」
「そうですね。レティシアさん、続けるよ」
ふと気になることをレティシアが言っていたが後回しにして視線を日記に戻した。
“他国のあちこちで戦争の爪痕が散乱している今この時でさえ、私達は傍観しているだけだった。それをジクニアの貴族は愉快だと笑い、悲しいと嘯き利用していたのを私は忘れない。全てが終わった今、私だけは忘れないのだ。”
読み進めてわかるのはジクニア王国は数百年前も極めて安定した国であったことだ。しかし現在も事実として語られているジクニア王国の歴史は他国からの侵略が激しく苦難が多かったと知られている。そのためどうにもトルソーの話とは嚙み合わないとレティシア、ルネは目を合わせたが二人にはあまり関心がなく、すぐに興味を失った。
過去の話など、今を生きている二人には関係のない話だからだ。……例え、それが受け入れがたいことだとしても所詮は他人ごとなのだ。
次のページへ続く。
“冒頭にあったひとりの女性――フラネラは子爵家の令嬢だった。”
「子爵とはなんでしょう?」
今度はナーザリルトからの疑問の声だった。
レティシア達としては知っていて当然の知識であったが、トルソーからは教えられていなかったらしい。
(トルソーはナーザリルトさんを外に出すつもりがなかったのか、それともまだ早いと判断していたのか……)
どちらにしても知識を伝えないのはいただけないな、と日記の文字を少しだけ擦りながら考え、質問に答える。
「貴族の階級のことですよ。最上位の王族から始まって次点から公、候、伯、子、男と持つ権力が変わります。貴族は上の階級ほど治める領地が大きかったり、国での影響力が高かったりしますね」
「では王族の領地が一番大きいのですか?」
「いえ、それは一概には言えませんが……ここ、ジクニア王国の王族は領地に関しては上位貴族――公、候、伯のことですね――の方が大きな領地を持っています。ですが、国内外ではどちらも権力は王族の方が上ですね。まぁ王族ですので当然と言えば当然なんですけど」
「……ややこしいですね。しかしなるほど、それは将来が心配です」
ルネからの説明にナーザリルトはすかさず制度に対する欠点を指摘した。
「……ええまぁ、それがこの制度の悪い所ですから。どうしようもありません。……続けましょう」
それに対してルネは苦笑するしかない。
歴史的に何百年も貴族階級の人間が治めているのだ。今更国としての制度を変えることなど出来ないだろう。もしそんなことがあるとするならと思考を回しかけたが、もういいだろうと閲覧を促した。
そして物語は続く。
“彼女は誰もが目を惹きつけるような容姿もしていなければ、才媛と呼ばれる程賢くもなかった。なら何故好きになったのか、それは私にもわからない。ただ、いつの間にかそうなっていたのだ。理屈では語れないものを、この時初めて私は知った。”
「理屈では語れない、か。……共感できる言葉だ」
「……そうですね」
“しかし私の恋は一瞬にして朽ち果てた。彼女には婚約者がいたのだ。当然だろう、爵位が低くとも貴族だ。私のように時期を見計らっている類の子息でなければ残るは問題のあるものと認識される。彼女の両親はそれを嫌ったのだ”
“ただ、それだけなら……婚約者がいる程度なら、私も諦めることはなかっただろう。私が諦めざる得なかったのは彼女が原因ではない、その伴侶にあった。彼の名前はクロウ・アーテリア。私の――親友だった男だ。”
“それから私は失意の念に呑まれ、自暴自棄とはいかなくともそれに近い状態でなっていた。周りからどう見えていたかは分からないが……少なくとも人当たりはよくなかったことは確かだったろう。”
後は、自身の行いへの後悔ともいえない心情がただ書きつられていた。
願ったのは愛を知った彼女と共にいることだけ。それだけがどうしようもなく叶わなかった。本当に、それだけの独白――それがトルソーという男の始まりだった。
あとの物語は落ちていくように簡単だった。
無為な人生、動かない感情、過ぎり続ける欲望。それらに惑わされて苦しみ続ける話。
しかしトルソーが二人の幸せを祈っていたのも本当だった。
愛した人と信じた人。幸せであれと願うことはトルソーの暴走を止める一助となっていたのだろう。
だからこそ、トルソーも決断したのだ。
そして場面が飛んで、この館のことが書かれていた。
その間にあったページは破かれた跡がある。おそらく何らかの拍子に破れたか、トルソー本人が見せたくない日々だったのか、それはわからない。
さらにページは進む。
“今日からこの館に移り住む。貴族を止めて、一生を過ごせるだけの金を持ってここまで来たがどうだろう。今までは簡単に出来ていたのにこの館まで辿り着くのに以前にはない苦労をした。そして、私はたくさんの人に支えられていたことに気付いた。いや、より深く実感したと言った方が正しいだろう。自身には気付かぬ傲慢があったのだと振り返るいい機会だと思った。いつか、支えてくれた者たちに何らかの贈り物でもするべきか。……考えておこう。”
“館での生活にも慣れたが、最近魔物の出現が多い気がする。魔王でも発生したのだろうか。情報が足りないのでここからは以前調べていた情報から成る、予測とも付かない思考の羅列だ。私が王国に居た頃――旅立つ数か月前から魔物の出現が多くなっていると報告を受けていた。そのため必要な対処のために国周辺および他国の国境付近を調べさせたのだがその全ては国内で発生したものではなく他国から流れ込んだ魔物が大半だったのだ。飛躍しているが私は戦争に参加しない――否、望んで地獄を作ったにも関わらず日和見しかしない本国を最前線へと引き摺り出すための他国の戦略だと考えいる。まぁ、予測の域をでないのは魔物をどのようにして本国に流し込んだのかわからないからというのが大きいが……何にしても悪辣にして効果的だ。”
“今日、変覚が目覚めた。『精神付与』というらしい。この力で一体どんな事ができるのかは分からないが……それでも折角得た力だ。大事に使おうと思う。”
特筆して動揺することもなくレティシア達は読み進めていたが、次のページで場所はそれぞれが場所が違えど、動揺を露にした。
“……ある日、誰かが館を訪れた。私は決してその者の素性を隠そうとはしていない。ただその誰かは『誰か』としか認識できなかったのだ。『誰か』は私にとある秘術を教えてくれた。どんな願いも叶う秘術を。その時私は一つの計画を思いついた。私はフラネラを手に入れることは出来なかった。それがひとつの心残りであることは貴族を止め、俗世への関わりを止めてからも変わることはなかった。だから作ろう。――新しい、私だけのフラネラを。”
それからは言葉にしなくともわかるだろう。
ただトルソーが『フラネラ』を創るためにこの地下で弄んだ命の記録。それだけがあった。
その記録を読み解いていく度に、全員の顔は険しくなっていく。
なによりナーザリルトの顔は人形にはないはずの顔色が変わっているようにすら見える雰囲気を纏っている。いかにも死にそうな、そんな言葉が語れそうなほどに。
“これが、最後のページとなる。私の愛しいナーザリルトはもう十分育った、あとはもう大丈夫だと思えるほどに。だから私も『最後』を終わらせよう……私は、余りある不幸を見逃し過ぎた。この世に冥府があるのだとしたら、私はそこに落ちることは間違いない。しかしそれもいいだろう。私はもう十分に、『幸せ』だった。〓〓〓〓〓〓がそばにいたのだから。”
そこでこの日記は終わっていた。
「「……」」
「……」
三人は一様に沈黙する。
レティシアは険しい顔をしたまま、消沈した面持ちで本を閉じる。
(これでは、あまりにも救われなさすぎる)
今までナーザリルトが感じてきた苦悩、苦痛、不安は共にいた時間の少ないレティシアですら途方もなく大きいと知っている。その全てが報われないと、単なる独りよがりであったと断じられた事がレティシアの心に重しを背負わせた。
トルソーが望んだのはナーザリルトではない。フラネラだった。
その完成形がナーザリルトであっただけ。
ああ、嗚呼! 報われない。救われない。
「……」
ただ、ナーザリルトは沈黙するのみ。
最後のページが閉じられたあともその裏表紙を呆然とした瞳で見つめていた。
レティシアもルネも語りかけれる言葉は持っていなかった。
――だがこの状況にも変化があった。
パリン。
大きな音ではなく、直接耳に届くような不可思議な音が三人に響いた。
「何の音だ?」
「そんな――これは!」
呆然としていたナーザリルトは上を向きながら、あり得ないことが起きたと言わんばかりに驚きの声を上げた。
「ナーザリルトさん、何があったのですか?」
状況を聞いたレティシアにナーザリルトは聞かせる気がないように言った。
「『幻蝕結界』が――破られた!」
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