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聖者の牢獄  作者: 桂太郎
第2章  プロメテウスの火焔
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空に溶ける

  




 夢は見るものでも、叶えるものではない。



 ……覚めるものなのだ。



 そうさ、悪夢にも必ず終わりが訪れる。



 ああ、でも君。



 目覚めた世界は、悪夢よりも恐ろしい。



 かねてからそう言うものだ。



 でもね、嘆くことはない。



 悪夢もこの世界も、曖昧で混沌とした虚構にすぎない。



 いづれその境界も無くなるだろう。


 


 いづれ―――ひとつになるだろう。




 



 ベットがぎしりと嘶く。

 石壁の冷たさを背中で感じながら、胸に抱く少女に意識を持っていく。腕の中にすっぽりと入ってしまうくらいの存在。小さくて華奢で、寂しがり屋な女の子。


「アマル……」


 名前を呼ぶと、アマルは俺の背中に手回し、強く抱きついてくる。更に胸板に顔を押し付け、こすり付ける。すんすん、と鼻を鳴らす音が聞こえた。

 俺は頭を撫でて、慰める。


「……落ち着いたか?」

「うーっ」


 唸り声。

 ふるふると顔を振る。

 それに合わせて、腰まである銀糸の髪が揺れた。その拍子に、花のような果実のような甘い香りが鼻を擽った。


「よしよし」


 とりあえず背中を軽く叩いて、抱き締め返しておく。アマルの華奢な肩の力が抜けた。

 

「あんでぃ、さま」 

「おう」

「あんでぃさま、あんでぃ、さま」

「ああ、なんだ?」

「どうか罪深き私にお赦しを。アンディ様がいないと、駄目なの。重くて、すいません。でも、でもっ」


 必死にすがり付いてくる少女。 

 身体全体で、離れたくないと訴えてくる。

 

「馬鹿、そんなこと言うなよ。……いや、馬鹿は俺か。そんなこと言わして、ごめんな」

「……アンディ様」

「なぁ、どうしたら安心できる?」

「それは……」


 すっと、顔を上げたアマル。

 赤く純血した瞳。

 痛々しく、腫れた瞼。

 桃色の唇を戦慄かして、紡ぐ言葉を探している。

 

「困らせたい訳じゃないんだ。無理に答えなくても、いいよ」

「……その」


 肩を落として、しょげる。

 きゅんきゅん、鼻を鳴らして尻尾を垂らす子犬みたいな動作。

 何か言おうと口を開き、閉じてを繰り返す。

 俺はじっと、アマルの言葉を待つことにした。

 

「アン、ディ様の、ややこ……」

「やや、こ?」

 

 ややこって、なんだ?

 思わず、思案顔で首を傾けた。

 それを見て、アマルは目を瞑る。


「……いいえ、なんでもありません」

「そう、か? まぁ、何かあれば言うんだぞ」


 はい、と控えめに頷きアマルは淡い笑みを浮かべた。

 吹けば飛んでいってしまいそうな、笑みだった。不安になって、俺はアマルの瞳を覗き込む。紅鮮の瞳がすがるように、瞬いた。


「ちゃんと捕まえといてやるから。お前が不安にならないように、こうやってずっと」


 笑いかける。だから安心しろよ、と続ける。

 アマルは、目を細め頬を染めた。

 それから噛み締めるように、ゆっくりと言葉を発した。


「はい、アンディ様。捕まえて下さい。ずっとずっと―――」

「ああ、まかせろ」

「……嬉しい」


 アマルはへちょりと顔をほころばせた。

 幸せそうに、白く細い指で俺の頬を撫でる。



 ―――その手は驚くほど、冷たかった。





 ***



 翌日。

 午前の仕事を一通り終わらせ、俺は迷わず修道院の裏手へと足を進めた。


 何か考えるとき俺はここに来て、草むらに寝っ転がりながら空を見上げる。そうすると、悩みが解決するわけではないが心が落ち着くのだ。


 遥か彼方まで遠い空。人も景色も時代すら違っても、空だけは悠然と変わらずに広がっている。空は、俺がいた場所の残り香を感じられる数少ないもののひとつだ。


 瞼を閉じる。

 空の青が瞼に焼き付いている。

 飲み込まれそうな、青。

 果てしないその先に、一体何があるのだろうか。


「また、そんなところにいるのですね」


 涼やかな声が聞こえた。


「なんだよ、ヨハンナ。居ちゃ、悪いか?」

「いいえ」

 

 ヨハンナは短く答えて、俺の横に腰を落とした。

 俺もヨハンナも、それ以上に言葉を発することはない。静寂が満ちる。しかし、その沈黙は気まずさとは程遠い、心地良いものだった。薄々思っていたが、ヨハンナと俺はかなり相性が良いのだろう。アマルがいなければ、もしかしてこいつのこと好きになってたのかもしれないな。そんなことを、他人事のように思った。


 風が前髪を靡かせる。

 それを直しもせず、見上げる。

 そこには空以外何もないのに、ただひたすらに。


 俺の手にヨハンナの手が重なった。視線で、なんのつもりだと、ヨハンナに訴えかける。


 ヨハンナはその訴えの視線を感じとり、初めて自身が俺の手を握っていたことに気付いたようだった。たが、その手を離すでもなく、むしろぎゅっと確かめるように握った。


「―――貴方が、空に溶けてしまうような気がして……」


 ポツリと呟かれたその言葉を、何故か俺は一笑することができなかった。

 


 

 

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