まつろわぬ神
ミサの合間、書庫に忍び込んで俺は本を探していた。
ソフィアさんが言っていたストーンハーストに残る竜殺しの伝説を探るためである。
「聖ゲオルギオスに聖マルタ、聖マルガリタか……」
書庫の中で見つけた『レゲンダ・サンクトルム』というキリスト教の聖人伝集を読むと竜殺し、あるいは竜の恭順をなし得た聖人たちを見つけることができた。しかし、どちらもストーンハーストに関わりがなく、ここで信仰されている訳でもなさそうだ。
ただ気になる点はいくつかある。
竜殺しに際して、明らかに布教や改宗と言った要素が含まれていることだ。
聖ゲオルギオスは竜退治の条件に、民衆に洗礼を受けること、つまりは改宗することを求めた。
布教のためにフランスに訪れた聖マルタは、信仰心によって悪竜タラスクを調服した。
聖マルガリタも幾度となく棄教を迫られ、竜の姿をした悪魔に飲み込まれながらも、神への信仰から腹を引き裂いて生還を果たした。
こういった伝説は、キリスト教布教の一種のプロパガンダとしての役割を担っていると言えるのではないだろうか。民衆に分かりやすく、またストーリー立てて語ることで、信仰心をかきたてた。
キリスト教において、竜は悪魔の化身だ。また、その竜を退治あるいは調服し、布教や異教徒に対して改宗を行う。では、竜は反キリストの象徴?
これはこじつけになるが、竜、引いては悪魔とされるものたちは元々異教徒の信仰する神々やそれに準ずる存在、あるいはそれを信仰する人々であった。そう考えてみればどうか。
つまり、竜殺しは宗教に対する征服。
古来からある信仰を淘汰し、犯すための逸話。ストーンハーストに竜殺しの伝説が残るのは、そこに背景に土着信仰……異教の存在があったからではないか。
ならば、竜殺しの伝説自体は、騎士たちによって村が焼かれた後に作られたと考えるのが妥当だろう。それ自体の行いを正当化するために、信仰で信仰を征服するために物語は作られた。
異教の象徴としての竜。
土着信仰の神々を辱しめ、貶め、淘汰した物語。
竜殺しとは、つまるところ神殺しに他ならない。
全ての信仰がそうされた訳ではないと思う。征服されキリスト教に取り込まれた信仰もあるはずだ。ただ、征服された神は、人々は、それをどう思うのだろうか。
まつろわぬ神。
まつろわぬ民。
行き場を失い、さ迷うこととなったものたち。
そして、あの時に見た異教の遺物であるストーンサークル。世俗から切り離された異界とされる森。その中で活動する這いずるもの。そこでしか存在できないもの。
あれは、以前考えたようにそういう類のものだったのだ。
我らはひとつ。ひとつは我ら。
そう、ひとつに、なるのだ。
まつろわぬものは、俺に対してそう言った。
俺がそれに呼ばれたのは、俺自身が異邦人であったから。そう、まつろわぬ者であったからだ。それ故、彼らとひとつになるべき存在だと思われてしまっていたのか。
そこまで考えてふと思った。
羊皮紙を探すためにアマルの部屋へと赴いた帰り、俺は何かに操られるように礼拝堂へと誘われた。それはまるでストーンサークルに喚ばれた時と同じように、である。
まさか、あの礼拝堂は―――キリストを奉る場所ではないとでも言うのか?
まつろわぬ神、あるいは者が干渉できる。そんな場所がこの修道院の奥底に眠っている。……いや、違う。むしろ、それらの本体をを外に出さないようにしていると考えるべきなのだ。そうであるならば、正しくこの修道院は牢獄。
そう、聖なる者たちによって守られ、常に監視されている世俗から切り離されたこのストーンハースト修道院は、まさに「聖者の牢獄」と言うに相応しい。
異教を信仰していたことにより、征服され焼かれた村の跡地にあえてこの修道院を建てられたのは、そういうことなのではないのだろうか。
その礼拝堂に毎日祈りを捧げるアマルは――――
ぞわりと、うなじに冷たいものが走った。
それと同時に、もやがかかったように思考が鈍る。
誰かに見られてるような、不快感が頭を埋め尽くす。
見られている。
……ああ、一体何に?
まつろわぬ神に、まつろわぬ者に―――
それ以上、考えることができなかった。
兎に角、この場所から離れたかった。
俺は足早に、書庫を出る。
身体の震えが止まらない。
間隔が短くなってきた白昼夢。
何かに同化するように、溶けてしまう感覚。
俺はどうしてもしまったのか。
……俺は何になろうとしているのか。




