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魔法少女ミヤビを探しています  作者: 雨宮 叶月


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23/34

恐怖は地獄の底に、愛する者は天国に

 あの日、手入れのされていない森で、大雅は確かに運命をねじ伏せた。肉体と精神をすり潰すような死闘の果てに、誰も死なない、誰も傷つかない完璧なハッピーエンドを掴み取ったはずだった。

 しかし、それは終わりのない地獄への、ほんの入り口に過ぎない。


「任務完了。第一部隊、全員無事帰還しました」

 運営の報告書に、冷淡な文字が刻まれる。大雅が何十回も首を折られ、胸を穿たれ、身体を喪失した凄惨な記憶など、世界のどこにも存在しない。ただ結果だけが、枢木たちの前に提出される。


「お疲れ様です。そして、素晴らしいよ、魔法少女ミヤビ! まさか初陣でこれほど戦果を上げるとはね。君を仲間にして、本当に大正解だったよ」

 枢木はにこにこと笑いながら、ミヤビの華奢な肩を叩く。その手の温かさが、何故かひどく冷たく感じられて、大雅は小さく身を震わせることしかできなかった。


「……はい」

 少女の声で答える。その声に、もう躊躇いはなかった。台本通りにしていれば、すべてが円滑に回ることを、五体満足で帰ってこられる確率が上がることを、大雅の脳は効率的に学習してしまっていた。


 ◆◆☆◆◆


 日常に戻った。

 ただいま、と声をかけて自宅のドアを開けると、奥の廊下からパタパタと軽い足音が響いてくる。


「おかえり、お兄ちゃん!」

 飛び出してきた妹のミヤビは、ここ最近の塞ぎ込みがちだった様子が嘘のように、満面の笑顔を浮かべていた。

「あのね、今日学校でね、友達とたくさんお話ししたの。それから、お兄ちゃんが教えてくれた本、全部読み終わっちゃった!」


 大雅は、妹のその輝くような笑顔を見つめ、胸の奥がじんわりと温かくなるのを覚えた。

 ……ああ、俺が頑張ったからだ。

 あの日、森で魔法少女たちを救い、怪人を消滅させた。世界の因果がわずかに書き換わり、妹の周囲の環境も、少しずつ良い方向へと傾き始めているのかもしれない。大雅が死のループを耐え抜いた代償は、確実に妹の幸福という形で還元されていた。


「そっか。偉かったな、ミヤビ」

 大雅は手を伸ばし、妹の柔らかい髪を撫でた。

 しかし、その指先が、わずかに震えている。


「お兄ちゃん? どうしたの? 手が冷たいよ」

「あ……いや、なんでもない。ちょっと外が寒かっただけだから」

 大雅は慌てて笑顔を作り、手を引っ込めた。

 自分の右手を見る。そこには、何の変哲もない男の手がある。けれど、目を閉じれば、あの日ステッキを握りしめ、出力の限界を超えて黒い劫火を放った時の、肉が焦げるような、骨が破裂するような衝撃が、幻肢痛となって生々しく蘇ってくる。


 それに、洗面所の鏡に向かうたびに、恐怖が背筋を駆け上がる。

 鏡の前に立っているのは、自分自身の顔だ。しかし、その左目の奥に、時折、あのドロリとした黒いノイズが、まるで生き物のように蠢いているような錯覚に囚われる。過去に戻れば、肉体の損傷はすべてリセットされるはずだった。なのに、何十回、何百回と積み重ねた死の経験だけは、大雅の内側を侵食していた。


 ◆◆☆◆◆


 二週間後。再び、その瞬間は訪れた。

 戦場は、過疎地の路地裏だ。

 鉛色の空から、今にも雨が降り出しそうな湿った風が吹き抜けている。


「ミヤビ、今回は私たちが先陣を切るから。あなたは指示に集中して」

 ミドリがステッキを構えながら言う。前回の戦闘以降、先輩魔法少女たちはミヤビを優秀な司令塔として、そして何より大切な仲間として信頼し始めていた。彼女たちの瞳には、もうミヤビを拒絶するような冷たさは一切ない。天国と地獄の境界線は、大雅が自ら手を伸ばせば、越えられるかのように見えた。



「戦闘開始。……来るよ」

 ミドリが呟いた瞬間、巨大なコンテナが紙切れのように引きちぎられ、中から異形が姿を現した。


 今回の怪人は、蜘蛛と人間の顔が融合したような、多脚の化け物だった。その無数の目がいっせいに魔法少女たちを捉え、口から無色透明の酸の霧を大量に噴射した。


「……っ、みんな、散って!!」

 ミドリの叫びよりも、怪人の行動の方が一瞬だけ早かった。


 視界が、一瞬で最悪の色に染まる。

 透明な霧を浴びたアキが、悲鳴を上げる暇もなく、肉体をごっそりと溶かされて崩れ落ちた。ミドリも、脚を酸に焼かれ、苦悶の表情で地面をのたうち回る。


(しまっ……)

 ミヤビが身を翻そうとした瞬間、怪人の鋭い脚が、大雅の胴体を真横から一文字に両断した。


 内臓がこぼれ落ちる圧倒的な喪失感。感覚が消失し、地面に投げ出される。

 脳が、痛みの許容量を超えて発狂する。ミヤビは狂ったように、空間に浮かび上がったウィンドウを睨みつけた。


『これより、現在の時間軸を基点としてセーブしますか?』

【はい】 / 【いいえ】


 ……セーブなんか、するわけがない。こんな、みんなが死んで、俺も死ぬようなルートは、絶対に。

 ミヤビは引きちぎれかけた右腕を伸ばし、エラーコードの裏側にある【過去に戻る】のコマンドを、朦朧とした意識で叩きつけた。


 パチン、と視界が弾ける。


「ミヤビ、今回は私たちが先陣を切るから。あなたは指示に集中して」

 ミドリの声。

 大雅は、コンテナの影で、激しく胃液をぶちまけた。

 戻った。確かに戻った。けれど、身体が、感覚が、死の直前の『両断された痛み』を覚えている。腰のあたりが、まだ千切れているかのように熱く、痺れている。


「ミヤビ!? 大丈夫!?」

「だ、だいじょうぶです」


 二回目。大雅は先ほどの記憶を元に、霧の射線を外すように指示を出した。

 避けた。無事だ。

 しかし、怪人は大雅の予測を超えた速度で地を這い、別の魔法少女の首を、その鋭いハサミで一瞬にして刎ね飛ばした。


 パチン。


「ミヤビ、今回は私たちが先陣を切るから……」

 三回目。

 今度は、ミドリが蜘蛛の糸に絡め取られ、生きたまま咀嚼された。大雅はその糸を断ち切ろうとして、酸の霧を顔面に浴び、皮膚が溶ける激痛の中で意識を失った。


 パチン。


「ミヤビ、今回は――」

 

 七回目、失敗。アキの腕が飛んだ。

 十二回目、失敗。ミドリが下半身を潰された。

 二十五回目、失敗。自分自身の頭部が粉砕された。


(戻れ……戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ……!)


 何十回目かのループの最中、大雅はふと、不思議な感覚に囚われた。

 過去に戻るたびに、世界の解像度が少しずつ落ちていくような感覚。ミドリの顔が、アキの声が、ノイズが混じったようにぼやけていく。

(俺は……誰を助けようとしてるんだっけ。……違う、俺が助けなきゃいけないのは……)


 脳裏に、妹の笑顔が浮かぶ。

『おかえり、お兄ちゃん!』

 そうだ。妹だ。ミヤビだ。俺がこんな地獄に耐えているのは、あの温かい笑顔を、守るためだ。


 その本能だけが、大雅の擦り切れた精神を繋ぎ止める唯一の錨だった。

「アキさん、斜め後ろへジャンプ! モミジさん、その場でステッキを地面に突き立てて防御障壁を!!」

 三十八回目。大雅の声は、もはや少女のものでも、少年のものでもなかった。ただ、死線を何度も潜り抜けた、プログラムのような響きを帯びていた。


 怪人の酸の霧が虚空を濡らし、無数の脚が空を切る。

 

 6人の魔法少女の魔力が一点に集中し、怪人の巨体を貫いた。凄まじい爆発光と共に、蜘蛛の形をした異形が、ドロドロとした灰になって崩れ落ちていく。


「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 勝った。また、誰も死なないハッピーエンドを、無理やり因果の隙間からこじ開けた。


「やった……! ミヤビ、あなたのおかげだよ!!」

 ミドリが、興奮した様子で大雅の元へ駆け寄ってくる。アキたちも、互いに涙を流しながら、勝利の喜びに浸っていた。


 けれど、大雅は、彼女たちの方を振り返ることができなかった。

 口元を拭うと、手のひらにべっとりと、真っ黒な液体が付着していた。過去に戻っても、もう消えない。左目で見える景色はすこしだけぼやけていた。

 彼女たちの輝かしい天国には、やっぱり、一歩も近づけない。


 ◆◆☆◆◆


 ボロボロの精神を引きずりながら、大雅は夜遅く、自宅へと帰還した。

 玄関の鍵を開けると、家の中は静まり返っていた。


「ただいま……」

 掠れた声で呟く。

 すると、リビングのドアが静かに開き、ミヤビが顔を覗かせた。


「おかえり、お兄ちゃん!」

 ミヤビは、やっぱり嬉しそうに笑っていた。大雅が地獄を生き延びたから、妹は今日も、傷一つなく、幸せな明日を迎えられる。

「あのね、お兄ちゃん。今日ね、学校で先生に褒められたんだよ。お兄ちゃんが頑張ってるから、わたしも頑張らなきゃって思って」


 妹の言葉を聞きながら、大雅は、リビングの壁にかけられたカレンダーを見つめた。

 そのカレンダーの数字が、わずかにブレて、二重に見える。

 いや、ブレているのは世界ではない。大雅の脳だ。


「……そっか。頑張ったな」

 大雅は、笑おうとした。

 妹を安心させるための、いつもの、優しい兄の笑顔を。


「お兄ちゃん……?」

 しかし、ミヤビの笑顔がふっと消えた。その瞳に、明らかな恐怖の色が混じる。

「お兄ちゃん、どうしたの……? なんで、そんな……泣きそうな顔で、笑ってるの……?」


「え……?」

 大雅は、自分の顔に手を当てた。

 笑っているはずだった。綺麗に、いつものように。

 得意だったのに。

 けれど、大雅の頬を伝っていたのは、冷たい涙だった。そして、口元は、引きつったように歪み、まるで化け物が人間の真似事をしているかのような形をしていた。


 何十回もの死の記憶。

 肉体が引きちぎられる痛み。

 それらが、大雅から普通の笑顔の作り方さえも、奪い去っていた。


「ごめん、なさい……お兄ちゃん、わたし、何か変なこと言った……?」

 怯えるように一歩身を引く妹を見て、大雅の心臓が、冷たく収縮する。

 守りたかったはずの妹を、自分の存在が、自分のこの壊れた姿が、怖がらせている。


「いや、違うんだ、ミヤビ。……なんでもないんだ。ちょっと、疲れちゃっただけだから」

 大雅は、必死に涙を拭い、妹から目を逸らすようにして、自分の部屋へと逃げ込んだ。


 バタン、とドアを閉め、暗闇の中に崩れ落ちる。

 全身がガタガタと震えて止まらない。


(俺は……何のために、戦っているんだっけ。妹の笑顔のため……? でも、俺が頑張れば頑張るほど、俺は化け物になって、ミヤビを怖がらせて……)


 混沌とする思考の中、大雅はふと、ベランダの窓を見上げた。

 曇った夜空。月も星も見えない、真っ暗な空間。


「……疲れたなあ。疲れた」


 大雅はゆっくりと目を閉じる。


 あんなに頑張っても、ほかの人から見たら自分は弱い。なぜそこにいるか分からないくらいに。魔法少女というだけで勝手に期待されて、使命を果たそうと努力しても結果が出なかったら勝手に失望される。未来に希望なんて持てない。輝かしい未来など約束されていない。ただ今を必死で生きることしかできないのだ。


「幸せになりたいな」


 いつかそうなれる日が来るといいと思った。

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