2話 手紙
親愛なる、わが妻アナスタシアへ
敵陣より。
こちらは混乱なく動いている。我々の担当している戦線は幸いなことに当面は膠着の気配だ。
知っての通り、王立天体審理府の算定によれば、北はまもなく本格的な冬に入る。
西のギザラ山に見える一本杉に、青い星が重なる時期を見逃さないように。
ノイヴァルト領よりも、こちらの冬は厳しいものになるはずだ。
その前に領内の食糧と燃料の備蓄総量を確認し、エドワードと状況を共有しておきなさい。
故郷の安寧を期待する。
ジュリアン・ヴァルデリウス
必要なことが、簡潔に書いてある。
分かりやすくてある意味美しい手紙に、頭の中が事務的なものに切り替わっていくのを感じた。
想像するだけで体が重く、胃が痛くなるけれど――それでもきちんと〝夫人〟としての勤めを果たさなければ。
わたしはエルザと倉庫へ向かい、在庫表と照らし合わせながら備蓄状況を確認した。
まとめた紙を握りしめ、勇気を出して義弟のエドワード様に声を掛ける。
「ふ、不勉強で申し訳ないのですが、薪の量が心許ないかと、思うのです」
「あぁ、それは、……炭の備蓄量を見てくれ。冬の間の燃料はこちらも使う……しかし、倉庫がこの表の通りなら支払い用の豆が少ないな」
「は、――はい、確かに、例年よりも……」
「父さんに指示を仰ごう。義姉さんも付いて来てくれるか」
「はい、ま、参り、ます」
お義父様も交えて備蓄量を確認し、夜には旦那様の言葉通り青星を見上げた。
その結果を、出来るだけ丁寧に手紙へ綴っていく。
親愛なる、旦那様へ
当面の膠着の報、拝承いたしました。
警告いただいた通り、青星は数日後に一本杉に合するかと思われ、冬はますます厳しくなってきております。
ご指示を受け、倉庫の在庫を調べ、エドワード様・お義父様とも相談いたしました。
結果、献上分を差し引いても十分足りると、お義父様にご判断いただいております。
食料は前年の狩猟が豊作であったため十分な余裕がございます。
燃料も計画的な備蓄により、今冬は領民ともども凍える懸念はございません。
要点をまとめた在庫表を同封いたします。
御身を第一に、ご武運をお祈りしています。
アナスタシア・ヴァルデリウス
薬指から、結婚式の時に渡された指輪を引き抜く。
蝋を落として、そこに指輪の印章を封じた。
蝋にめり込みながらも指先でつやりと輝く銀色は、ヴァルデリウス男爵夫人の手に代々伝わってきたサインリング。
この家で、わたしに出来ること――せめて頼まれたことぐらいは、精一杯頑張らなくては。
窓の外に目をやると、相変わらずの雪雲が空を重たく覆い尽くしていた。
また今夜にかけて雪が降るのだろう。
……この同じ空の下。
けれど想像もつかないほど遠い戦地で、旦那様も同じような責任を背負っていらっしゃるのだ。
そう思うと、結婚した時から一番離れているのに、今一番身近に感じる気がした。
………
……
…
返事は、それから二週間後に来た。
いよいよ冬も深まったその頃、わたしは北方領地の特産品である雪糸アルベの生産と刺繍作業で忙しくなっていて……だからその手紙を開封した瞬間に、思ったより返事が早いことに指先を止めてしまう。
もしかして前回の手紙の内容では不足があったかと一気に胃が冷たく――怖くなって、けれど読まない選択肢などない。
親愛なる、わが妻アナスタシアへ
貴殿からの報告、確かに拝受した。
添付の在庫表も含め、内容を了とした。
父の承認を得てくれたこと、予想外だが助かった。
今後もその調子で、先代とエドワードと密に情報を共有し、領地の運営に尽力するように。
故郷の安寧を期待する。
……――ところで、父と弟は元気か。
ジュリアン・ヴァルデリウス
ほ。と安堵の息が白く部屋の中を漂った。
思い返せば勝手に在庫表なんて屋敷の機密を同封してしまったことなど、怒られても仕方がないかと思ったけれど。
旦那様の求めていた情報がきちんと届いて――エドワード様の判断だけれど、お義父様を巻き込んだこともお節介に思われなかった。
〝助かった〟この言葉がすっと胸の奥に染み込んで、きちんと仕事が出来たことに自然と口角が上がる。
そして――最後の文章の隙間。数度ペン先を叩いた痕があった。悩んでから綴られたらしい、唐突な「父と弟は元気か」の文言。
領地の現在状況が分かれば、もう手紙なんて送る必要はない。
わたしが返ってこない手紙で心を病んだりしないと、旦那様も分かっていらっしゃるだろう。
それでも貴族としての体面を保ってなんとか手紙を続けようとするその姿勢に、尊敬と微笑ましさがない交ぜになった不思議な気持ちになる。
わたしは心地よい機嫌のまま、ペン先をインクに付けた。
親愛なる、旦那様へ
領内の状況報告にご満足いただけたこと、幸いに存じます。
ご心配いただいておりましたお義父様ですが、冬が深まるにつれご体調も回復され、近頃はわたくしをお茶席にお招きくださるほどお元気でいらっしゃいます。
エドワード様も日々ご公務を立派に代行なされ、お義父様と相談を重ねながら領地をお支えしております。
わたくしどもは皆つつがなく日々の務めを果たしておりますので、ご案じには及びません。
旦那様におかれましても、どうか御身をご自愛ください。
アナスタシア・ヴァルデリウス
ペンを置いて、インクが乾くのを待つ。
脳裏には、数日前にお義父様と頂いた、生姜の効いた甘い紅茶が浮かぶ。
病人は冬に弱いものだと思っていたのに、お義父様は雪が積もるほど元気になっていく、不思議な方だった。
「アナスタシア、寒いだろう。お茶を用意させるから、暖かいテラスへ来なさい」
「は――はい、お義父様」
あの日以来、お義父様は折に触れてお茶へ誘ってくださった。
「ノイヴァルトはここまで寒くないだろう。驚いたか?」
「はい、あ、いえ、す、少し。その……向こうはもう少し穏やかに気温が下がっていたかと思います」
「そうだろう、そうだろう。しかし――私はこう見えて猫舌だからな。お茶がすぐに飲み頃になるこの地を気に入っている。さ、もういい頃だろう。召し上がれ」
「い、いただきます」
旦那様に似て――いや、旦那様がお義父様に似たのだろう。
険しい顔とは裏腹に、お義父様はわたしのつたない受け答えを気にせず、穏やかに話を続けてくださる。
あのお茶の時間は、最近の楽しみの一つになっていた。
手紙の最後には「ご案じには及びません」と添えた。
忙しい旦那様に、これ以上返事を書かせないために。
けれども返事は、まさかの一週間で届いた。冬が深まり、もっと遅く届くかと思っていたのに。
つまりは急ぎの用事かと思って、刺繍の手を止めてすぐに開封する。
男らしい大きな曲線の文字と打って変わって、走り書きされたその内容は、
親愛なるアナスタシアへ
父の体調が回復したとのこと、まずは安堵した。
仲が良いのはよいことだが、父は少々喋りすぎるところがある。貴殿も余計なことは忘れなさい。
御身、恙なく。故郷の安寧を期待する。
ジュリアン




