無意識と杯
沈黙の回廊を歩き、昨夜見た夢の内容を思い返す。
礼拝堂の中で静代と会った夢。彼女と交わした言葉。彼女の冷たい手。感じたもの全て。
回廊を歩く。
もう今が何周目なのかも把握できていなかった。ただ、ぼんやり立っているより、身体を動かした方が心が落ち付く気がした。
俺はここに来てから、何故静代の夢を見るようになったのだろうか。答えが分からない。そもそも、答えがあるのかさえ分からない。偶然なのかもしれない。意味なんて、ないのかもしれない。
「……黒殿」
名前を呼ばれて、俺はゆっくりと振り向く。声の主は、俺の漫然とした動作に片眉を上げて、小さくて苦笑した。
「回廊を何度も巡って、どうかされましたか?」
「ああ、ヨハンナ。ちょっと考えたいことがあって」
「……確かに思案することにおいて、この沈黙の回廊程適切な場所はないでしょう。ただ――」
らしくないですね、と彼女は遠慮がちに呟く。そして、本当にらしくないと、今度は自身へ確認するように頷いた。
「貴殿は、一体何を悩んでいたのだ?」
「いや、大したことじゃないんだ。ちょっと、夢見が悪くてさ」
「……そうか」
俺の返答を聞き、ヨハンナは何故か目を伏せた。それから、ぎこちなく笑った。様々な感情が入り混じり、無理やり抑制したような笑みだった。
「その……もし良ければ、どのような夢を見たのか聞いても良いだろうか?」
一瞬、迷ったがヨハンナなら話しても良いかと思った。このストーンハーストにおいて、俺が最も信頼を置いている人物がヨハンナだからだ。
勿論、アマルやフランチェスコも信じている。ただ、ベクトルの問題なのだ。アマルには愛情、フランチェスコには友情。そして、ヨハンナには信頼を強く感じている。
「……亡くなった人の夢を見たんだ」
「故人の夢、ですか」
「うん。亡くなったのは10年以上前なのに、最近になって良く見るようになった」
「……何か心当たりはあるのですか?」
「いいや……」
短く答える。
ヨハンナは、そうかと小さく頷いた。一拍置いて、彼女は視線を真っ直ぐ俺には向ける。
「――会いたいと、願っているからでしょう」
「俺が、会いたいと願ったから……?」
確かに、そう思っていた。
もう一度、もう一度だけ会いたいと。でもそれは、ここに来る前からずっと思っていたことだ。それまでは、会いたくても会えなかったというのに。
「……逆だ。故人が貴殿に会いたいと願っているのだ」
その言葉を受け、何とも言えない奇妙な顔をしてしまった。たとえそうだとしても、何故このタイミングで静代が夢に出てきたのか、という根本的な答えにはなっていないからだ。頬に手を当てて、意識して顔を引き締める。
「でも、相手は亡くなってるんたぞ。それに、今までそんな夢は見なかった。ここに来てからなんだ」
「だからこそ、だ。……良いですか、黒殿。ここはある意味、生と死が交わる場所だ。何故なら、ここは人が生活を営む世界でもあると同時に、森と同様に世俗から隔離された異界でもあるからだ」
「……つまり、このストーンハーストにはどちら片方だけではなく、現世と常世が同時に存在しているってことか? だから、その曖昧な境界を越えて死者が生者に接触できると?」
「ええ。しかし、あくまでも捉え方のひとつであって正解ではない。もしかして、貴殿の意識していない願望や抑圧されていた無意識が、夢という形で現れたのかもしれない」
無意識の欲求や願望が夢に現れる。
ヨハンナの言葉を聞いて、俺は精神分析家のフロイトを思い浮かべた。彼は人間は心の内を意識できるのは氷山の一角、ごく一部だけであり、その意識できない部分を無意識と定義付け、分析しようとした。
総合病院の医療事務として働いたため、医療知識を増やそうと精神科領域のことも勉強しようとしたのだが、正直全く理解できなくて断念した。フロイトの夢分析は、難解な上かなり性的な傾きがあったからというのも理由のひとつだった。
フロイト曰く、夢に出る尖っているもの、棒状のもの、突き出ているものは男性器を表し、中に物が入れれる袋上のものは女性器、部屋は子宮を象徴しているという。
中々どうして、ぶっ飛んだ考え方だろう?
(……フロイト先生的に考えると、礼拝堂は子宮、無数の蝋燭は男性器あるいは精子になっちまうぞ。想像しても、笑えないな)
そこまで、考えてハッとする。
―――杯を掲げているのです。
両手を空に掲げているストーンハーストの像に対して静代は、「杯」を掲げている、と言った。像の両手には杯らしき物はなかった。では、杯はどこにある。
(……両手を掲げる。いや……違う。そうじゃない。両手を掲げているということ自体に意味がある。その構図こそ杯を表しているのではないか。そうだ。両手を空に突き出すしていることによって生まれるVラインこそ杯なんだ)
礼拝堂、杯、それは子宮を表し、無数の蝋燭は男性器を表す。その両方が揃うことによって生まれるものは――――。
かちり、とパズルのピースが埋まった感覚。異邦人である俺の存在義、アマルの役割、静代が望んだ夢の続き。
「……黒殿、大丈夫ですか?」
心配そうに目を瞬かせて、俺の顔を覗き込むヨハンナを強く抱き締める。そして、高揚感に任せそのままぐるぐる回した。
「ちょ、きゃあっ、アンドリっ……く、くろ、黒殿、やー、くろぅどの、やだ、ひゃう、もう、どうした、の、きゃあああぅっ!」
「あははっ、ヨハンナ、お前は最高だ! 本当にありがとう!!!」
力の限り回る。
ヨハンナは可愛らしい悲鳴をあげ、俺は大きな笑い声を上げた。
数分後、風圧で髪が乱れたヨハンナにこってり説教をくらったのであった。




