プロローグ
かつて、この世界に『歩みと跳躍、そして膝』を司る偉大な神がいた。
世界が荒れ狂う魔獣に満ちていた時代。
人々は彼の神を『カリウス』と呼び、旅の無事を、人々の健康を、そして何より「健やかなる膝」を願って祈りを捧げた。
誰もが知っていたのだ。
舗装されぬ泥濘の大地において、足を痛めることは、すなわち「死」を意味するということを。
あらゆる衝撃を受け止め、次の一歩を踏み出すための要―「膝」こそが、人類の命を繋ぐ最大の武器であった。
だが、時は流れた。
人間は都市を築き、道を整備し、人々は自らの足で荒野を駆ける泥臭さを忘れていった。
安全に均された石畳の上を歩く者たちにとって、強靭な脚力も、限界を超える跳躍も、もはや不要の長物。
かつて世界を熱狂させた「関節の躍動」は失われ、いつしか神の存在も忘却の彼方へと消え去った。
神は眠りについた。
誰も見向きもしなくなった街道の傍ら、苔むし、錆びついた祠の中で。己を呼び覚ます「本物の激走」を待ちながら――。
――それから数百年。 整備された恩恵など逆立ちしても受けられない、しがない辺境の開拓村。
そこに、引き裂かれた衣服の隙間から「野生動物のように発達した太もも」を覗かせ、泥を跳ね上げながら荒野を爆走する一人の少年がいた。
少年の名は、カイ。
悲鳴を上げる己の脚を気迫で突き動かし、彼はただひたむきに、前だけを向いて走り続けていた。




