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30話: 灰色の寒風

ケレ・ボネ。

動物学及び異種族学、物理学に精通し、世界でも指折りの科学者とされる偉人の名前である。

彼は様々な多角的方向から、我々人間の共存者にして、その生態が長い研究歴史を重ねたにも関わらずまったくと言っていいほど解き明かされていない異種族(フリーク)の実状を僅かながらも紐解き、研究史の先駆者となった英傑だ。

フリークたちの有する異空の能力、人間たちは魔術と表記するそれや《干渉(コネクション)》なども、彼が研究を進め、深め、また新たな発見を繰り返し、現在私たちが認識する、魔術やコネクションの一般常識となる知識基盤を作り上げた。

彼は私が生まれるもっと前、古来と称されても違和感ないほど昔の偉人あり、《支配者(ルーラー)》を目指す者どころか、この世界に身を置くものならば小さな子供だって知っているような人物である。

彼がいなければフリークの生態・実状を含め、ありとあらゆる面で技術・文化的進歩の遅れが見られたのでは、とまで言わしめさせる、そんな偉大な人物の名を冠した辺境、ケレ・ボネ。

数々の偉業を成し遂げ世界の幅を広げた彼が、その生涯を粉骨砕身して心を注いでいた異地が、世界地図の北方に位置する亜人の街、…人との交流が半ば断絶された隔離の地。

それが、今回私が目指すべき場所である。




シトラスの背から見る雄大な景色、清々しい空気、そしてなにより大事な相棒と一体になり、そんな素晴らしい風景を共有出来ているという満足感。

はじめての任務だというのに、シトラスの背に乗っただけで震える心は落ち着きを取り戻し、私は平常となんら変わらぬ気持ちを取り戻すことが出来る。

いつものように、単純に現金なのかと思ったが、どうやらこれ、シトラスと触れ合っている時だけは違うようである。

WGSFお抱えの生物学の博士であるテムジン先生に聞いた話によると、コネクションを果たしたライダーと竜の間ではよくあることなんだそうな。

つまり、ライダーが危機迫った精神状態の時は相棒である竜に触れること、一番いいのは騎乗することなのだそうだが、とにかく触れ合うことによって、彼等の間、根本で交わされたコネクションが通じ合い、相手の心を宥めすかしてくれるのだという。

竜の精神状態が不安定な場合も、また然り。

人間にコネクションを通じて作用する不思議極まりない安心感のベクトルは、竜にも通用するらしい。なにせライダーとその相棒は、通じ合っているのだから。

その話を聞かされた時、なんかすごいファンタスティックー、なんて思ったが、フリークがいて、魔術があって、それをかけがえのない隣人として長い年月生きてきた我等人類にしたら、もしかしたら当然のことなのかもしれないとも思った。

人の言葉は理解出来ても喋ることの出来ない彼等の感情を察知するのは、熟練のライダーでもそれなりに難しいらしいが、相棒が不安がっている時、また怒りに我を忘れた時など、危機的状況でもこの交互作用は活用される。

ライダーになるには必須の項目、なにより大事な自らの相棒の気持ちの機微くらい、必要事項でなくとも感じ取れるようにならなければいけないのは当然だと思う。


「ありがとね、シトラス」


彼にその気があるのかどうかはわからないが、私が平常心を保てているのもその論理からいくとシトラスのお陰なのだ。

与えてもらうばかりで私と言えば一向に何も返せてないのが現状だけれど、これから頑張るから見ててね、という気持ちも込めて、隆々と盛り上げる筋肉の束のような肩の鱗を撫でる。

その際、いやしかし果たして竜の肩ってほんとに此処なんだろうか…なんて下らないことを考える私に、シトラスは応えるように低く喉を鳴らしてくれた。

不意に、装着したインカムから機械音が響いてくる。

耳にインカムを押し当てて声を聞き逃すまいと耳を澄ませると、リチャードさんの声音が耳朶を震わせた。


「レリア」

「はい、聞こえてます」

「一旦検問を通らなきゃいけないから、降りてきて。2時の方向」

「了解です」


青々と生い茂る緑が、遥か向こうで澄んだ空と地平線で融解している。

そのまま視線を少し下方に下げれば、緑の道の中を黒い身体を蛇行させて進む、リチャードさんの相棒、カナタが見えた。

ううん…あの巨体をくねらせて爆走してるだけあって、さすがに空の王者と冠される竜ほどのスピードはないが、恐らくフリークの中でも足の速い分類になるんだろう。

…足、いっぱいあるし、そりゃ速いか。


「う…」


そこまでシトラスのスピードを制限してないにも関わらず遅れず並走するカナタが凄いことと、それからどうしてそこまでの速さを維持出来ているのか、そのちょっとした疑問からカナタの姿をありありと脳裏に描いてしまった。

カナタのやたらめったらデカくてやたらめったらわさわさと生え揃っている足を思い出して、失礼だとは感じつつも鳥肌が立つ。


「…あー、やめやめ。見た目はあんなだけど、私にとってシトラスが大事な相棒のようにリチャードさんにとってカナタも大切な相棒なんだから…」


ぶんぶんと頭を振って、黒光りする筋肉質な細長い装甲を脳裏から追い出す。

それからリチャードさんの指示に従うために、シトラスの手綱を緩めて、合図を送った。

目的の方向に鼻の先を修正して軌道に乗せつつ、シトラスの巨体が、ゆっくりと下降をはじめる。




「レリア、証明書」

「はいっ」


手のひらを向けられ催促されるまま、慌てて腰に装着してあるベルトポーチを漁る。

硬くてつるりとした感触のそれを鞄の中から探り当てて、引っ張り出す。

いつか、WGSFにはじめて訪れた時にニロバニアさんが不意打ちの如く激写した私の間抜けな顔がプリントされた証明書を、リチャードさんの手に渡した。


「………」

「…なんですか」

「いや、いつ見ても不細工な面してるなあ、このレリア…って思っただけ」

「余計なお世話なんですー!」

「このレリアって言っただろ。お前じゃないよ」

「どのレリアも結局私なんですけど…」


私だっていつまでもそんなアホ面全開な証明写真でいたいわけじゃないやい。

ただ、このところ忙し過ぎたのと、本部内で証明書を使う機会が滅多になかったことも手伝って撮り直すに至らなかっただけなのだ。

ぶつぶつ拗ねる私を余所に、リチャードさんは己の証明書と、私の不細工な証明書を検問官に手渡す。

それらを入念にチェックする検問監査官たちの向こう側、縦にも横にも巨大な金網が張り巡らされている更にその向こうに視線を投げ掛けた。

亜人の国、ケレ・ボネは、人の世から隔絶されたところにある。

それはもちろん場所的に、一年中平均気温が十度を超えないような北のどの国からも捨てられた地に追いやられた、という意味合いでも使われるし、けれど、場所的な意味合いよりももっと、世界にあるべき彼等の存在意義が排除された、という意味での隔絶の方が強いのかもしれない。

彼等の国は、形を変えた独立国家でもある。

もっと正確に言うならば監視下に置かれた独立国家…孤立国家だろうか。

見て呉れだけは自然豊かな緑の森のその奥、寒気に強い数種類だけの草木が申し訳程度に生える茶色の大地に、彼等の国はある。

…その周囲を電磁性の金網に包囲されて。

多種多様なフリークたちの中で、亜人という存在は人類にとってとても近しく見え、だからこそ人は亜人を遠ざけ忌み嫌った。

亜人という定義はそもそも、とても曖昧模糊としている。

だが、世界政府並びにWGSFが定めた…数あるフリークの中で、特定のフリークを亜人と定めた定義は、機能や生態ではなく、かなり見た目によるものがあった。

例えば、何処からどう見てもヒトの形をしてはいるが、まったく知能のないもの。

もっと言えば野生動物と同じ感覚・生息地で生き、思考能力がないフリークがいる。

ヒトの形をした獣みたいなものだ。

これは異種族の中で特定の異種名を持たず、ただ『亜人』とだけ異種族の生態系の本に乗せられている。

他にも、上半身は人の身体、ただし下半身とその頭部は奇蹄目ウマ科の、馬であるというようなフリークも、『亜人』という一括りの中に組み込まれている。

このことからはっきりとした定義はなくとも、人と異種族を掛け合わせて作られたとしか思えないような見た目のものを、『亜人』という囲いの中に分類しているのだというのが一般の知識として人々には染み渡っている。

今は無論禁じられ、これを現代で犯せば大罪となることだが…遥か昔、ケレ・ボネが生前であった頃に、人間とフリークで子を成せないかという生物実験が行われたそうだ。

人としての、それからこの世界の先住人であるフリークの尊厳を踏み躙るおぞましい実験は数年に渡って様々な科学者たちの手によって続けられたというが、ある時を境にぱったりとその実験は打ち切られ、行われなくなったらしい。

今になってもそれが何故か政府は発表していないが、歴史にはそんな実験があったことと、その実験がある時から為りを潜めたことだけが記されている。

それからもうひとつ、ぽつねんと置き去りにされたその実験の結果から言うと、…人間とフリークの間で子供は生まれなかったという。

あまりにも互いの生態系に齟齬があるためか、もしくはもっと他の理由なのか。

これもまた、結果だけが歴史に残され、時を同じくして今後一切このような生態実験は行ってはならぬと、法令が発せられただけだった。

…ただ、この下地があるからこそなのか、亜人はあの時、あの忌まわしい実験で奇跡的に産み落とされた人間とフリークの間で出来た子供なのではないかと、世間では噂が飛び交っている。その子孫たちなのではないかと。

事実はやはりわからない。

彼等は世界から隔離され、彼等だけの小さな世界、孤立した国で暮らしている。

私にとって亜人の認識はその程度で、他はなにも知らない。

ただ…彼等が人類の味方でないことだけは、無知な私にだってわかるのだ。







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