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第1章 第2話 呪縛の妖怪

 障子の隙間から光が漏れる。その光が頬に当たったところで、女は目を覚ました。

 起き上がってんんーっと軽く伸びをすると、敷布団をそのまま放置して着替え、台所までとぼとぼ歩いていった。

 実家に戻り生活し始めてから今日で1週間が経つ。大体の家具も置いたし、ホコリの積もっていた大きな家を掃除もした。特に仕事も課題も無いので、凛花は久しぶりの長い休暇を満喫するように過ごしていた。

 しかし、ここは野山と田んぼが広がった田舎である。遊びに行く場所などあるはずもなく、買っていた小説も全て読み終えてしまった彼女は、何も味付けしていない食パンをかじりながら意味もなくスマホをいじっていた。

 ―――ドンドンッ

「っ?!」

 突然鳴り響いた音に、凛花は思わずスマホを落とす。

 幸い、スマホの画面は無事だった。

「なんなのもう、ほんと最悪……!」

 苛立ちながら音のする方へ歩いていく。音がしたのは玄関から。どうやらだれかが尋ねてきたようだ。

「はーい、どちら様?」

 玄関の戸を開けながら彼女は尋ねる。

 立っていたのは和服を着た男だった。どこかで見覚えがあると思ったが、もうどこだったかは思い出せない。余程印象の薄い人物なのだろう。

 凛花がそう勝手に結論付けている間に、男は手紙をカバンから取りだし、凛花に手渡した。

「あなた本家の人?これ、おじいちゃんから?」

 凛花はまた尋ねるが、男は何も言わない。ただ静かに彼女を見つめた後、踵を返して去っていった。

「ああちょっと!……なんなのあの人」

 慌てて引き止めるが、男は止まらない。男の姿が完全に見えなくなってから凛花は戸を閉めて家の中へ戻って行った。

 もう何度目かの祖父からの手紙。正直いい思い出が無いが、この神社に住んでいる以上は無視する訳にもいかず、恐る恐る綺麗に折りたたまれた手紙を開いた。

 手紙には凛花の体調を気遣う言葉が連なっており、最期の方に境内の掃除をしておいて欲しいとだけ書かれていた。

 思ったより優しい内容に彼女はほっとすると同時に、昔の祖父との記憶を思い出した。

 祖父は元々あんな人じゃなかったのだ。小さい頃はすごく可愛がってくれて、少なくとも彼女の意思を無視するような人ではなかった。

 だが、彼女が中学に上がる時から、祖父は段々と厳しくなって言った。凛花の意見も聞かず、好き勝手にあーしろこーしろと言うものだから、彼女は祖父と距離を置くようになってしまった。

 この手紙に書いてある内容も、優しい言い方も、まるで昔の祖父のように温かかった。凛花は微笑みながら手紙をまた綺麗に折り畳んでタンスにしまうと、箒片手に家を出た。



「つっかれたぁー!」

 掃除を始めてから何時間が経ったのだろうか。

 いつの間にか太陽は沈みきり、暗くなっていた。綺麗な丸い満月だけが当たりを照らしている。早く家に帰って休みたいところだが、掃除していない場所がひとつ残っている。

 それは古びた蔵だった。凛花が小さな時からずっとあるが、誰かが中に入っていくところを見たこともないし、勿論彼女自身が入ったこともない。

 少し気味悪く思っていたので後回しにしてしまっていたが、暗くなってしまった今、更に怖くなったような気がする。

 明日やろうとも考えたが、凛花の性格上それも出来なかった。鍵を差し込み、力いっぱい扉を押した。

「お邪魔しまーす……」

 錆びた鉄の扉は不気味な音を立てながらゆっくりと開く。半分程開けたところで、ランタンを片手に暗い蔵の中に入っていく。電気は通っていないようだ。窓もなく、嫌な匂いがする。足元は木の板が剥がれかかっていて、気をつけないと転んでしまいそうだ。ホコリが積もっていて、あちこちに蜘蛛の巣がある。蔵のはずなのに不思議と物は少なく、壁の棚に本がびっしりと並んでいただけだった。小さな机と椅子も用意されており、誰かが住んでいた痕跡があった。

「使用人の部屋かなぁ」

 随分長い間掃除されていない廃墟のような蔵を見て、凛花はそう結論付けた。

 凛花の実家

 ――四季家には、何人か使用人がいた。神社も合わせて掃除に1日かかってしまう広い場所だ。大体の使用人は夕方から夜にかけて帰って行っていたが、1人くらい泊まり込みで働いてる人がいてもおかしくはないだろう。四季家はここら辺では名の知れた家だ。裏の人達と手を組んでいるのではと噂されるくらいには金もあるし、田舎の神社にしては地位も権力も大分ある。

 凛花は掃除用具を取りに戻ろうと振り返り、足を踏み出す

  カラン

「ッ?!」

 何かが落ちた音がして、思わず振り返る。床には錆びた万年筆が転がっている。ペンの先が錆びきっていて、もう使える状態では無さそうだった。

 なんで万年筆が落ちた?

 風が吹いたからか?

 いや、今日は静かで風なんか吹いていなかった。

 ではなぜ

 虫がいるのか?

 いや、万年筆を落とせるくらい大きな虫はいなかったはずだ。

 ではなぜ

 風でも虫でもない

 ―――――ナニカがいる

「ヒッ」

 そこまで考えたところで、彼女は咄嗟に出口に向かって走り出していた。しかし、木の板に躓いて転んでしまう。すぐに立とうとしたが、足を変な方向に捻ってしまって中々立てない。何とか出口まで行こうと四つん這いになっていると、ナニカが彼女の方に触れた。

 ソレは柔らかい人の手のようだったが、まるで体温がなかった。

 ナニカがすぐ側まで来ている。

 気のせいなんかじゃなかった。

 凛花が声にならない悲鳴をあげて固まったまま震えていると、ナニカは彼女の首を締めるように、優しく首元を撫でる。

 全身から血の気が引くのを感じる。

 足の痛みを忘れ、物凄い力でナニカの手を振りほどいてそのまま走り去る。

 家の戸を勢いよく開け、玄関に飛び込む。

 ぜえぜえと息を切らし、靴も脱がずそのまま仰向けに寝転がる。足の痛みは戻ってきて、さっきよりも格段に痛む。うーうーと目を瞑り唸っていると、微かに布の擦れる音がした。

「やあお嬢さん、今夜は月が綺麗かい?」

 ―目を開けると、白い男と目が合った

「は」

 思わず飛び起きる

「や、驚かせるつもりはなかったんだけどね?万年筆落としちゃってさー。そしたら君があんまりにもビビっちゃうもんだから、もしかしたら侵入者かもー!って思っちゃったんだよねぇ」

 驚きと恐怖で声も出ない凛花に対して、男はペラペラと楽しそうに喋る。

 白丁衣装のような服を着た男だった。首と腰には青緑色の紐が叶う結びになっている。髪は白く、後ろで細く一本に結ばれている。琥珀色の瞳をして、一見優しそうな見た目だが、頭から生えたとんがった耳と、九本の尻尾がこの世のものではないことを表している。

「あ……なたは、だれ?」

 やっと絞り出すことのできた声は、なんと無様なことか。

 男はしばらく彼女のことを観察するように目を細めて見つめると、急に目を開いて明るく尋ねた。

「その前に君は?何ちゃんかな?おとーさんとかは?」

 おどけた様子の男は、返って怪しかった。

「四季、凛花、です。両親はもういない、です」

 途切れ途切れの声に男は少し固まって、凛花の目線に合わせるようにしゃがみ込んだ。

「そう、凛花ちゃんね。僕は九尾。君達四季家の人間を守る妖魔だよ」

 さっきとは打って変わって優しく彼女に語りかけると、九尾は微笑んだ。



「あの、それで一体どういうことなんですか?」

 ひとまず家の中に上がろうという男の提案を断れず、されるがままに男に連れられ、ちゃぶ台の前に座らされた。

 家の間取りが分かっているのか、慣れた手つきでお盆に熱いお茶を2個乗せて持ってくる男に、恐る恐る尋ねた。

「君はこの神社の巫女なんだろ?僕は代々四季家の人間に使えてるんだ。怪異や悪い妖魔から君を守ったり、治療したりしているんだ」

「こんなふうにね」と九尾は凛花の捻った足に手を触れる。驚いて足を引っ込めようとしたが、直ぐに足の痛みが引いていくのを感じ、動かせないままでいた。

 やがて完全に痛みが引くと、ほらこの通りと言わんばかりに九尾はひらひらと手を振った。

「さっき捻ってたろ。ごめんね、怪我させるつもりじゃなかったんだけど」

「い、いや、大丈夫です。それより、怪異とか妖魔ってなんですか。そんなのほんとにいるんですか」

 軽い様子で謝る九尾の言葉に被せるように凛花は言った。本当にそんなものがいるなんて未だ信じられなかった。

「本当にいるのって言われても、僕が妖魔だからね。もしかして君の両親とかから何も聞いてない?」

 そう言われて、祖父との会話を思い出す。そういえば良くないものを退治して平和を守るのが役目だなんて言われた気がする。そのことを九尾に話すと、九尾はため息をついた。

「えー。哲三そんなこと言ったの。相変わらず説明が下手くそなんだから……」

 哲三は祖父の名前だ。面識があるということは、本当に代々仕えていたのだろう。

「じゃ、僕が今から代わりに説明するね」

 呆れた様子で言う彼に、お願いしますと軽く頭を下げた。

「まず怪異と妖魔についてね。怪異は簡単に言うと全ての生物に害を及ぼす存在だね。人間にも牛にも犬にも僕ら妖怪にも攻撃してくる。大きさも強さもまちまち。妖魔は怪異の進化バージョンみたいな感じかなぁ。長い年月をかけて強さを手に入れ、自己を確立して姿を変えたものだね。だから僕も千数百年くらいは生きてるし、結構強いんだよ。妖魔と怪異、どっちも合わせて君らは妖怪とも言うね」

 自慢気に言う九尾に愛想笑いで返すと、彼は凛花に指さしてきた。

「そして、そんな妖怪から人々を守るのが君の役目。怪異と妖魔には物理攻撃が効かない。だから、特別な力を持った君達が戦わなくちゃいけないんだ」

「特別な力って?」

祓力ふつりょくって言うんだけどね、この世ならざるものを祓う力だよ。たまに突然変異で一般人にも現れるけど、大体は君みたいに受け継がれ行くものかな。祓力があると怪異と妖魔が見れるようになるんだ。そして、妖怪を祓力で倒せるようになる。まぁ、怪異も祓力を持った人間には直接攻撃ができるんだけど」

「直接?」

「うん。怪異は祓力を持たない人間には間接的にしか攻撃出来ない。例えば悪意とか悪い感情を肥大化させたりさせたり、病気にしたりね。君たちには呪いって呼ばれてるかな。でも、祓力を持った人間には直接干渉出来る。君たちは祓力でこの世ならざるもの(こっち側)に干渉してくんだから、怪異もそれが出来ても不思議じゃないよね。ま、僕ら妖魔は祓力持ってない人間にも直接干渉出来るけど」

「そんな危険なものがいたのに、なんで今まで気づかなかったんだろう……」

「巫女と神主っていう政府公認で妖怪退治が仕事の人達がいるからさ。彼ら彼女らは全国各地に存在していて、ずっとその土地を守ってる。君もこれからそのうちの一人になるんだよ」

 その言葉に、凛花は目を見開く

「そんなの無理!そんな危ないことしたくないよ。私、絶対死んじゃうよ……」

 弱弱しく呟く彼女に、九尾は焦ったように口を開く

「でもでも、妖怪退治はそんな頻繁には無いし、修行はあるけど、働かずにお金貰えるよ?好きなことできるよ?あと、僕もいるから大丈夫。君のことは守るし、怪我も全部治すから!」

「お金なんていらない。いらないから、東京に帰してよ。あなただって妖魔ってやつじゃん!いつか裏切るんでしょ……!?」

 確証も無い言葉が出てくる。傷つけてしまっただろうか、怒らせてしまったらどうしようと思い、彼を見る。すると彼は、真顔になって、薄く笑った。

「大丈夫だよ。この首の紐がある限り、僕は君のいうことを破れないし、君を傷つけられない。そういう呪いがかかってるんだ」

「えっ……?」

 思ってもみなかった彼の回答に、思わず目を丸くする。

「僕の力は希少だからね。この紐に服従の呪いをかけられて、そのまま千年あの蔵で暮らして来たんだ。だから大丈夫。少なくともこの紐を付けているときはね」

 あの暗くて汚い蔵に千年?聞いただけで気が狂いそうだ。そんな境遇で、どうして笑っていられるんだろうか。

 九尾は凛花に近づき、手を握る

「ねぇ、頼むよ。君がいなくなったらこの町の人達が危ないんだ。それに、君が巫女にならなかったら、お役目の無くなった僕はどうなるか分からない。このまま殺されちゃうかも。僕は君を裏切れない。傍に置いてくれれば守るし、怪我の治療もする。頼むよ、凛花ちゃん」

 この可哀想な妖魔を見捨てるのは心苦しいし、町の人を置いて逃げるのは彼女の正義感が許さなかった。

「……わかった。やってみる」

 渋々彼女はそういうと、さっきまで沈んだ顔だった九尾は明るく笑って喜んだ。

「やったー!ありがとう凛花ちゃん。恩に着るよ!」

 子供のようにはしゃぐ九尾に親近感を覚え、気付けば敬語も忘れ普通に接していた。

「じゃあ、詳しいことは明日話すね。今日はゆっくり休んで!おやすみ!」

 そう言って帰ろうとする九尾。もしかしてまたあの蔵に戻るつもりだろうか。流石にあんな汚れてる所に帰すのは気が引ける。空いてる部屋に布団を敷いてそこで寝てもらおう。

「待って」

 そう思って声をかけると、九尾は不自然なくらいピタッと止まった。なるほど確かに彼女の言うことは絶対のようだ

「なに?」

 身体が動かせないのか、首だけをこちら側に向ける彼にこの家で寝ていいと伝える。

「え……?」

 彼は信じられないといった風に固まり、やがて「ありがとう」と不器用に微笑んだ。訝しげに思っていたが、彼はすぐ空き部屋へ行ってしまったので凛花もそのまま自分の部屋に戻って行った。


 勢いで了承してしまったが、果たして自分に務まるのだろうか


 そんな不安は、疲れた身体の中に沈み込み、部屋には規則正しい寝息だけが聞こえる。






















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