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聖者の牢獄  作者: 桂太郎
第2章  プロメテウスの火焔
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閑話 アマルティア




 ――祈りを捧げる。



 礼拝堂の石床に躓く。無機質な冷さに一瞬目を細め、息を吐くことでそれを誤魔化した。

 空々しくも敬虔さを装って、両手を掲げる。神を仰ぎ、拝領を受け、恭順を示す。毎日繰り返されるその動作を機械的に行う。そこに私の意思も感情も入ることはない。


 目には見えない何かを、魔として人は恐れる。

 目には見えない何かを、神として人は信仰する。


 その違いは、一体どこにあるのだろう。


 自問自答を繰り返す。いや……私は答えなど最初から求めていない。それが、魔であれ神であれ、私の唯一になることはないのだから。


 私が本当に敬い、慕い、祈りを捧げるのは、あのお方ただひとり。私の唯一。私の光。私の主。私の……愛するアンディ様。


 頼りなく揺れる蝋燭の光は、むしろこの場所をよりいっそう暗澹とさせていた。闇が蠢き、私を見詰める。闇と同化し、溶けていく。


 私は瞳を閉じて、アンディ様の名前を呼んだ。

 




 ***





 礼拝を終えると、私はすぐさまアンディ様のお部屋へと向かった。この先にあのお方がいると思うと、泥にまみれ灰色だった世界が、鮮やかに色づきキラキラと輝いて見える。


 長い通路をただひたすら歩く。


 この修道院は、修道士が出入りする場所以外、迷路のように入り組んでいる。行き止まりの通路、開かない扉、入り口がない部屋。……迷路のように、ではなく実際迷路なのだろう。


 ――ああ、心底くだらない。


 私は心の中で吐き捨てた。

 だから、お前たちは間違えたのだ。


 廊下を早足で通り抜け、アンディ様の部屋へとたどり着く。胸が高鳴る。はやる気持ちで扉を2度叩き、許しを待った。

 どうぞ、という声が扉の向こうから聞こえてくる。

 アンディ様のお声だ。低く掠れる蕩けてしまうような、声。好き、大好き。気持ちが溢れ、私はほぅっと、ため息を吐いた。


 聖遺物を触れるような心持ちで、扉へと手かけ開く。

 

 窓から差す光に、思わず目を細めた。一拍置いて、それに慣れると部屋の中を見渡す。

 すぐにベッドに腰かけ、穏やかに微笑むアンディ様を見つけた。アマル、と名前を呼ばれる。それだけでお腹が、きゅんと疼いた。


 本来、私の名前は名前ですらなかった。

 アマルティア……それは「罪」を表す言葉。


 そう、あえて言うなら記号のようなものなのだ。まるで家畜に番号を振り分けるように、私たちはそう呼ばれてきた。だから、これは名前などではない。忌まわしき罪の証左に他ならない。


 アンディ様は、私に「アマル(希望)」という名前を下さった。私を()として認めてくれた。それがどんなに嬉しかったか。どんなに救われたか。アンディ様はきっと知らない。でも、それでも良い。それで良いのだ。私だけが、その事実を知っていれば良い。それは、誰にも渡さない私だけの甘美な秘密なのだから。


 私は飛び付くように、アンディ様に抱き付いた。

 アンディ様は笑って、抱き止めて下さる。逞しい胸板に抱かれ、私は恍惚とした笑みを浮かべる。胸が鼓動を早め、破裂してしまいそう。


「アマルはほんと子犬みたいだな」

「はい。アンディ様の前だけ、アマルは犬になります。何でも仰って下さい。何でも致しますから。でも、それができたら目一杯褒めてくださいね?」

「ははっ、ますます子犬だなぁ」

 

 アンディ様は、私の頭を優しく撫でた。

 嬉しい、嬉しい。好き、大好き。何だってします。だから、ずっとそうしてください。


 アンディ様の顔を見上げる。

 こちらではまず見かけない彫りの浅い面持ち。象牙色の肌。濡羽のお髪。異国の容貌。それに、優しく澄んだ茶色みがかった黒い瞳。全て、素敵。アンディ様は、何故こんなにも魅力的なのだろう。見惚れてしまう。


「アンディ様……」


 名前を呼ぶ。

 アンディ様の服を控えめに引っ張る。

 頬を撫でられ、額に唇を落とされた。

 足りない。アンディ様は意地悪だ。分かっているはずなのに。むっと、頬を膨らませる。先程より強く服を引っ張る。

 笑う声が聞こえた。

 それから顎に手を添えられ、くいっと顔を上に向かされた。男らしい動作に、もう昇天してしまいそうになる。


 額、頬、耳朶、鼻と順番に軽く唇を当て、やっと唇に辿り着く。我慢できず、舌をすぼめて深く唇を交わした。

 先程から、お腹がきゅうきゅうと躍動している。身体がアンディ様を求めているのだ。

 

 抱いてほしい。

 ずっと繋がっていたい。


 ややこができれば、アンディ様をここに繋ぎ止めることができるだろうか。ああ、ならば出来るだけ早く(ややこ)が欲しい。


 毎晩、抱いて頂いているのだ。

 もしかして、もう孕んでいるかもしれない。

 ……そうであれば良い。


 ややこをアンディ様を縛る鎖として扱うことに、一抹の後ろめたさを感じる。しかしそれ以上に、私はアンディ様を愛しているのだ。


 アンディ様と共にいられるなら、私は何だってしてみせる。そう、我が子すら利用する。そんな自身を穢らわしく、辟易としながらも止めることはできない。


 ……ごめんなさい。


 小さく呟いたその言葉は、アンディ様への贖罪だったのか。これから生まれてくるであろう、まだ見ぬ我が子に向けた懺悔だったのか。それとも、()()()に対する決別の言葉だったのか。



 ――その答えの在処を、私はまだ知らない。



 


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