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聖者の牢獄  作者: 桂太郎
第1章 悪夢からの目覚め
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心の闇



 膝に乗って、正面から抱きつくアマル。

 簡単に言うと、対面座位の格好だ。イヤらしい意味ではなく。言葉のまま受け止めて欲しい。イヤらしい意味ではなく。

 ……大切なことだから二回言いました。


 彼女は首筋に顔を埋め、すんすんと匂いを嗅ぐ。


「もしかして、臭うか?」


「いいえ。ただ違う臭いが混ざっていて。しかも私の……れ…てる」


 最後まで聞き取れず、思わず首をかしげる。

 数秒鼻を鳴らしてから、アマルはパっと顔を上げ、苛立った瞳を隠さず俺を見た。尖った声で、詰め寄ってくる。


「アンディ様、私以外の女人の香りがします」


「はぁ? 何言ってるんだ」


「……香りが、付いています。私以外の臭いがべったりと付いているのです。まさか、その腕で抱いたのですか。抱き締めて、愛を囁いたのですか!」


「どうしてそうなるんだ! そんな覚えなんて……あっ」


 先程、ヨハンナの部屋での会話を思い出す。最後の場面で、ヨハンナは俺に近づき耳元で囁いた。その時に香りが移ったのだろうか。いや、まさか本当にそれだけで? 


 俺の反応を見て、アマルは目を見開き唇を強く噛んだ。


「アンディ様には、私がいるのに。……私には、……を使っても、手を出してくれなかったのに。その方よりも絶対に、アマルの方がアンディ様をお慕いしています。一体わたくしに、何が足りないというのですかっ!」


「ち、違う、いや、俺とヨハンナは話していただけだ!」


 その言葉を聞いて、アマルはゆっくりと顔を伏せた。

 陽炎が揺らめくように、何かが蠢く。チリチリと、首の後ろがむず痒い。危険を知らせるように、心臓が早打った。


「話していただけで、香りが移るものですかっ」

 

 アマルは吐き捨てるよう呟いた。

 それを見て俺は何も言えなくなった。

 ヨハンナとの会話の内容についてなど、話せる訳もない。咄嗟に嘘をつけるほど、器用じゃない自分がこの時ばかりは恨めしい。


「ヨハンナ……ヨハンナ・スコトゥスっ! 修道会の犬、略奪者であり征服者の系譜に連なるもの。よくも、よくも……!」

  

 血のような深紅の瞳に暗い影を落とし、アマルは唸った。


「……あ、アマル?」


「アンディ様、貴方様は以前、嫌なことがあれば言うようにと仰いましたね。……アマルは他の女人にアンディ様を取られるのが嫌です。触るのも話しかけるのも、笑い合うのも嫌です。誰にも渡したくない。貴方様が私以外を望もうと、絶対に。絶対に!」


 俺は呆然とアマルの苛烈な変貌を眺める。

 狂信的なほどの慕情、執着、それがアマルを突き動かしている。心をくべて、情念を燃やし、その後にいったい何が残る。灰か、塵か。


 

 

―――それとも炭のように硬く凝縮された、憎悪か。





 ***




 いつにも増して静謐な夜だった。


 あの後、俺はアマルと会話をすることなく寝る準備に取りかかった。


 彼女は俺の顔色を伺うようにチラチラと何度も俺を見てきたが、気づかない振りをした。アマルはそれを繰り返して、その都度泣きそうに視線を落す。

 勿論、嫌いになった訳ではない。ただ、今彼女にどう接して良いのか分からなかった。

 

 アマルはローブを脱いで、シュミーズになった。俺も上を脱いで上半身裸になり、ズボンを履き替える。その時に、


 ……アンディ様と、震えたか細い声で名前を呼ばれた。


 透き通った声音に、ドクリと心臓が跳ねる。

 そんな俺を尻目に、アマルは手を迷わせ、何度も躊躇するように引っ込めたり伸ばしたり。

 一拍置いてから、意を決し伸ばされた手を、俺は反射的に払ってしまった。


「あ……んでぃ、さま?」


 アマルは呆然と振り払われた自身の手と俺の顔を交互に見て、固まった。息を止めたように、微動だにしない。

 数十秒たちやっと状況が飲み込めたのか、顔を真っ青にしてこの世の終わりのような表情を浮かべた。


「ご、ごめんなさい、アンディ様。アマルが何か粗相をしたなら謝ります。許して、許してください」


 ずるすると冷たい石床に座り込んだアマルは、平伏して祈るように何度も許しを懇願する。


「よせ、そんなことしなくて良い!」


「いや、いやぁ! 離して! 離してよぉ! ごめんなさいしないと、アンディ様が遠くに行っちゃう。あの女(ヨハンナ)のところに行っちゃう。忌み子の私なんてきっと忘れてしまう! アンディ様っ、行かないで。置いて、行かないで……っ!」


 以前ケイティの件でも、精神的に不安定になり錯乱した。しかし今回は、それよりももっと根が深いように思えた。

 目の前にいる俺のことも見えてないようだった。


「アマルっ! 俺を見ろ! 俺を見るんだ!」


 暴れるアマルを何とか抱き寄せる。頬を挟み俺の顔に向き合わさせる。彼女はボロボロと大粒の涙を流しながら、嗚咽を漏らし続けている。アマルと、何度も名前を呼ぶ。

 少しして平常心を失い虚ろだった瞳に光が戻り、俺の存在を認ると安心したように抵抗を止めた。

 

「……アンディ様、ごめんなさいっ」


「謝らなくても良いよ。お前は悪いことなんてしてないだろ。手を払って悪かった。びっくりしただけなんだ。アマル、俺を許してくれるか?」


「は、はい! 許します! だから、だからっ! どこにも行かないで!」


「ああ、分かった。分かったから、ほら立って。寝巻きに埃が付いちゃったな。ああ、顔にも付いてるぞ」


 アマルを引っ張って立たせると、シュミーズに付いた埃を払ってやる。それから、頬や額に付いた汚れを優しく拭った。


 彼女は俺が手を払った理由も分からないようだったのに、自分が悪いのだ許してほしいと顔を床に擦り付けた。俺に拒絶されたのがショックで、悲しくて、それでも行かないでと泣いたのだ。たったひとつの糸を繋ぎ止めるために、戸惑いなく土下座をした。そうさせてしまった自身に、強い憤りを感じる。


 俺の行動ひとつで、ジェンガのように崩れ落ちる。アマルはそれほど俺に依存している。 

 

 彼女は俺との繋がりを命綱に、毎日を過ごしていたのだろうか。

 ……そこに、アマルの心の闇を垣間見た。





少女の闇は、汚泥のように足を絡めとりどこまでも沈み行く。




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