32話 新たな献身
今日の生産状況、とくに領民の様子をエルザから聞き、「精神状態は落ち着いている」と判断したところで、わたしの意識は途切れた。
夢さえ見ない深い深い眠りから救い上げたのは、翌朝に目覚めの紅茶を持ってきたエルザ。
「奥様。起きてください」
「……ん、……ぁっ、え! いま、ッ?」
「おはようございます」
姉さまが持たせてくれたフレーバーティー……の二番煎じの香りが意識を強制的に表にしていく。
エルザの装いが昨日と違う。それだけで、一晩眠り続けたのだと悟った。それから昨晩の夕食に出られなかったこと、夜の火の見回りなどが出来なかったことを痛む眉間で反省する。
「あぁ、ああ、うう、」
「そんな情けない声を出してはいけません。奥様。火の始末は、昨夜フーベルト様と一緒に見回りいたしましたよ。大旦那様も『疲れているだろうから』と、起こさないように言ってくださいました」
「そう、昨日の……生産数三十六巻きの、報告は……夢じゃないわよね……」
「はい。間違いありません」
「はぁ……仮眠のつもりだったのに」
仮眠のつもりだったから、寝間着ですらない。相応しくない格好で寝たせいで鎖骨から肩が痛かった。
ぐっと伸びをしてベッドに腰かける。エルザから目覚めの一杯を受け取って……ふと。ねばつく視線はベッドサイドの、あのミーナが作ってくれた人形を捉えた。
「――ぁ」
村人の装いよりも少しだけドレスに近い、わたしの普段着を模した服。
特殊な結び目が連続したレース飾り。
樹液で染められた髪が、わたしのいつもの髪型と同じように結ばれている。
小さな黒い石の瞳が、朝日を返した。
「ありがとう」と言ったときの、あの照れ笑いが蘇る。
「あ、あ、」
瞳が熱くなったと思ったら、止めようもなく泣いていた。
じわ、と溜まってつるりと落ちていくようなものではなく、雨のようにとめどなくて、あっという間に頬に幾筋も涙の痕が付くほどの大泣き。
「あぁ……ッ」
一昨日の……苦しむミーナの顔が、ロジーさんの慟哭が頭から離れない。
守れなかった。
わたしが救護活動を止めさせて――殺したも同然なのに。
それなのに昨日は、あの子の人生に点数を付けた!!
――いけない――ダメ、泣き止んで。
泣いたって帰ってこないでしょう。
「あ、ぅぅ゛、ふぅっ」
「お、奥様……」
「エル、ふッゔ、ぅぅっ、ま゛、~~な゛き、やむっから、まって、ぅぅ、」
震える手から零れないように紅茶を取り返したエルザは、突然泣き出したわたしを見て、目を丸くした。
わたしは、押さえられない悲しみと悔しさのなかで、それでも「まって」と思う。
体調不良じゃない。
「奥様。今日は……エルザにお任せください、ああ、そんなに目を擦ってはいけません」
「ッ゛、く、ゔゔ、――ッ゛はッ、今日は、うゔ、やっやすめ、ない、の」
案の定心配させて、今日は大人しく。と言われてしまう。
どうせ洗う予定だからと袖で目元をグシグシと擦り、いつも通りに体に力を入れて無理やり涙を止めようとするけれど……上手くいかない。
そうこうしている間にお腹の奥が震え出して、ひくり、ひくりとしゃくりあげてしまう。
「き、っひぅ、今日は、」
「ですが……」
「はぁ、は、……はーっ、み、皆のッ……皆の前で、説明しなければ、ッく。いけないことが、ひっ、ある、のよ」
鼻先まで皺を寄せて、己の肩を抱いて。なんとかしゃくりあげるのを押さえようとする。でも涙は止まらないし、息は上手く出来ないし、肺を絞るしゃくり上げが喉を傷めつけていく。
「……はぁ……全く。お嬢様は仕方ありませんね。……止めませんから、落ち着いて。工房に行きたいのなら、まずは肩から力を抜いてください」
「は、は、はぁッヒッ、はっ、ゔゔ、」
ベッドに腰かけるわたしと目線を合わせるように膝を付いたエルザがわたしの肩に手を置いて、すり、すりと優しく撫でる。
「泣き止もうと考えないで下さい。あとで整えますから流れるままにしておいて。とにかくゆっくり息を吸って……吐いて……」
「は、はぁぁ、ふッ、ふぅぅ……」
「そうです。ゆっくり、ゆっくり……繰り返して……」
紅茶がすっかり冷めてしまった頃。エルザの協力もあって、発作的な大泣きは収まっていた。
決して済んだことではない。男爵夫人としては、もう済んだこととして振る舞わなければならない。
こんなふうに突発的に大泣きしてしまうなんて……なんて幼い――未熟者なのだろう。
エルザが丁寧におしろいを叩いてくれたから、擦って赤くなった頬はマシになったけれど……。
「目が真っ赤よ……な、泣いたって、皆にバレてしまうわ……あ!雪に顔を突っ込めば冷えて白くなるかしら」
「おしろいが落ちますし、そんなことをしたら許しませんよ。それに皆きっと……きっと気にしません」
「そうかしら……」
「さ。行ってらっしゃいませ。私は後で向かいます」




