5話 秘め事
わたしの部屋は、燃料削減のためにいつでも――暖かいとは言えない温度を保っている。
けれど、わたしは今じっとりと汗を掻いていた。
「祭りを楽しめたか」なんて、「口に合えばいいのだが」なんて、「不公平だから教えてくれ」なんて、こんなの――旦那様がすぐお傍にいらっしゃるみたいだった。
出兵なされる前の半年間、そんなことは一度だってなかったのに。
だから、近くに人がいるような気がするから、こんなに体が熱くなるのだろうか?
確かに手紙自体を、とても楽しみにしていた。
でも、戦況については何も書いてないのに等しいのに。旦那様の安全について何も確認できていないのに、なのにどうしてこんなに浮かれているのだろう?
最後の文だって定型文なのに。どうしてこの手紙だけ、こんなに心に染み込んでくるの……?
わたしは正体不明のパニックを抑え込むためにも、すぐにでも机に向かい、姿勢を正してペンをとった。
親愛なる、旦那様へ
雪糸祭りは、踊りにも交ぜていただき、大変喜ばしい日でした。
皆で分かち合った鹿肉の煮込みは、薬草の薬効ゆえか、見たことのない色をしておりましたが、その風味は格別でございました。
後味に残る少し辛いような風味がわたくしの好みに合います。
わたくしは、甘味を好みますが、実はわずかな辛みを伴うもの、例えば唐辛子を添えたホットチョコなどが好きです。
実家では令嬢の嗜みとして不作法であり、また高価であるために、禁じられておりました。
ゆえに、これは貴方様にだけに打ち明ける秘め事でございます。
わたくしにご関心を寄せていただき、心より光栄に思います。
けれど何を書き記すべきか、正直に申せば筆が迷うばかりでございます。
旦那様に報告できるようなことは少なく……けれど「小さなことでもよい」との温かい言葉に甘え、昨日のささやかな一日の様子をありのままにお伝えいたします。
昨日は、起床後、まず紅茶を頂戴いたしました。
それから、領内の警備状況の確認に時間を費やします。
とはいえわたくしが山に入るのは危険で迷惑ですので、屋敷にて本日の配備表と村人の名簿の確認をいたしました。
エドワード様含め、皆様滞りなく集合されたとのことです。
その後、女性が集う雪糸の生産棟まで出向きました。
納品予定に遅れはないかの確認もかねて、午前中はずっと作業場で紡績のお手伝いをしております。
年配の女性たちが惜しみなくその技術を共有してくださるおかげで、雪糸らしいしなやかで強靭な糸を、例年より大量に生産できております。故に、今期の献上も滞りなく済みそうでございます。
屋敷に戻り、昼食としてスープを頂戴しました。
午後からはお義父様がテラスにおられ、お招きを受け少しだけお茶をご一緒いたしました。
その後は部屋に戻り、献上用の襟飾りをエルザと共に仕立てました。このようなご時世に不謹慎と承知しつつも、この襟飾り作りだけはわずかなながら楽しみでございます。
その後、警備隊が屋敷にお戻りになられてから、お義父様とエドワード様と夕餐を共にいたしました。
最後に、警備隊の宿舎と、屋敷の各部屋の暖炉の巡回をエルザと済ませてから、就寝いたします。
以上がわたくしの一般的な日常の概要でございます。
面白くもないことを長々と思い出すままに書き連ね、冗長となってしまいました。
書き直しを試みたところ、メイドのエルザに「もう紙はございません」と冗談を言われ、そのままお見せすることをお許しください。
お義父様もエドワード様も、フーベルト、ゲオルグ、そして領民の皆々様も、苦難のそぶりを決して見せず、わたくしに優しくしてくださいます。
このヴァルデリウス家に嫁ぐことができ、心の底より幸福に存じます。
――ですが、最後の要がまだ満たされておりません。
旦那様、戦況の子細はもう尋ねません。何よりも御身を第一に、一刻も早くこの故郷へお戻りくださいませ。
アナスタシア
極寒の地にあってただ一人不思議な興奮に包まれていたわたしを冷ましてくれたのは、やはり極寒の雪――厳密には製作途中の雪糸を漬けている氷水――だった。
それは熱に浮かされたまま手紙を書き上げ、達成感のままに封蝋を押し、エルザに渡して――その日のうちにエルザからふもとの町へ行き来する村人に渡され、その村人がふもとの町についたであろう数日後のこと。
つまりはもう、止めようがないほど手紙がわたしの手から遠く離れた後のことだった。
雪水に両手を付けたまま、染みついた癖でかさ上げ作業を再開する。
けれどそのまま、見開いた目は野外ゆえに刺すように冷えていくようだった。
――貴方様だけに打ち明ける秘め事――昨日の出来事をありのままに――不謹慎ながら楽しみで――要が満たされておりません――早く故郷にお戻りください――。
睫毛が凍るその痛みさえ、今のわたしには届かない。
これは、流石に。相応しくないことを書いてしまった。
「小さなことでも構わぬ」と仰ったのだから、書いてはいけなかったわけではない。
けれど、わたしが書いたのは――あまりにも、わたし自身のことばかり。
戦況については何も尋ねず、好きな食べ物まで打ち明けて、昨日一日のことを朝から晩まで書いて。
最後には、早く帰ってきてください、だなんて。
はしたなく浮かれて、なんてことを書き連ねてしまったのだろう!
エルザのエプロンに縋り付いてでも、新しい紙を貰えばよかったのに。
どうして、どうして、あんなに。個人的な――恥ずかしい。でも――でも、耐えられないから、頭の中でだけ正直に白状する。だって、あの手紙は、旦那様からの微笑みは、とてもとても嬉しかったんだもの!
わたしがいくらベッドの上で震え悶え回り、エルザがもう「お嬢様」とも言わずにため息をつくばかりになっても、一度出した手紙は止まらない。
もう読まれただろうか?
なんて思われただろう。エルザのため息と混ざって、旦那様のため息すら聞こえてくるようだった。
返事は、私が手紙を出してから四週間後。
春になって、小さな花がちらほらと咲き始めた頃のこと。
雪解け水で山道がぬかるんでいるせいで、気温のわりに手紙が届くのは冬と変わらず遅かった。
前回のはしゃぎっぷりとは対照的に、低いうめき声とため息を出し、少しでも身を小さく、猫背になって――全てにおいて男爵夫人にあるまじき情けない姿勢で受け取る。
案の定、エルザの「お嬢様」を頂きながら……。
旦那様からの手紙が嫌という訳では決してない。けれど、本当に恥ずかしいのだ。
そしてきっと、手紙の中にも「何を書いているんだ貴殿は。恥ずかしいやつだな。もう一度屋敷の状態の報告を子細に頼む」なんて――当然そう思うに決まっている――そのような事が書かれているのだろうと思うと……このペーパーナイフだっていつもより重いというもの。
またしても羞恥にため息をつきながら。封筒から手紙を取り出して、恐る恐る開く。




