16話 無謀な朝
冬の朝は、いつの間にか薄明るくなって始まる。
「……、ぅ……」
腕の先に心臓があるのかと思うほどの脈動と、指先で何かが弾け、それが広がっていく痛みで目が覚めた。包帯と熱で重くなった右手を掲げると、こめかみまで響くようにずきずきと痛む。
指先から手首までぐるぐる巻きの包帯は、親指と人差し指の所が黄色く変色していた。
……火傷したこと、夢じゃなかった。
小さく息を吸い、一度目を閉じる……。
昨日は――エルザの方が凍傷になるんじゃないかと思うほど長い時間、途中で雪も追加しながらずっと一緒に手を冷やし続けた。
斑に赤かった患部でさえも真っ白になったころ、やっと冷水から引き上げる。
彼女が倉庫から火傷用の薬草入り軟膏を持ってこようとするのを、何とか「古布だけ持ってきてくれたらいいの」と説得して。
もうすっかり日が沈んで薄暗い工房の中。
エルザが、親愛でもってわたしを睨み続けるのを曖昧に微笑み返し、わたしは具体的な治療の一切を頑なにスルーし続けた。すると、彼女は特大のため息をついてから。
「せめて、包帯は巻きますよ。明・日の・為・に! 分かりましたね」
「ぅ、……分かったわ、……お願い」
流石エルザだ。
拒否できない理由を作り、諦めたと分かればてきぱきと真っ白な包帯を巻いてくれて……。
目を開けると、ズク、ズク、と血が通るたびに痛む熱い右手があった。
手の付け根には、固く固く結ばれた包帯の結び目がある。
エルザの「勝手に解こうなんて考えないでくださいね」なんて幻聴が聞こえるけれど……わたしはその結び目に、ためらいなく噛みついた。
エルザが朝の紅茶を運んでくるまで、あと一時間はあるだろうか。
出会ってしまえば――厳格で愛おしい我がメイドのこと。本当に従者なのかと思うほどの力でベットに縛り付けられ、三日はそのまま監禁されかねないのは分かっている。
そうなる前に屋敷を抜け出し生産棟へ走り、こんな火傷大したことはないと糸を紡いで証明しなければ。
結び目に穴を開けるようにして噛み、わずかに緩んだところを左手で引っ張る。
するとあっという間に手指全体を覆っていた外側の包帯が解け、親指から中指までひとまとめに巻かれた状態が露になった。
指先はぐじゅりと湿り、親指の所は黄色く乾いてざらざらしている。
このままでは糸を紡げない。そう思ってゆっくり包帯を解いていくと、親指の黄色く変色したところは包帯と一緒に瘡蓋のようになっていたようで、引っ張るだけでかなり痛んだ。
「ゔ……ッ、ぁ、――ッ゛」
背中に脂汗を掻きながら、それでも包帯を解く手は止めない。
せめて綺麗な包帯に替えないと糸は触れないし、五指全て使えるように巻き直さないと糸を紡げない。
「――ぐッ、……ふッ、ぅ゛、」
ほんの固くなった包帯を少しめくるだけで、べり、と大事なものが剥がれる幻聴を聞く。
水が抜けてぶよぶよになった薄皮が、敏感で熱を持った肉にぬるりと擦れるだけで、背を丸めてしまうほど痛い。
「は、はッ、ッ゛ふッ、んぅッ……!」
あまりの刺痛に震える腕を、浅い呼吸で何とか落ち着かせる。
自分で傷を広げるような、本能が強く警鐘を鳴らす痛みによって赤黒に瞬くの視界の中。
なんとか全ての包帯を取ることが出来たわたしは、はぁ、と息を大きく吐いた。
明るくなってきた部屋の中で右手をよく見てみれば……人差し指から親指にかけて、手のひらも水膨れによってぼこぼこになっている。
親指の爪は白く変色し、水膨れが潰れて……包帯を取った時に皮ごと捲れてしまったところは桃色が覗いていた。無理やり引っ張ったせいで血が滲んでいる所もある。
ボロボロの右手は、見ているだけで苛立つほど情けなかった。
わたしはサイドチェストに置いてあった包帯の端を水差しの水で濡らし、血の滲む指を出来るだけ綺麗にした。それから左手と口を使ってなんとか新しい包帯を指に巻きつけていく。経験がないし片手だから、どうにもエルザみたいには出来なかったけれど……それでも五指は自由に動くように巻けた。
「よし。できた……」
覆いきれていない親指と人差し指の間の水かきが、包帯の境目と擦れてヒリヒリと痛むけれど……ここは糸が触れないから、とりあえず良しとする。
コルセットをきつく着けないなら、自分の着替えは自分で出来るようになっていた。さっさと着替えたわたしは、厨房から私室までの道をよけ、エルザに出会わないようにこっそりと駆け出していく。
これで……これで今日も糸が紡げる。そう思うと心の底から安心した。
馬宿に続いている方の裏口から出て、生産棟へ早歩きをする。
朝日が昇った直後だと思うのに、工房にはちらほらと人が集まり出していた。
入り口では、集まってきた一人一人に挨拶をしているマルタさんがいて――そんなこと、わたしは頼んでいないけれど『人を動かすためには、まず自分からだ』と思っている、わたしの信念と似た所を感じて、自分の人選に嬉しくなる。
「おはようございます」
「おはよう奥様、今日は早いね……って、どうしたんだい、その手」
「これは……少しだけ、怪我を。でも、大丈夫なんです」
「……そうかい」
追い返されるかと思った。けれど、マルタさんは何も言わなかった。やっぱりこんな怪我は、大したことない。
一人でも欠ければ、その日のノルマは達成できないのだから……。
梳櫛まで終わった、今日糸にする予定の霜麻を自分の糸車まで持ってくるだけで――指を曲げようとするだけで、包帯の下の水膨れが弾けてしまいそうになるのを、腕で麻束を抱えることで何とか回避した。包帯は作業性の為に一重しかしていない。弾けたり出血したりしたら、また包帯を巻き直さないといけなくなる。
糸車の前に座り、人差し指の水膨れがない位置を選んで糸を持つ。
引っ張って手元に持ってきて、調整して。
さあ始めようとペダルを踏んだ。
――その瞬間。




