はじまりの鳴き声‐弐
びりびりと空気が振動する感覚がダイレクトに身体に伝わってきて思わず肩をすくめた。地下だからだろうか、普通よりも籠っているように聞こえる音は私の鼓膜を激しく叩いて軽い頭痛を起こさせる。
「なんで……」
あまりの衝撃にそんなことしか言えなかった。
考えたって到底答えに辿り着くわけがないのにどうしてだとかなんでだとかなにが起こってるんだろうとか、そういったことばかりが頭の中を駆け巡る。
その間にも容赦なく耳に入ってくるうおんうおん、と泣いてるようにも聞こえる“彼”の叫びに別の意味で頭が痛くなった。
「…レリア、一度出るか?」
肩をすくめて両手で両耳を押さえ困惑する私に、隣にいた二ロバニアさんが見兼ねたように話かけてくる。出るか、というのはこの部屋から、ということなのだろうか。
たぶんそういう意味だろうと揺さぶられる思考回路で判断してから首を横に振った。
これでも一応駄目なりに覚悟を決めてきたのだから、このくらいのことで挫折するつもりはない。
私が否定の意を示したのを見た二ロバニアさんが少しだけ嬉しそうな声音でそうかと言うのを聞きながら、目の前の“彼”を改めて見つめ直した。
「………………」
示されたドアの向こう、地下室だと言っていた部屋には二ロバニアさんが言っていた私に会わせたかった相手とやらがいた。
――けれどその相手は、つまり今現在私の目の前にいる“彼”は何故だか当たり前のように、人間ではなかった。
地面が本当に揺れているのかと錯覚させる雄々しい吼え声と、そこそこ広く造られているこの地下室が“彼”がいるだけで少し窮屈に感じるほどの巨躯。力の限り振り回しているのだろう長い首は太く、それだけですでに凶器だ。金色の瞳は爛々と輝き獲物を探しているのか瞳孔がぎょろりと忙しなく動く。
「なんで、ここに…」
改めて見て確信した。
私が“彼”…この竜に会うのは今日がはじめてじゃない。
――この間街中に侵入してきた、あの時の竜だ。
私の目前にいるのは、二ロバニアさんが、私が退けたと言っていたあの竜だった。
「二ロバニアさん!」
「お前の知り合いだろう?」
「普通に違いますよ!?」
なんでここにこの竜がいるんですか、と聞こうと思った真剣な私に対して二ロバニアさんが吐いた言葉はあんまりだった。なんだ知り合いって…。第一竜は人じゃないだろう、とかそう言ったつまらないツッコミは敢えてしないことにする。
吼え猛る竜を目の前にしてもいつもとなんら変わりのないおじさんの態度には感服するしかないが、今はそんなことでこの人の凄さとかを味わっている場合ではない。
すぐに気を取り直してどうしてここにこの竜がいるんですかと問い直すと、二ロバニアさんはこいつはこれからお前の竜になるんだから当たり前だろう…と、本当に言葉通り至極当然みたいな顔でそう答えてくれた。
………え、ごめんなにが?
「あれ、今日からお前の相棒な」
「…………………………………え」
意味が理解出来ないで瞬きもせずに固まった私に、二ロバニアさんが丁寧に目の前にいる竜を指差してくれる。
――「あれ、今日からお前の相棒な」。頭の中でにこやかに二ロバニアさんがそう私に告げる。もちろん現実にいる二ロバニアさんも今私の隣でにこやかに微笑んでいて、「あれ、今日からお前の相棒な」と告げてくる。しつこいくらいにあれはお前の相棒あれはお前の相棒あれは今日からお前の相棒と、妄想と現実で宣告してくる湿気たおっさんをとりあえず脳内からだけでも追い払って、私は思考回路をフル活動させた。
うん、まあ、つまり……あれ、と言うのはそんなに考えるまでもなく、もちろん今二ロバニアさんが指差している、竜の、こと、で。
「ええええええええええええええええええええええええ………!?」
「…なにもそんなに驚くことじゃないような気がするが」
“あれ”というのを認識して、尚且つ二ロバニアさんが仰る意味もちゃあんと理解して、それから私は顎が外れんばかりに大口を開けた(プラスアルファで色気もなにもない普通のド真ん中を行く叫び付きだ)。
…“あれ”が今日から私の相棒?
ぐらぐらと混乱する脳内で一生懸命考える。
《竜騎士》になるからにはもちろん竜に騎乗することになるだろうとは思っていた。二ロバニアさん曰く私はまだなれるかもしれない、という段階だそうだが、ドラゴンライダーになれるかなれないかというのは竜に乗れるか乗れないかで決まることなので、必然的に当然私も竜に乗ることになるだろうなあ、とは考えていた。
けれど、まさか、WGSF本部に着いたその当日に、竜に対面するとは想像もしていなかった。だって当日ですよ?それも到着したばっかりなのに。
今すぐ乗ってみろと言われたわけではないが、それでも私が驚くのは当たり前だと思う。
しかもお前の相棒になると言われたその竜は、きっと一生忘れることがないだろう恐ろしい体験を味あわせてくれた当本人(いや、当本竜?かなこの場合)で、驚きは二乗三乗だ。
「なんで…」
混乱したまま呆然と隣にいるニロバニアさんを見上げる。
とにかく詳しい説明を求めようと視線で訴えると、彼は無精ひげをじょりじょりと撫でながらわかったと頷いて、あのなと口を開いてくれた。
「この竜な、お前に帰れって言われて一度は自分の棲家に大人しく戻って行ったらしいんだが、1日もしないうちにまた首都に現れたんだよ」
「え…?」
首都にまた帰って来た…?
知らなかった事実に目を見張った。
竜が首都に侵入したという事件はあの日のうちにニュースで大々的に取り上げられていたが、竜が再び首都に現れたとか、そんな話は聞いたことがなかった。それに、帰って行った竜はどうしてまた危険しかない首都なんかに舞い戻って来たんだろう…。
ますます頭を悩ませる私にニロバニアさんが説明を続ける。
「ニュースにならなかったのは政府がこの竜の存在を黙認したからだ。つまりこの国にとって有益になり得る存在、…まあ《もしかしたら》という仮定だが、少なくとも今はこの竜が有害になるとは御上が判断しなかったから、存在と侵入を黙認された」
「政府が、黙認……」
なんだかスケールの大きな話になってきたぞ…。
未だに吼え続けている竜の迫力ある咆哮をBGMに私は冷や汗を流す。普通に生きていたら聞けないんじゃないかと思わせるような内容ばかりでチキンハートな私には些か負担が大き過ぎる。
色々な意味で高鳴る心臓を抑えつつ、二ロバニアさんの話の続きに耳を傾ける。
「しかしいくら黙認されたからと言って、そのまま野放しにしとくわけにもいかない。初めは軍やライダーたちで追い払おうと思ったんだが……ライダーの1人が妙なことに気が付いてな」
「妙な、こと」
「同じ場所ばかりいつまでもぐるぐるぐるぐる飛び回って何か探してるみたいだって、そのライダーは言うんだ。そいつの言う通り、確かにこの竜はある場所の上をずっと旋回しているだけで、それは首都の人間を襲おうとか、そういった動きには見えなかった」
「おなじ、ばしょ…」
「…お前は聡いな、レリア。案外《竜騎士》に必要とされているものは単純な頭の良さなんかじゃなくて勘の鋭さや状況把握能力の高さだとか言われているから、もしかしたらお前は適役かもしれんぞ」
「…………」
そう言った以上ニロバニアさんが説明を続けようとしなかったから、きっと私が今考えていることが正解なのだと悟った。
予想外過ぎる己で導き出した答えにせっかく褒められたことなんかは既に忘却の彼方で、頭の中は導き出した事実にこんがらがっている。
――どうして、なんで。
脳裏に浮かんだのはここ何日かで散々使い回した言葉たちだ。
きっとこれからも擦り切れてボロボロになるまで使い続けるに違いない。
そんな言葉たちを心中で何度も繰り返しながら、私は自分で付けた憶測を小さく呟いた。
「竜が飛んでいた同じ場所というのは、この間、“彼”と私が初めて接触したあの路上で、探していた何かと言うのは……きっと、私の、こと、…」
「正解だ」
ああやっぱり…。
ニロバニアさんがくれた100点が肩に重く圧し掛かって思わずがくりと項垂れた。
これが普通のテストだったらどんなに嬉しいか、なんて思考しながらニロバニアさんの顔を下を向いたまま覗き見る。
「そんな顔するなよ」
「………」
自覚できるほど情けない顔をしている私と目が合ったニロバニアさんが苦笑しながら項垂れている私の頭を乱暴に撫でて、心配するなと励ましてくれた。
なにもないから、と。
わしゃわしゃとまるで犬みたいに撫でられるのとその言葉に頷く。渋々に見えるほどゆっくり顎を引いた私を見て仕上げとばかりに今までとは打って変わって軽い調子で頭のてっぺんを2、3度叩いてからニロバニアさんは手を引いた。
不安もある。恐怖もあった。
だって《竜》に探されてただなんて前代未聞過ぎるじゃないか。
見つかっていたら今頃私はどうなっていたのだろう、と想像するだけで背筋に氷が滑ったんじゃないかと思うほどざわわわわー、と寒くなる。
でも、だけど、今私の目の前にいる“彼”からは不思議と恐怖を感じなかった。
探されていたことを考えると怖いのに、その探していた本人(本竜?)を目の前にすると怖くないとは可笑しいのだろうか。
どちらかと言えば恐怖よりも疑問を感じる。
どうして探されていたのか、何故私なのだろうか、探し出してなにをするつもりだったのか、疑問は尽きることなく私の脳内を回遊する。
…ひとつだけなんとなくわかってることとすれば、帰れとやいやい指図した小娘に仕返ししてやろうとかそういった類のものだろうな、ということくらいか。
「つまりこの竜がお前を探してるんだと気付いた時点で、こいつはこの国とって有益になり得る存在だとほぼ確定した。はじめは取り敢えず追っ払うだけの予定だったが、こいつからレリアに会いに来たんだ。なにも追い返すこたぁないだろうと御上が捕獲命令を下して、それで今、こいつとレリアが此処で対面してるってわけだな」
たくさんのもしも、を想像して青くなったり暗くなったりする私に、二ロバニアさんが、多分先ほどの説明の続きだろう、どうしてこの竜がここにいるのかの説明をし終わってまあそんなところだと乱雑に締め括った。
その説明にああそうですかこれはご丁寧にどうも、と納得しかけて、思い止まる。
…今の話でどこをどう納得すればいいんだろう…?
だって引っかかるトコロがたくさんある。
例えば有益になり得る存在だとほぼ確定したのは何故か、はじめは取り敢えず、と言うことは何か他にしなければならないことがあったのか、とか。
だからもっと細かく細部までの説明を求む!とニロバニアさんを顧みれば、ばっちりと目が合った彼は…何故かとても面倒臭そうな顔をした。
ええっ、そこでその表情は可笑しいでしょ!?
「なんでですか!」
「いや、レリアってわりと細かいタイプだなあ、と」
「ニロバニアさんが大雑把すぎるんですって…」
「そうか?………まあ、そうだな。強いて言うなら可能性の話だ。でもこちらが先にアクションを起こす前にお前の竜が先に動いた。これで可能性が確定になった、…ってそれだけの話だろう?」
「どれだけの話かそれ聞いたって未だにわかんないんですけど!!」
まるで意味のわからない説明を再度してくれたニロバニアさんに噛み付くが、ああ、うん。じゃあその話は後でな、と適当にあしらわれてしまう始末。私のハナシなのに私が把握出来てないだなんて…。
ニロバニアさんのいい加減さと、それに少しだけ救われている自分に呆れながら私は手持無沙汰に何かを訴えるために泣いているとしか思えない“彼”を再度見上げた。
竜の巨躯に纏わりついている拘束具ががしゃがしゃと大きな音を立てながら狂乱しているとしか思えないほど暴れ狂う竜を抑え付けている。
あまりの暴れっぷりに改めて眉間にしわを寄せると、それを見兼ねたのか、それとも元からそのつもりだったのか、ニロバニアさんが外に出ようと私に地下室の出入り口を示した。
「いいんですか?私とこの竜を会わせるために来たんじゃ…」
外に出ること自体には大いに賛成だが、私がここにきたのは竜と会うため…と言うか接触するためではないのだろうか。竜の鳴き声と暴れるたびにけたたましく地下室内に響く拘束具の甲高い音に耳が馬鹿になってきそうなので退出したいのは山々ですけど。
そういった気持ちを込めてニロバニアさんを見上げると、彼は肩をひょいと竦めて見せた。
「危険を冒してでも首都に戻ってきて必死になって探していたお前が目の前にいるってのに気付かないほど錯乱してしてるんだ。ここにしょうがないだろう。本音を言えばもう少しなにかあればと思ったんだがな」
こいつ、捕獲してから今までずっとこんな調子なんだよ、と微かに心配そうな表情をニロバニアさんは竜に向けた。
ずっと。ニロバニアさんのその言葉に眉間のしわを深くした。
あれだけの大怪我を負っていたのがつい最近で、捕獲されたのもつい最近。
いくら生命力が強くて自己再生能力が高い竜でもそんな短期間じゃあんな大怪我は治し切れないはずだ。地下室が暗いせいもあって竜の体躯を全部見れるわけではなくとも、その身体はまだ傷だらけなのだろうと容易に想像が出来た。
なのにこんな調子でずっと暴れてるだなんて。
普通だったら死んでも可笑しくないんじゃないのかどうにかして大人しくさせないと、なんて思いながらも私にどうこう出来る問題じゃないと溜息を吐いた。
「行くぞ、レリア」
「あ、はい」
考え耽る私の肩を叩いてニロバニアさんがドアに向かって歩き出す。
やや躊躇しながらも暴れる竜から視線を外して、私もドアに向かって歩き出した。