13話 変わらない決意
姉である人形と戦っている最中、ナーザリルトは生まれた瞬間を思い出す。
最初は、とても冷たかった。
なぜここにいるのかわからなくて。ひとりぼっちな気がして、寂しさに震えていたのを覚えている。
どこもかしこも暗くて、光はなくて、全面が壁に包まれている。恐らく地下と呼ばれる場所だろう。知らないのに、なぜだかわかった。
――やあ、はじめまして。
震えていると声が聞こえてきた。
とても温かい声で、怖くて前を向くことができなかったのに、不思議と顔を上げることができた。
見知らぬ男。
けれど、その姿はよく見知っているようで。懐かしくて、悲しくて、嬉しくて……安心した。
――私の名前はトルソーという。これからよろしく頼むよ……ナーザリルト。
それがナーザリルトの始まり。
トルソーの後ろについて歩き、いつか隣に並びたいと願っていた記憶が薄れるほどの、昔の話だ。
■■■
全力の右ストレートを躱され、チクチクと攻撃をされたナーザリルトは一旦冷静になるために距離を置いた。
(攻撃はともかく、回避の仕方が厄介ですね。これでは戦いになりません)
ナーザリルトも戦いが開始した時点で、性能的観点から勝てることはわかっていた。
そしてこのまま続けていればいずれは回避の癖を見抜き、勝利を手にするだろう。それは簡単に予測することはできた。
……しかし、今は思う。
(本当に、私は姉を終わらせるべきなのでしょうか……)
レティシアにも、そして恐らくルネも人形を直すことは出来ないと言った。
ナーザリルトよりも数段賢い二人が言うのだ。今この場に、人形である姉を直す手立てはないのだろう。
だが数年後、もしかしたら数日後、ひょんなことから見つかるかもしれない。そう思うと手足が竦んだ。攻撃の手を、自らで緩めてしまうのだ。
情けない。
戦うと決めたにも関わらず、あまりに小さい可能性を見つけてしまえば揺れてしまえるその覚悟が、ナーザリルトにはとても情けなく思えてしまう。
「私は、どうすれば……」
情けなさが溢れて、どうしたらいいのかわからなくて、自然と口にだしてしまう。それは普段なら絶対にしないことで、また情けない思いが増していく。
しかし、その時だ。
――ぴたりと人形からの攻撃が止んでいた。
なぜ、どうして、と疑問が頭の中を回る。
姉は、無形に組み合わさった身体のまま、ばらばらの目でナーザリルトを見ている。
水晶で出来た目には感情は見受けられない。だがナーザリルトにはその目は凪いで見えていた。それが、ナーザリルトにはどこか期待した瞳に見えたのだ。
そこで思い出す。
(レティシア様には”終わらせろ”と言われましたが、殺せとは言われていません)
そうだ。レティシアは一言もそんなことを言っていなかった。
だから、それは一つの天啓のようにナーザリルトの決意に沁み込んだのだ。そして再び、いや……今度こそ変わらない決意を誓う。
「私が、救ってみせます。誰でもない、この私が!」
新たな決意を胸に再び、ナーザリルトは戦いに身を投じた。
――かち、かち、カリッ、かち
人形も人ではありえない場所に付いた手足を回転させて殺意を高めている。しかしそんなことは問題にならない、とそれでも前傾姿勢のまま懐へ飛び込む。
回転した手足が分解され、四方からナーザリルトを狙う。
それをひとつを軽く横に躱し、ふたつを更に前傾になり回避、みっつを急速停止して独楽のように回り、避ける。
そして最後は頑丈な身体を使い、心臓を狙った腕を横から掴んで無理やり逸らす。
すべてを超えたナーザリルトはようやく人形の懐へ入った。
(トルソー様が、確か私には命を保つ核がある。そう仰っていました。なら!)
ナーザリルトにあるのなら、お姉様にもあるのではないか?
確証もなく、全ては妄想の内でしかないその仮定に、ナーザリルトは全てを賭けた。
左足を踏み入れて、下から拳を振り上げる。その会心の一撃は床を踏み抜き、打撃音ではなく硬いものが爆散したような音が響き渡る。それはナーザリルトの攻撃の凄まじさを表していた。
「……これは」
ナーザリルトは思わず驚嘆する。
――人形は全くの無傷。
かすり傷すらない浮かんだ身体は即座にナーザリルトに反撃を加える。それを腕で叩き落としながら距離を取った。
あの攻撃でも無傷でいられたことに、更なる警戒を持って原因を考えた。衝撃音が辺り響くほどの破壊力でも壊れない頑丈さと、どこか見覚えのある素材。ナーザリルトにはひとつだけ心当たりがあった。
(私と同じ素材、ですね。素材の優劣がないから力で圧倒できてもダメージにはなり得ない)
そう、人形を傷つけられなかったのは単にナーザリルトに使われている素材と同じであり、そしてそれが頑丈だったからだ。その素材は衝撃を受けると反発する性質を持っており、つまり打撃で倒すのは難しいことを示していた。
(あれを傷付けるには斬撃か魔法が一番ですが……)
ナーザリルトの手には剣などはなく、魔法も使えない。使えそうな物が落ちてはいないかと辺りを見回したりもしたが、何もない。
やはりこのまま戦うしかないと先程より深く重心を落として構える。確かに打撃系は有効打になりにくいが、にくいだけである。損傷自体は極微小ながら、あるのだ。なら単純に壊れるまで叩くだけ。それだけがナーザリルトの持つ手段で、相手からすれば厄介でしかない戦術であった、
数舜あと、ナーザリルトが打ち合いだけで終わらせようと動かないことを察したのか、人形は手足を高速で回転させながら迫る。
至近距離に達しても動こうとしないナーザリルトは人形は右腕を回転させたまま射出する。勢いよく飛ばされた右腕はナーザリルトを刺し貫こうと迫り、あと数秒で当たる。とその時、ナーザリルトは左手を前に突き出し、その側面に触れる。ほんの少しだけ、流れに逆らわない程度に進路を変えられた右腕はナーザリルトの顔の横を通り過ぎていったのだ。
上手い、とルネの言葉を皮切りに、相手に気付かれない歩行術で近づき目にも止まらぬ素早く、重い連打が繰り広げられる。
それはあのリビングでレティシアがしていた動きに酷似していた。戦いの最中には追いつけなかった動きにナーザリルトはここに来て成し遂げられたのだ。今、この技術を使えることにレティシアに感謝し、攻撃に没頭する。
胴体、腕、足、各関節部に首と眼球。様々な急所を狙いながら連打は止まらない。
数百回ほど殴り終えた頃だろうか、人形の身体からピシリッ、と音がして胴体に亀裂が確認できた。
ようやく出来た弱点にナーザリルトは目を鋭くして亀裂を重点的に狙っていく。
しかし人形もやられたまま、何もしないわけにもいかない。
手足を分解して攻撃、胴体を分解して回避、回転をつけ貫通力を上げた抜き手など、常人が相手なら黄泉の国へ一直線の攻撃を繰り出し続けた。しかし相手が――否、ナーザリルトに見せつけるように技を教えた人物が悪かった。
圧倒的な先読みの技術とそれに対応する体術を少しとはいえ体得しているナーザリルトは、そのすべてをいなし、躱し、弾き、逸らす。しかし追撃の手は止まらない。回避と同時にその倍の数の連打をナーザリルトは返していくのだ。
「はああああぁっ!!」
躱し、連打。
いなし、乱打。
弾き、強撃。
逸らし、再び連打。
パキッ、ピキッ、と狙い続けた亀裂の先から人形の身体が罅割れていく。
「――これで、最後です」
渾身の一撃のために右の腕を振り絞る。だが同時に、人形も同じく右の拳をナーザリルトを壊すために引かれていたのだ。
ナーザリルトは、そして人形は、退くことはない。これが正真正銘の二人の最後の攻撃だ。
二人が腕を振り切る瞬間、互いの瞳が合わさったのを感じた。
人形の瞳は相変わらず感情はない。しかし、ナーザリルトにはそれが、どうしても、期待している目に見えたのだ。
何を期待しているのかは、今のナーザリルトにはわからない。
けれど、それに答えたい気持ちは確かにあるのだ。だからナーザリルトは突き進む。救われてほしいものを救うために。
――そして、その拳は振り抜かれ、人形の身体は粉々に砕かれたのだ。
胴体はひしゃげて、原型を留めることはなく。手足、またその他の部分は衝撃が伝わり、どこもかしこも罅割れが目立っていた。
浮いていた身体は力を失い、重力の法則に従い落下する。部品が欠片を落としながら転がり、まるで無造作に捨てられたゴミのようにその場にあった。
「……っ」
その姿に何かの焦燥感を感じたナーザリルトは姉である人形の横へと赴き、膝をついた。
――かち、かりっ、キィ、かち。
その音はずっと人形から聞こえてきていた。出会った当初から、戦いが終わるまで、ずっとだ。
この音は何なのかナーザリルトはその音が聞こえる人形の壊れた部分から内部を覗き見た。
「っ!? こんな、どうやって……」
それは信じられないものだった。
内部にある歯車は、嚙合わせる凹凸はなく互いを削りあうようにしながらなんとか動いている状態だ。なによりも、その更に奥にある核――その周辺が何らかの黒いヘドロのような物体に浸食されていたのだ。それはほんの少しだが核にも広がろうとしていた。それらの状況を合わせて、姉たる人形は本来なら戦うどころか動くのもやっとの状態だったことがわかった。だからこその驚愕と疑問だった。
だが、抱いた疑問など放ってナーザリルトは極めて慎重に危険な状態にある核を取り出した。
途端に核以外は無用の長物であると言わんばかりに、人形の身体は塵のように端から消えていく。
残ったのは手に取った核と、正体不明の黒い物体のみ。
それが残ったことを不思議に思い小首を傾げながら、見つめる。
――見詰めてしまった。
『ッ、メ、サム――イギ、ギャァッ!』
「なっ!?」
何らかの発音をしたことに驚いた直後、グネグネと粘体の身体を動かし黒い物体はナーザリルトに向かって飛びついた。
ゆっくりとした思考の中で、ナーザリルトは気付く。
あれは、元からあったものではない。姉たる人形に寄生していた害虫であると。
このままでは人形の核ごとナーザリルトは取りつかれてしまう。それは許容する訳にはいかない。
そしてナーザリルトの優秀な演算能力は言っている。
――どちらかを犠牲にすればもう一方は助かるぞ、と。
……誓いは、もう覆されない。
黒いヘドロに背を向けて、姉たる人形の核を胸に抱いて隠した。
ナーザリルトは救うと決めたのだ。だからこの選択に後悔は、ない。
そしてこの後起こる事に、キツく目を瞑ったのだ。
「――あぁ、本当に良い。最後以外は、ですが」
その時、一陣の風と共に称賛するような言葉が届いた。
「……レティシア、様」
「お疲れ様です、ナーザリルトさん。これの処理は私がしておきますので休んでいていいですよ」
閉じていた目を開くとそこにはレティシアの姿があった。
これの処理と下を向くレティシアに釣られ見ると、黒い物体は文字と幾何学模様の形をした魔力に封じられて動けなくなっている。その様子に危険は去った事を認識してナーザリルトはようやく警戒を解いたのだ。
「さて、これは消滅させた方が安全ですね」
「待ってください。いったいそれは……」
まるで消滅させることが正解であるように言ったレティシアに、ナーザリルトは聞いた。
その口振りは黒い物体が何者なのか知っているようだったからだ。
「これは……」と言おうとしていたレティシアは、ふと考え込むようにして黙った。
「レティシア様、どうかなさいましたか?」
「ああ、いえ。なんでもありません」
首を振ってなんでもないと言うレティシアは「先程の続きですが」と話し始める。悩むような反応に一瞬気を取られたが、聞いた内容に驚愕した。
「あれは、死獣ですね」
「死獣!? なぜ異界の生物が……」
死獣は悪魔が作ったとされる異生物のことだ。普段は世界のどこかにある冥界と呼ばれる場所に住んでいる、まさしく怪物だ。
だがナーザリルトが驚いたのは死獣の存在に、ではない。
真に驚愕したのはここにいた事実に、だ。
「それはわかりません。が……それも、この先に進めばわかるかもしれませんね」
予測はあるが、そのことへの確信はなくレティシアにもわからない。
「では消しますね」
レティシアが前に手をかざすと、次第に幾何学模様と文字で出来た10㎝程度の球体が出来上がる。
ひとつは黒く、もう片方は白い。それらは一定の距離を保ちながら旋回していたがゆっくりと、少しずつ、互いが近づいていく。二つが触れ合った瞬間、黒と白はひとつとなり濁った灰色の球体となった。
「――《葬泣》」
灰色の球体は死獣の真上に位置した途端、一滴の雫となってその体躯を貫いた。
『ニギュッガギ、ガッ! イ゛イ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ッ』
「呑み込め」
レティシアの魔力拘束で動けない死獣は悲鳴であろう声で啼く。
すると死獣の身体が少しずつではあるが膨らんでいくのがナーザリルトはわかり、息をのむ。
膨らむ身体に合わせて拘束は大きくなり、そして死獣の様子もわかりやすくなる。ナーザリルトは死獣のヘドロのような身体から、人間の臓器ような器官はないと思っていた。しかし今見ると小さいながら目があり、口があり、そして透けた臓器が見て取れた。
なるほど、やはり形は違えど生き物なのだなとナーザリルトは少しの安堵を見せた。
その間にも女性の胴体に収まる程度の大きさだった死獣の身体は、立っているレティシアと目線と同じにまで至っている。
――ピリッ
張り詰めた何かに傷ついた音がした。
――プチっ、びりっ、、、ブチィッ!!!
『あ゛ぁぁぁぁぁ!?!!!??』
死獣の身体は膨らみ続ける圧に耐え切れず、裂けて、血を吹き出す。
これまででも悲鳴と取れる声は絶叫となった。それに声にならなかった声を幻聴してしまいそうな、悍ましく悲しい声だ。
死獣は痛みに叫び、傷付けられたことに悲しみ、見下されたことに怨嗟をもらす。
――その前に、内側から灰色の魔力により覆われ跡形もなくこの世から消えた。
何がどうなっているのか、ナーザリルトには全くわからなかった。だからとても恐ろしく感じたのだ。よくわからない死獣も、そしてそれを容易く屠ることができるレティシアも。
しかしその胸に抱いている核がその心を落ち着けた。
白いぼんやりとした光を放つ人形の核は光源の乏しいこの地下でさえも明るくしてくれているようで、「あぁ、そうだ」とナーザリルトは抱えた核を胸に押し当てながら約束した。
「……必ず、絶対の、約束です。――もう一度、今度は人の身体で生きられるようにしてみせます。だから……待っていてください。お姉様」
その姿は祈りを捧げる聖女のようであり、欲望に従順な魔女のよう。
曖昧に見えるその清濁の心こそ、【人】のそれだった。
ようやく、何百年もの時を経て望んだモノを手に入れたのだ。
例え、その本人が気付いていなくとも。確かに手に入れたのだ。
それをレティシアは確かに、見ていた。
――その瞳は反射するガラス玉の様に澄んでいた。
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