↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖者の牢獄  作者: 桂太郎
第2章  プロメテウスの火焔
56/161

貴方は神を信じますか?




 


「ばーか。そんなことあるわけないだろ」


 苦し紛れに呟く自身の言葉に、呆れる。それでも空を見上げることは止めなかった。いや、止められなかった。

 白昼夢。何かに侵食されているような感覚。溶けてしまうような……とは言い当て妙だ。最近どうも、現実と夢の境界線が曖昧になってきている。


「貴殿は……」


 そこまで言って、ヨハンナは言葉を詰まらせた。


「ヨハンナ?」

「……言うべきではなかった」

「えっ?」


 それは形容しがたい声音だった。後悔。悲哀。憤怒。全てのマイナスの感情が込められているかのような、闇に吐き捨てられた言葉だった。


「なぁ、それってどういう――――」

「……失礼する」


 聞き返す前に、ヨハンナは立ち上がった。

 俺の顔を一度だけ見て、無言で十字を切る。それは首を掻き切る仕草のようにも見えた。それから踵を返して、足早に歩き去って行った。


「なんなんだよ……」


 ヨハンナの後ろ姿を見送りながら、漠然とした不安が胸に溢れた。俺にヨハンナは何を感じ取ったのか。そして、俺は一体何に溶けようとしている?

 修道院の秘密を探ろうとすると、それを邪魔するかのようにぼやける思考。間隔がどんどん狭くなる白昼夢。


 水溶性のようにあやふやで輪郭がないその恐ろしさに、ひどく陰惨なため息が漏れた。




 ***




 廊下を歩く。

 湿った風が頬を撫で、通り抜けていく。

 薄暗さと相まって、どこかおどろおどろしい雰囲気。


 自身の足音が時を刻むようにコツコツと響く。それを聞きながら、どこに向かうとも考えず足を進めた。


「――――黒のお方」


 呼ばれて、首だけ振り返る。

 トゥニカの上からスカプリラオを着て、修道帽を被った男が静かに佇んでいた。特徴的な鷲鼻を撫で擦り、微笑んでいる。


「……ベネディクト修道司祭」

「黒のお方、ご機嫌は如何かな」

「ええ、ぼちぼちです」 

「そうですが、それは良かった」


 ベネディクト修道司祭は、小さく頷く。

 複雑な感情を乗せた瞳で、俺を見つめた。


「ときに……貴方は神を信じますか?」


 脈絡もないその問い掛けに、どきりと心臓が踊る。

 何故なら本当の意味で、俺は神様を信じていない。見咎めまれたような気持ちになり、思わず唾を飲み込んだ。

 浅く呼吸をしてから、俺は肯定の言葉を口にした。思ってもいないことを、口にした。


「……はい。それは当然のことでしょう?」

「ええ、そうでしょう。そうでしょうとも。しかして黒のお方、そうであるなら決して祈りを止めないことです。それが、唯一我らにできることなのですから。ああ、どうか貴方に神のご加護があるように。アーメン」

「……修道司祭様にも。アーメン」


 十字切る。

 数秒黙祷。

 それから、ベネディクト修道司祭は俺の顔を見て深く頷いた。

 彼は確かめるように、鷲鼻を撫で目だけで礼をする。

 

「……結構。では、私は礼拝がある故これで」


 そう言って、修道司祭は俺を追い越して行った。

 その後ろ姿を見ながら、俺は彼に問われた言葉を胸の内で問いかけた。


 ――――貴方は、神を信じますか?


「……居てほしいとは、思うよ」


 俺にとって、神様はその程度の存在だ。

 脇目もふらず、信じてはいない。ただ、居てほしいとは思う。

 正月には、一年の無病息災を祈る。神社へ七五三に詣でる。受験の際に、合格祈願をする。

 それは年中行事や自身の願いを叶えるためのもので、信仰とは言えない。そうやって、育ってきたのだ。俺と彼らでは祈りの質が違う。


「……それでも、信じろというのか」


 頭を振って、自身の呟きを打ち払った。くだらないことだ。信じるものを信じれば良い。そう心の中で何度も復唱した。

 瞳を閉じる。


 脳裏で、どろりとした闇を幻視した。




 ***


 


 気が付けば自室の扉の前にいた。

 俺の一番落ち着ける場所。

 俺はひどくゆっくりと怠慢な動きで扉を開けた。


「アンディ様っ!」


 部屋に足を踏み入れたと同時に名前を呼ばれる。それからすぐに、ぱふんと胸に衝撃を受けた。目線を下げるとキラキラと輝く銀色の髪が目に入る。アマルだ。


「こら、アマル。いきなり抱きついてくると、びっくりするっていつも言ってるだろ」

「ふふっ、申し訳ありません」


 アマルはそう言って悪戯が成功した子どものように、笑った。一ミリも申し訳ないとは思っていない顔だった。

 可愛い。俺の彼女は世界一可愛い。顔が自然と緩む。

  

 そんな俺を尻目に、アマルは俺の手を取ると、すんと匂いを嗅いで眉をひそめた。

 それから、すぐに甲に口付けを落とした。何度もそれを繰り返してから、戸惑いなく指を咥える。舌が俺の指をなぶる。ちゅぷちゅぷっと、唾液の音が響いた。指の一本一体、丁寧に舌で舐められる。それから掌も。


 14歳、いやもう15歳か、そんな少女に手を舐められる28歳の図。……何この、羞恥プレイ。


「……おい、アマル何してんだ」

「んっ、消毒……ですっ」

「消毒……?」

「ん、ヨハンナ・スコトゥスの……臭いがしました」


 ああ、なるほど。マーキングと言う訳か。

 なら納得だなって、いやいや。


「だからって、お前なぁ」

「……大事なことです。アンディ様は、私の恋人なのですから、私の匂いだけを身に纏うべきなのです。それ以外は許しませんから」

「あのもう手、べとべとなんだけど……」

「我慢してください」


 アマルは俺の言葉を一瞥もなく切り捨てた。

 


 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。