シミュレーション空間
資料を読み終わると同時に、大河のスマートフォンから着信音が鳴った。電話のようだ。震えるスマートフォンには、『義父』と表示されている。大河は応答した。
「もしもし」
「もしもし。大雅くんですか?今お母さんが産気づいて、病院にいます。医者の話によると、今日または日付を超えるくらいに生まれるそうです。大雅くんも来ますか?」
「あ……」
大雅は言葉に詰まった。本来ならば行きたい、と言いたかった。しかし、母が赤ん坊を抱き、そのそばに義父が立っている。そして、その後ろに自分が立つと思うと場違いのように感じられた。
それでも、行こうかと思った。ふさわしいかふさわしくないかではなく、今の自分の気持ちに素直でいようと思った。
「大雅くん?」
行きます、と言った。
言ったはずだった。
大雅は口をぱくぱくと動かす。声が出ない。どうにか声を出そうとするが、口から漏れ出るのは空気だけだった。
魔法少女ミヤビのことが頭に浮かんだ。何の意味もない、なぜかは分からない。ただ、彼女の気持ちを考えながら、深く息をついた。
「行きません」
そう答えるときだけ、声が出た。そのあと行きます、と口を動かしても声にはならない。自分は行かない運命なのか、と納得する気持ちと、その場に居合わせたかったという本当の気持ちが交差した。
「そうですか。では、また生まれたら電話しますね」
「ありがとうございます」
「では、失礼します」
電話が切れた。
大雅は未だ靄のかかる心を見て見ぬふりをし、先ほどの資料の続きを読もうと、一枚めくった。
大雅の手元には白紙が残る。
「……白紙?」
この白紙にどんな意味があるのだろうか。テストのときの問題用紙の無駄な余白のように、もう忘れてしまった愛という感情に。
大雅は白紙を握りしめた。くしゃり、と少し歪む。まるで自分のようだと大雅は足を組んだ。
突然、視界が明るくなる。
大雅は目を見開いた。今は夜のはずだと窓の外を見ようとして、その光は今自分が握りしめている白紙から放たれていることに気づいた。その光はだんだん大きくなる。
紙が大雅の手から飛び立ち、天井に張り付いた。そしてひらひらと落ちてくる。
大雅は目が離せなかった。自分の義務も存在も忘れて、ただその光景に見入っていた。
紙が床に落ちる。大雅はそちらをじっと見つめて、はっと顔を上げた。誰かの脚が見えたからだ。
目の前に、魔法少女が立っていた。
その衣装も、ステッキも、魔法少女としか言えない。
なのに、魔法少女は泣きそうな顔で笑っていた。
全人類の憧れ、強くて可愛い魔法少女。
目の前に立つ魔法少女は、黒髪である。
魔法少女ミヤビ、という声が聞こえた。それは大雅の脳から聞こえる。自分が想像した、誰かが魔法少女ミヤビを非難する声だ。
魔法少女が大雅に一歩、近付いた。そして今度は満面の笑みで、大雅に手を差し伸べる。
大雅は無意識に、その手を取った。そうすれば、とても幸せなことがおこると思った。
ふわりと体が浮いた。大雅はやがて光に包まれ、姿が消える。
夜空に星は見えない。
大雅がもと居た場所には、誰かが生きていた軌跡と、ただ冷たい空気が残り続けるだけなのだろう。
◆◆☆◆◆
「ようこそ!いつかの未来と、過去へ」
魔法少女が大雅の目を見て、そう呟く。
ふと右に人影が見えた。大雅はそちらを見て、目を見開く。
「カイさん……?」
瞬きをすると消えてしまった。恐らく幻覚だ。
気付けば大雅は、巨大な部屋の中にいた。天井は半分星空で、ところどころにふわふわの綿と、硝子の破片が落ちていた。
大雅は魔法少女とふたりきりだった。しかし、たくさんの視線を感じるのは気のせいだろうか。
「私は魔法少女ミヤビです。そしてここは、巨大な魔法空間。シミュレーションと呼びます。私たちは、貴方のことを待っていました!」
ぱちぱちぱち、とどこからか拍手が聞こえる。
魔法少女ミヤビが、ガラスの破片を踏んだ。白い足から真っ赤な血が流れる。大雅は何も言わなかった。
「貴方はこれから大変な思いをするでしょう。辛くて、泣きたくて、全身を搔きむしりたくなるかもしれない。それでも、これは未来であり、過去だから。知ってもらわないと駄目なんです」
目の前の可愛らしい魔法少女が、ふわりと笑った。どこか歪な笑顔。
「やさしくてくるしい、ながーい夢へようこそ」
大雅の視界が暗くなる。熱のときのような、体が熱くてふわふわした感覚だ。大雅は手を伸ばす。何も感じないのに、誰かが手を握ってくれている気がした。




