第6話 不穏なる長旅と、揺れる馬車(中編)
調査隊が出発してから、早くも四日の月日が流れていた。
都市の周辺に広がるのどかな麦畑や、綺麗に整備された街道を抜けたのは初日のこと。
二日目の午後には、かつて文明が存在した名残である、荒涼とした『忘却の旧街道』へと一行は足を踏み入れていた。
そこは、道と呼ぶにはあまりに無慈悲な荒れ地だった。
大小の岩がそこかしこに転がり、地面は干からびて深くひび割れている。
馬車の頑丈な車輪が岩に乗り上げるたび、ドスン、ガタガタと、脳を直接揺らすような激しい縦揺れが容赦なく襲いかかった。
「……う、くっ……」
一台目の馬車の中、エリーナは座席の背もたれに深く体を預け、小さく呻き声を漏らした。
魔術学校を首席で卒業したエリートであり、今回の調査隊の最高責任者。
そのプライドがあるからこそ、彼女は周囲の前で決して弱音を吐かなかった。
しかし、連日の泥臭い野営と、終わりなき悪路の揺れは、確実に彼女の肉体を蝕んでいた。
顔からは完全に血の気が引き、胃の底からせり上がる激しい不快感に、ただじっと耐えることしかできない。
「お嬢様! やはり顔色が優れません。このような地図にも載っていない秘境への調査など、最初から無茶だったのです。今からでも遅くはありません、一度ゼファムへ引き返し、体制を整え直すべきです!」
隣に陣取るゲイルが、ここぞとばかりに過保護な声を張り上げる。
エリーナのためを思っている風を装っているが、その実、自分もこの悪路に辟易しており、早く街へ戻りたいという本音が透けていた。
「黙りなさい、ゲイル……。私は、絶対に諦めないわ。」
エリーナは青い唇を噛み締め、弱々しく、だが拒絶の意思を明確に込めて言い放った。
的外れなゲイルの言葉は、今の彼女にとってただの頭痛の種でしかなかった。
そんな緊迫した車内の窓の外――馬車と並走するように歩くカイの姿があった。
ゲイルに嫌がらせをされ、初日から徒歩での移動を強いられているカイだったが、その様子は異常という他なかった。
何日間も悪路を歩き続け、皆が疲弊していく中、息一つ乱さず、滑らかにスタスタと歩き続けているのだ。
ガタガタと悲鳴を上げる馬車を横目に、カイは膝の神の祝福により、悪路を一切気にせず黙々と歩を進めていた。
日も傾いた夕刻、その日の野営地となる開けた岩場に馬車が止まった。
エリーナがふらつく足取りで馬車を降り、岩に腰掛けてゆっくりとと息を吐き出す。
そこへ、何気ないない足取りで、カイがそっと近づいてきた。
カイの背負うバックパックからは、エリーナが贈ったあの赤いストールをオシャレに巻いた白銀の子猿――ハヌが、のんきに顔を出して毛繕いをしている。
「エリーナ、こいつを頼む。暇みたいで、少し遊んでやってくれ」
カイは淡々そう言って、バックパックからハヌをひょいと抱き上げ、エリーナの膝の上へと手渡した。
「きゅぃ?」
ハヌは最初不思議そうに首を傾げたが、目の前のエリーナの顔色が悪いことに気づくと、すぐにその小さな身体を動かした。
下の2本の手でエリーナの上着の袖をきゅっと掴み、上の2本の腕で、彼女の強張り冷たくなった頬を優しく包み込むように撫で回したのだ。
ぽてぽてとした温かい小さな手の感触と、ハヌの無垢な瞳が、エリーナの心をじんわりと解きほぐしていく。
「あ……。ハヌ……」
エリーナの強張っていた表情が、一瞬で和らいだ。
彼女は弱々しく、だが愛おしそうにハヌを胸に抱きしめる。
ハヌは嬉しそうに彼女の胸元に顔をうずめ、首の赤いストールを優しく揺らした。
「おい平民! お嬢様にそんな素性の知れない妙な獣を近づけるな!」
少し離れた場所で護衛の指示を出していたゲイルが、血相を変えて怒鳴り込んできた。
しかし、エリーナはゲイルの方を見ようともせず、ただハヌの柔らかな毛並みを愛おしそうに撫で続けながら言った。
「静かにして、ゲイル。この子が側にいてくれるだけで、不思議と旅の疲れが治まる気がするわ。……カイ、ありがとう」
エリーナの視線と言葉は、まっすぐにカイへと向けられていた。
カイは「気にするな。ハヌも馬車に乗りたがっていただけだ」と短く返してその場を去ったが、残されたゲイルの顔は激しい嫉妬と屈辱で真っ赤に染まっていた。




