天使のお仕事Ⅰ 学年トリッパー篇 後篇
床が震動する。
窓の外、遠く西の空に、歪な黒雲が生まれ稲妻を迸らせた。
風が逆巻き、窓を強く叩く。急に雨が降り出して、豪雨が帝都を包む。
佐奈は強烈な存在を感じ取った。それ(・・)を目で見ても、すぐ近くにもいない。
だが、ぞっとするほど暗く大きな、忌まわしく、遥か彼方にいる存在――。
「おっと。お出ましか?」
店主のポケットが小さく震える。そこから携帯を出すと、店主は電話に出た。
「俺だ。上手くやったか」
『――はい天使長。召喚儀式に成功。目標が出ました。現在地は帝都から西に5kmの寺院、周辺に村落なし』
「分かった。聖剣の使用を許可する」
店主は一度電話を切り、少し操作をして再びかけ直す。
同時に指先から光線を放った。すると空中にヴン、と無数の『窓』が現れた。
どこかを映し出している映像のうち、二つに指で触れると、それが大きく拡大した。窓にはそれぞれ男性と女性の天使の姿が見えた。
「《曙光》から、フラグクラッシャー隊各班へ。調子はどうだ?」
『こちら1班《残照》。絶好調です天使長。二つほど、戦闘中の学生集団を救出しました。『やったか!?』と『ここは俺に任せて行け!』の所に割り込みましたよ。20名以上の学生を保護しています』
『2班《烈日》です。12名の保護及び転送を完了。帝都周辺はこれで終わりです。データをお送りします。
……あの、不遜を承知で申し上げ致しますが。その隊名はやめませんか? もっと真面目に任務を』
「また今度な。《払暁》が攻撃目標を引きずり出した。ただちに周辺から退避しろ、顧客がいる場合は最優先だぞ」
『『! 了解(致)しました』』
「まあ離れて見物しててくれ。このアホさえ終われば、後は消化試合だ」
映像と電話を切り、店主は佐奈達に向かって言った。
「お客さんがた、悪いがもう少し待ってくれ。今から『野球中継』があるから」
「へ?」
「マル。準備しろ」
店主の声で、店員の男が椅子を並べ替えはじめた。店主は佐奈の横に座り、店員が冷蔵庫から飲み物を出してくる。
「はいはい、君達お酒はだめだから、ジュースね。天使長はビールっすか?」
「仕事中に酒はやめろ。お茶だ」
「いやー前職の癖が抜けなくて。へい、それじゃお茶で」
店主が光を操って『窓』を開き、画面が大きく広がった。大型テレビほどの大きさのスクリーン上に、どこかの映像が映る。
永年人の手の入っていない古代遺跡のような、苔むした石造りの寺院が見えた。
画面がバンクする。黒いマントを羽織った、暗黒のオーラを放つ異様な男が、草原に立っていた。
佐奈達から見て手前側に、その男から100m程度離れた位置には、ある赤髪の天使が男に立ちはだかっている姿がある。
店主が携帯電話を近くに置くとそこから音声が流れてきた。
黒い男が言った。
『――貴様ら。一体何者なんだ? 各地の我が社を破壊して回るばかりか、呼び寄せた転移者どもを送り返している。挙句、神である僕を強制的に召喚するとは……』
そう言って、男は神経質そうな顔を怒りに引きつらせた。
『お前らのせいで興ざめだよ。せっかくのゲームをめちゃくちゃにしやがって! ああそうだ、僕が全部やったんだ。吸血鬼達に神託と力を、人間側には転移者を与えて! 戦争と虐殺がもっと見たかったのに!
くそっ、くそっ……名乗れ。この僕が直接殺してやる! 殺したら、戻ったガキ共も再び呼び戻して、このゲームのやり直しだ!』
『……』
赤い髪の天使は答えない。
無言のまま腰の剣を抜き放ち、男と対峙する。
店員が奥から大きな機械を持ってきて、店主の近くに置いて言った。
「おーう、聞いてもない事喋り出しましたね。ばっちり死亡フラグ立てちゃって」
店主はその機械――無線機らしき機械の電源を入れると、マイクを取って言った。画面から店主の声が聞こえてくる。
「テステス。マイクチェック。そこの馬鹿に告ぐ。我々は時空パトロール、もとい天使である。ただちに武器を捨てて投降し、大人しく射殺されなさーい」
『なに! 今の声は目の前の男じゃないな? どこから喋っている!』
「鬼が島に鬼退治に参った。次元間転移動もろくにできない愚図の癖に、神を名乗る屑を制裁する。
お前の下手糞で強引な召喚で、次元境界面が歪んでこっちはいい迷惑なんだ。これ以上の説明はめんどいので、さっさと死ね」
『き、貴様……』
男の顔が紅潮する。
『いいだろうっ!! 各地で僕の分体を退けたようだが、本体である僕の力はこんなものじゃない。真の絶望を見せてやる!』
男を包む漆黒のオーラが爆発的に膨れ上がった。
足元の地面が弾け飛び、天が割れて逆巻く。山に落雷が落ち、巨大なエネルギーに大地が震え慄いた。
佐奈達がいる寿司屋の窓からも、稲妻が落ちる様子が見えた。
『ふははは!! これが神の本当の力だ! 怯えろ。どこにいるか知らんが、そこの天使とやらを殺したら帝都ごと灰燼にしてやる!』
恐ろしげな声に、佐奈とリリィナはぞっとした。この画面に映る映像はリアルタイムで現実に起こっている事らしい。
神を名乗るこの黒衣の男が、佐奈達をこの世界に呼び寄せた元凶なのだろうか? 帝都ごと灰にするというが、まさか本当に……。
だが。男に対峙する赤髪の天使は静かに剣を翳した。
腰に下がっていた兜を手に取り、被る。
兜、いやそれは、ヘルメットの形をしていた。
というかどう見ても野球用のヘルメットだった。
剣を右手で持ち。体を半身にして、両足を開き。伸ばした右手の先にある剣を垂直に立てて、向こうの黒衣の男を睨む。
そして――きゅっと右肩の服の袖を引いた。
店主と店員が叫ぶ。
「「FUTUGYO!!」」
「!?」
某超有名野球選手の物真似の完コピに興奮する店主達。赤髪の天使が、バッタースタイルで構えた。
黒衣の男が両腕を振りかぶった。
『何だか知らんが無駄な事を! 死ねぇい!!』
ゴオッ!
膨大な魔力を解き放ち、暗黒の奔流が天使に放たれる。
赤髪の天使の姿が、闇に呑み込まれる――。
その刹那、天使が握る剣が形を変えた。水のように渦を巻き、輝かんばかりに強烈な光を放った。
天使が光のつるぎを、振り抜く。
『――シッ』
コアッ
画面いっぱいに光が瞬き――
寿司屋の窓の外。西の彼方に、赤い半球が見えた。
灼熱の球は、拡大して収縮し、やがて頂点から巨大なキノコ雲を吐き出した。
画面が乱れる。……映像が戻ると、そこには剣を振り抜いた姿勢の天使が立っていた。
目の前には例の男の姿も、寺院の影も形もない。
どころか奥に見えていた森林も、山すらも、幾つも貫通して消失していた。地面には沸騰した土と、どこまでも深く抉り取られた大地の無残な姿が残されていた。
店主達が歓声を上げた。
「やったー! 三塁打ー!」
「なにこれ」
佐奈が唖然とする中、店長と店員が楽しげに乾杯した。
店主は再びマイクを取って言った。
「《払暁》。どうだ?」
『はい、天使長。周辺に反応ありません。時間軸ログを参照します』
赤髪の天使は板状の機械を取り出し、操作する。
『――確認しました。つい先ほど、地上からの消滅を確認。肉体を完全破壊しました』
「本体は精神界に逃亡したはずだ。見つけ出せ」
『検索します。……捕捉しました。力を失って彷徨っています。何か喚いています、こちらが視ている事に気づいていないようですね? 音声繋げます』
先ほどの男の声が聞こえてくる。
『……しょう、ちくしょうっ!! なんでこの僕が負けるんだ!? あり得ない! 僕は死をも超越した神なんだぞ!
僕が死なない事を思い知らせてやる。す、すぐに地上に戻って、こ、ころし、殺してやる殺して……』
「あーもういいもういい。やかましいから、消せ」
『了解』
天使の握る剣が再び形を変え、剣先が青く光って蛇のようにしなった。
何もない空間を斬り裂き、そこから真っ白い世界に繋がる。
天使が無造作に剣を突っ込むと、ほんの小さく悲鳴が聞こえた気がした。すぐに引き抜き、空間が閉じる。
『終わりました』
「よろしい。じゃあ次は、南のコーザ・アージュルス砂漠国だ。そこに60名ほど固まっている。
地図2のポイントP2‐5‐1141で合流するぞ。片づけたら、不均衡に力を持ちすぎた吸血鬼共を、適当に爆撃して終わりだ」
『はっ』
画像と音声が切れた。
店員が店じまいをはじめる中、店主は佐奈達に向かって言った。
「これでもう君らがここに飛ばされてくる事もないだろう。俺達とも会う事もない……と祈るが。今度は日本で、ちゃんとした本物の寿司屋で食ってくれ」
「お、終わったの? 私達、帰っていいの?」
「勿論だ。もう誰も邪魔はしない。さあ、魔法陣の上に乗ってくれ」
店主は佐奈達をチョークで描かれた魔法陣の上に移動させると、胸ポケットから一枚の紙を手渡した。
それは名刺だった。
「だが、また異世界にでも飛ばされる事があれば、ここに書いてある番号に連絡しろ。携帯がないなら太陽に向かって祈って、数字を言うだけでもいい。
すぐにうちの者が飛んでくる。俺の名は大天使ヨシオ。神の名前はアマテラスだ。毎度ご贔屓に、な」
店主こと、ヨシオがにっと笑った。




