這いずる音
―――ズルズル。
闇から、這いずる音が聞こえる。
冒涜的で穢らわしい獣。恐ろしくも憐れな空身よ。
濁った血に呪われるがいい。
堕ちた赤子の声を聞くがいい。
殺戮の報いを受けるがいい。
ずっと、ずっと終わりなく。
その罪を贖うその日まで、覚めぬ悪夢を見るがよい。
***
目が覚めた。
恐ろしい夢を見ていた。恐ろしい夢を見ていたことは理解しているが、内容は何故か思い出せない。
冷や汗が頬を伝う。胸が痛いくらい鼓動していた。思わず胸を押さえる。静まれ。騒ぐな。深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。心が平静を取り戻すと、感覚を取り戻すことができた。
左肩に程よい重さを感じる。身動ぐとそれに合わせて、鼻にかかった可愛らしい声が漏れた。その声にホッとして、少女の髪に顔を埋める。安心するアマルの匂いだ。
「んっ、あんでぃ……さま?」
「悪い、起こしちゃったな」
「ふふっ、良いのですよ。アンディ様、おはようございます」
「ああ、おはよう」
俺は頭をひと撫でしてから起き上がり、ベッドを降りて手探りで燭台に明かりを灯す。室内が蝋燭の暖かい光で包まれた。
後ろを振り返るとアマルは身を起こして、髪を手櫛で整えていた。とはいっても、艶やかな腰まである髪に、寝癖がついているところなんて見たことがない。俺の視線に気がついたのか、恥ずかしげに頬に朱を差した。それがひどく可愛らしかった。
俺が着替えようとするのを見ると、アマルはベッドから降りて足早に駆け寄ってくる。そしてタンスから服を取り出し、そっと差し出てくれた。
礼を言って、上着を着る。更にズボンを履き替えると、アマルは甲斐甲斐しく脱いだ寝ズボンを回収し、それを畳んでから机の上に置いた。
「悪いな、アマル」
「いいえ。アンディ様のお世話をすることが、何より私の喜びなのです」
胸に寄り添い、上目遣い。いじらしく、潤んだ瞳。控えめに服を引っ張られる。その静かな主張に思わず苦笑して、身を屈ませアマルの瑞々しい唇に合わせるだけのキスをした。
***
ミサの時間を狙って、書庫に入る。
埃とカビの臭いが漂う。それを大きく肺に吸い込んで、思わず咳込んでしまった。咳が落ち着いてから、気を取り直し俺は本の背表紙をひとつひとつ確認していく。
修道院の歴史が分かる類の書籍。
「んー、ないなぁ」
書庫内の本棚を何周かしてみたが、それらしき本は見当たらない。上の棚も調べたが何もない。無駄足だったか。困ったな。八方塞がりだ。こめかみを揉んで、小さくため息を吐いた。あてが外れて、がっくりとする。
そういや以前異教のことを調べたときも、今回のように何も出てこなかった。そう古びた羊皮紙ぐらいで……あれ、羊皮紙?
そう言えば、途切れ途切れの書きなぐりの羊皮紙に、誓約という言葉がはいっていなかったか?
俺は記憶の糸を手繰り寄せる。
何かの戒律と思って、そのとき気にしていなかったが。
あれこそ、秘密を守るための誓約なのではないだろうか。
(あの後、俺は羊皮紙をどうしてんだっけ……)
確かミサの終わりを告げる聖堂の扉が開く甲高い音が聞こえて、羊皮紙を元の場所に戻すことももどかしく、そのまま服のポケットに突っ込んだ。それから、それから……。
思い出せない。
とりあえず、部屋に戻ろう。
書庫に戻した記憶がないということは、部屋にまだあるということだ。まだ希望はある。
はやる気持ちを押さえ、書庫を出る。澄まし顔で廊下を歩く。
頭の中はあの羊皮紙で一杯だ。だって、羊皮紙が見つかれば、真実に一歩近づく……かもしれない。もちろん、無関係の可能性もあるが。
回廊を進んで、廊下を曲がろうとしたところで嫌な奴と出会った。
「ふんっ、朝から嫌な顔を見たものだ」
「それはこちらの台詞だ」
出会い頭に、嫌味を言うサルスにいらっとしながら、憮然として答える。性格が悪いくせに、イケメンだから余計腹が立つ。ハゲてしまえ。
「そう言ってられるのも今のうちだぞ、この異教徒め」
「はぁ、意味わかんねぇ。言いたいことがそれだけなら、俺はもう行くぞ」
「……あの女も終わりだ。穢れた獣。異教の胎児。それに魅入られた貴様も同じこと。それが運のつきだったな」
「サルス、お前何を言って……」
「もうすぐだ。もうすぐ。貴様らに神の鉄槌が下されるだろう。それまで泡沫の夢を見るがいい。――それが悪夢に変わるまで」
淀んだ目で、サルスは俺を眺めて嗤った。
茫然と固まる俺を置いて、高笑いしながら回廊を後にした。
それがひどく腹立たしかった。




