第1話
私は、電車のドア越しに娘とお互い酷い顔を向けあっていた。
娘の亜希がドアを必死に叩いている。
なんで?と目で訴える娘に対し、どうして良いか分からず罪悪感に頭の中が熱くなっていく。
パニックになりそうな呼吸を整える間も無く、亜希に聞こえる様大きな声で伝える。
「い……いいか、亜希! 父さんの言うことを、しっかり聞くんだ。 必ず迎えに来るから、二つのことを約束してくれ。」
「朝まで絶対に駅舎から出ないこと。」
「もし朝が来たのなら電車に必ず乗ること。」
「いいね? 約束だ!」
そう伝えると電車は無情にも娘と私との目線を引きちぎっていく。
ゆっくり加速する電車を必死に追いかける亜希の姿を窓から見て、私はその場で膝をついて泣き続けた。
***
うう、飲み過ぎた......
僕は酔いと眠気でフラフラと電車に乗り込み、椅子に座って一呼吸する。
古い電車の独特な匂いを味わいながら、体内からは酒気を吐き出す。
電車は景色の流れをゆっくり変えながら加速して走り出した。
有給を連休につなげての久しぶりの長期休みも今日で最後だ。明日からの仕事を考えると酒を飲まずにはいられなかった。
何もできず過ぎた時間への後悔を塗りつぶす様に、まあいいかと目を閉じアルコールの心地よさに身をまかせることで、眠気に抗うことなく夢の中へと溶けていくーー
境界線のない様なふんわりとした空間にいると気づいて、夢を見ていると自覚を感じる。目を開けては現実と夢の狭間を行き来するうちに、どっちが夢でどっちが現実なのか分からなくなる。
気がつくと、前に見ず知らずの親子がいて楽しそうに手を繋いで話をしていた。
何を言ってるのかよく分からないけれど、仲が良い親子だなと思った。
少女が笑うたびに父親はしわをたくさん作った優しい笑顔で応えた。
もしも自分に娘ができたらこんな感じの親子になりたいな、と気持ちが安らいでいく。僕にもこんな未来が待っているのならば……
再び目を閉じて夢の世界へーー
電車の心地よい揺れと、椅子の暖かさがあまりにも心地よい。
辛い仕事のことを忘れて、このまま帰らずに何処か遠くまで行ってしまうのも良いかも知れない。
そう思った。
僕は眠気に抗うことなくさらに深い眠りへと堕ちていった。
ふと意識が蘇り、時間感覚に違和感を感じた。
どれほど眠っていたのだろうか、あたりは暗くなり始めていて酔いを一気に吹き飛ばして行く。
既に電車は止まっており一向に進む気配がない。
混乱していると唐突にアナウンスが聞こえる。
「終点、ナガスモリ。お忘れ物のございませんようご注意ください。」
心地よかった眠りの余韻を感じる間も無く、寝ぼけたまま目をこすって電車を降りた。
電車を降りると同時にドアが閉まる。
過ぎ行く電車を見ると乗って居たのは自分だけだったようだ。どうやらこの山奥が終点らしい。
温泉に入った後にお酒を飲み、電車に乗ってしまったのがマズかった。まさか終点まで寝過ごすとは思わなかった。
果たしてここは何処だろうか?
あたりを見渡すと、古ぼけた小さな駅舎と周りを囲む木しか見当たらない。ホームの反対側はなく、線路の先は森に続いている。
終点とは言え、線路は来た方向とは逆側にも続いている。おそらく倉庫などがあるのだろう。
沈みかけている夕日も木に遮られ、そう遠くまで目視できない。
とりあえずホームを歩いて駅舎に入った。
乗り過ごしたぶんのお金を払おうと財布を取り出したが、切符を入れるであろうボックスが出迎えただけで誰も居なかった。
仕方なく切符と料金表に書いてあった金額をボックスに入れた。
駅舎内に足を踏み入れると独特の木の香りと湿った感覚があった。どうやらかなり古い駅の様だ。
駅長室らしき部屋はあるが、基本無人なのか窓は閉め切られカーテンで何も見えない状態となっている。
別の箇所に注意を向けると、古い切符の販売機と椅子が6席、ボロボロのパンフレット、黒電話が置いてある。全く手入れがされていないようだ。
ホーム出入り口の上に設置された時刻表を確認する。
今が17:30分、最も近い時刻は......
「おいおい19:30とかマジかよ......しかも最終だし」
2時間も待たなければいけないのか。
駅舎内をギシギシ歩き、出口から外を眺めて見る。
目の前は山で、左右に道が伸びている。
ガラガラ
立て付けの悪い戸を開けて外に出ると、肌寒い風が流れた。
「ふう、日が沈むと冷えるなぁ」
肩をさすりながら右手に進んでみる。
進んで直ぐの所に自動販売機があった。近づいて見てみると、蜘蛛の巣やら虫やらが多くて購入に躊躇するレベルである。
さらに進んでみる。
今度は山の斜面に建てられた民家があった。しかし、人が住んでいるとは思えない有様だ。何処から上がっていけば良いのかすら分からないほど草で覆われている。
さらに進むと小さな橋があり、下に川が流れている。この先は街灯も無さそうだし進むのはやめておこう。
駅まで戻り、今度は左手の道へ進んでいく。
進むが何も見当たらない。
こちらも途中から街灯が無くなっている。
しょうがなく駅に戻ろうと踵を返したときだった。
林の中に人の形をした何かが目に入る。
「お地蔵さんか......」
だいぶ古いのか、3体の内一体は頭がない。
「なんか一人だと思うと気味が悪いな......」
ふと自分の思考が止まると、遮断されていた虫の音が聞こえて来た。
人気のない場所がこんなにも不気味だとは思わなかった。
気を紛らわせるように時計を見ると、もうすぐ18:00になりそうだ。
とりあえず帰りの切符を買っておくか。そう考えて駅に戻る。
ガラガラと戸を開けて駅舎内に戻ると、切符の券売機に向かう。券売機は見慣れたタッチパネル式ではなく、人数やら金額のボタンが並ぶ古い形式のものだった。
小銭を入れて吐き出された切符を取る。
改札機に入れても大丈夫なのだろうかと切符を眺めながら椅子に座ろうとした時だった。
「うわぁっ!」
誰もいないと思っていた椅子の上にちょこんと座った少女が居た。
小さくて見えなかったとはいえ不意を突かれて思わず声を上げてしまった。
心臓が飛び出そうとはこの状態のことなんだなと思いつつ、胸に手を当てて深呼吸をした。
しかし、少女は何食わぬ顔で駅のホームへの出入り口を眺めている。
不思議に思いながらも、少女から一つ空けて椅子に座る。
先ほどの行動で不審者と思われてしまっただろうかと、時計を見るふりをして少女の様子を伺う。
この近くに住んでいる子だろうか?
この近辺には民家と呼べそうなところは一軒あったが、とても人が住んでいるとは思えない有様だった。電車が来た様子もない。
自分と同じく旅行者だろうか?
両親は娘を置いてどこかに行ったのか。だが外を見て来た限り旅行しにくるような場所とは思えない。しかもさっきまでは居なかったはずだが、いつの間に来たのだろう。もしかしたらさっきもそこに居たのかもしれない。
寝起きでボケてた可能性もある。
何にせよ、子供一人を放っておくわけにもいかないし、思い切って話しかけてみるか。
「こんばんわ。さっきは驚いてごめんね。」
「......」
どうやら無視されたようだ。
だがこれくらいでめげる僕ではない。
「お父さんかお母さんはいないのかい?」
とりあえず迷子とかでなければ良いが。
「おじさん怪しい者じゃないよ。ほら飴ちゃんでも舐めるかい?」
バックから取り出した飴を向けると、少女の表情がムスッとなりやっと口を開いた。
「怪しくないっていう人が一番怪しいもん!」
完全に不審者だと思われている。
しかも自分でおじさんと言ってることが今更恥ずかしい。
「僕はただの旅行者だよ。」
「何かしたらパパに言うもん! パパもうすぐくるもん!」
少女はそう言うとほっぺをプクーっと膨らませてブフゥ〜と息を吐いた。
「そっか、お父さんもうすぐくるんだね。良かった。」
「次の電車できっと来るもん!」
なんだか泣きそうな表情になったので慌てて飴を差し出す。
「知らない人から食べ物もらっちゃダメなんだよ?」
あっさり断られた。
とりあえずお父さんが来るのなら大丈夫だろう。
なんで少女が一人で待ってるのか気にはなるが、これ以上関わってもこっちがへこみそうだ。
気持ちでも落つけよう。
あの虫だらけを思い出すと少し気がひけるが外の自販機で飲み物でも買うか。
子供に緊張するとは我ながら情けない。
席を立ちギシギシと出口に向かう。
ガツっ
「あれ?」
ガツっガツっ!
戸が開かない。
立て付けが悪いと言うよりその場に固定されてるみたいにビクともしない。先程は普通に空いたのだが......
不思議に思い駅長室の窓も調べてみるが開かなかった。こっちは鍵がかかっている様だ。
一応ノックしてみる。
もちろん反応はない。
「うーん?」
強引だがホームに出てから柵を越えようか。
無人だし怒られはしないだろう。
ホームへの出入り口へと向かう。
「おじさんダメだよ。」
少女が足を振りながら上目遣いで言った。
「今外に出ると怖い人来ちゃう。」
どうやらホームから外に出ようとしてるのがバレているのか、子供に睨まれてしまった。
観念して席に戻る。
しょうがないので少女に断られた飴を一つ口に放り込んだ。
「おじさんはここで何をしてるの?」
おお、少女が話しかけてきた。
警戒が解けてくれれば良いのだが。
「最終の電車を待ってるんだよ。」
「この駅からもう電車は無いよ。」
「え!? でもほら時刻表には19:30が最終って書いてあるよ。」
「そんな時間に来ないもん!」
また機嫌を損ねてしまったようだ。
改めて時刻表を確認するが、間違いはない。
少なくとも時刻表通りに運行してるならだが。
「パパはいつ来るの?」
「......もうすぐ!」
逆側の時刻表を見ると、19:00の記載があった。
この電車で来るのだろう。
時計を見ると間も無く19:00時だった。
気がつくとあたりは暗く、虫の音も聴こえなくなっていた。
すごく静かだ。むしろ静か過ぎて気味が悪い。
なんだか落ち着かないので、古ぼけたパンフレットを一つ手にとって眺めて見る。
村の温泉マップやら観光名所の説明が載っている。
どうやら先ほどの橋の先へ行くと村があるらしい。
裏面の下側を見ると、1981年発行と書いてある。
ん?
1981年とは何かの間違いか?
それともそれだけ誰も管理していないくらい無人駅なのだろうか。それにしても古すぎだと思うが。
パラパラとめくって読んで見たが興味を引くようなものはなかったので、パンフレットを戻して再び時計を見る。
19:10分
既にお父さんが来るであろう時刻は過ぎている。
田舎の電車だから多少遅れることもあるのだろうな。
少女の方を見ると、特に気にした様子もなく何かの歌を口ずさんでいる。
少し外の様子を見に行ってこようか。
少し寒いだろうが電車のライトが見えれば安心するだろう。
「ダメだよ!」
またしてもホームに出ようとしたら止められてしまった。今度は悪いことは考えてないのだが。
「ちょっと電車の様子を見に行くだけだよ。」
「ダメ。今外に出ちゃダメ。」
「様子を見に行くだけでもダメなのかい?」
「......」
「パパに早く会いたいでしょ? もうすぐそこまで来てるかもしれないよ。」
少女は寂しそうに下を向いて、小さく会いたいと言ったのが聞こえた。
素直じゃないなぁと思いつつ、一歩ホームに出る。
涼しい風が流れ、空には星が出ていた。
「ダメ!すぐ戻って!!」
少女が椅子から飛び出し空を眺めていた僕の裾を思いっきり引っ張った。
「いい痛い痛い。服が伸びちゃう。分かったすぐ戻るから!」
必死に引っ張る少女を見て駅舎に戻ろうとしたが、何故か体が動かない。
妙に外の空気が生暖かい。
さっきまでは涼しい風が流れていたのに。
ねっとりとした汗がジワリと全身を覆って気持ちが悪い。少し意識が朦朧とする。
チカリと何かが光ったような気がして、線路の先を見る。
ゆらゆらと青白い光が近づいている。
「電車だ。電車が来たよ!」
フワフワとした意識の中、僕は叫んでいた。
「違う!あれ電車じゃないよ!」
動かない僕の体を必死に引っ張りながら少女は叫んだ。




