バーサ編、その3
久方ぶりに登った王城は出荷を待つ肉の如き清潔な匂いがする。
埃ひとつなく掃き清められた廊下、咳一つせずに動く人々、効率化された業務。
思考をやめた肉塊を彼女は愛さない。
城に詰めてから半時。すでにバーサの我慢は限界であった。自己判断では酒が必要であった。
ふん、と曲がりそうな鼻をひとつ鳴らしてバーサは城内をうろつき始めた。
代名詞たる巨人のナイフこそ預けているが、火のファイレシア家の当主を示す深い紅の袍服に加え、余人と間違えられることのない小柄な見目と莫大なマナは、名乗らずとも身元が知れる。
道行く人々はただ畏れとざわめきを残してバーサに道を開ける。
陰気な奴らめ、と難癖のひとつでもつけようかと思うバーサである。控えめに言って老害であった。
「徘徊するほどボケているのですか、大叔母様」
足音を立てずに駆けてきたリーファンが呆れたように嘆息した。
ジフの案内を終えた足でそのまま駆けつけたのだ。彼女も苦労人だろう。
「おお、婆さんや。酒はまだかのう」
「婆はあなたでしょう。それとも、そこまでボケているなら水と酒も区別もつきませんか?」
「付き合いのわるい子孫だのぅ……」
「あなたの直系ではありません」
にべもなく言い捨て、リーファンは手に持っていた酒瓶を投げ渡した。
このまま厄介な化け物に城内をうろつかれるよりは、城内で飲酒される方がマシという現実的な判断だった。
へっへっへっと下品な笑みを零しながら、バーサは躊躇なく酒瓶に口づけた。
「くぅ~、また随分と酒精の強い酒だねぇ。五臓六腑に染みわたるわい」
「“巨人ころし”という蒸留酒です。普通の人間が飲むと臓腑が焼け死ぬと聞きますが、さすがの酒豪ぶりですね……大叔母様、零れていますよ」
「おおっと。すまんねぇ」
口の端から零れる酒の雫をハンカチで拭われるバーサは要介護老人というより幼児のそれだ。
年を経てもバーサの動きに老いたぎこちなさは感じられず、むしろ無邪気さが先に立つ。
「まったく。大叔母様も年長者としての振る舞いを身につけてください」
「唐突になんだい、リーファン。誰もワシにそんなもの求めなかったというのに」
「…………」
酒すらひとりでは満足に飲めない。
それは偶像として扱われた人間もどきの悲哀であり、リーファンがいずれ辿り着く結末であった。
少女にはまだ成長性が、発展性が、違う使い道があった。
だが、それらが検討され尽くされたとき、リーファンはこうなる。
誰にも必要とされず、単一機能だけを求められた暴力装置。
断じて、認めるわけにはいかなかった。
「大叔母様――」
「いいや遅いね、“巨人”」
ギンッ、と鈍い衝撃、手応え。
抜き打ちに斬りつけたリーファンの一撃は、空から飛来して床に突き立った“巨人のナイフ”に阻まれる。
並みの剣士なら斬られてから気付くような不意打ちが、一瞥すらなく防がれていた。
「っ!?」
「迷ったね。ワシを哀れんだか? 余計なこと考えて殺れるほどワシは耄碌しておらんよ」
「……化け物め」
無機物への祝福の付与、無詠唱起動、精密遠隔操作。
片手間に行われた三連絶技。
人間が同じことを実現するならこのうちの一事に人生全てを擲ってようやく成るか、といったところだろう。
大口を開けて、逆さにした酒瓶から滴る一滴を待ち受ける間抜け面からは、とてもではないが想像できない技量だ。
「アンタの独断じゃないね。誰に命令された?」
「兄様……当主の命です」
そうかい、とバーサはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「いいなりか。ヤになるね。昔の自分を見てるみたいさね」
「ッ!! 私はお前じゃない、バアルサファルッ!!」
逆鱗に触れる。怒気とともに振るわれる剣閃はしかし達人のそれ。
窮極の剣士。生まれついての完成形。そこに技はない。機能があるのみ。
ゆえに、バーサには当たらない。
酒瓶を投げ捨てるその身が右に半歩ずれる。
――火の祝福、抜剣歩法・半歩ずらし。
極小展開された“流星”が秒を十に分けた時間だけ矮躯を飛翔させる。
「ああ、アンタはワシじゃないよ。周りはそう思ってないようだけどね」
「哀れむな、哀れまないでください、どうか……」
バーサを襲撃しろ。それが当主からの命令だ。
酒などという小道具に頼っておきながら暗殺のひとつも遂げられないのは剣士の恥。
だが、その殺意は、恐怖はリーファン自身のものであった。
「あなたは竜です、大叔母様。ひょっとしたら死なないかもしれない」
火のファイレシアは遠縁ながら王家の血を引いている――“不老不死”の探求者の血をだ。
明らかに規格外として生まれ、老いから遠い位置にいるバーサはもしかしたら“そう”なのかもしれない。
その恐怖は彼女を人間として扱ってこなかったファイレシア家の人間にこびりついている。
いつか自分たちが老いさらばえたとき、若いままのアレに仕返しされるのではないか、と。
「此度の精霊供儀はよい機会でした。あるいは兄様が画策なさったのか」
「何が言いたいんだい?」
「我々はあなたが大人しく生贄になるとは思っていません。だから、“剃刀”に殺させる。本望でしょう?」
ぶちっ、となにかがキレる音がしたが、リーファンは構わず続けた。
「この目で確かめました。“剃刀”は人間です。我々が総出でかかればきっと殺し切れる。あるいは、あの性格ならば大人しく精霊の生贄になるでしょうか」
「……」
「貴女を消耗させ、“剃刀”を勝たせる。貴女は死ぬ。彼も死ぬ。それで、精霊が戯れに生み出した異常者ふたりはいなくなり、世は常なる姿を取り戻す」
そういう筋書きですよ、とリーファンは話を結ぶ。
半ば自棄であった。あるいはそれは、目の前の化け物が自分よりもはるかに人間じみていることへの苛立ちか。
リーファンは恋をしたことがなかった。
「……くくっ、いいねぇ。初めてアンタのことが好きになったよ、リーファン。発想がアイツに似ているところが特に良い」
バーサの細腕が“巨人のナイフ”を床から引き抜き、ぐるりと旋回す。
重量を感じさせない軽功の冴え。達人の域を軽く超えた怪物の技量がひしひしと感じられる。
女はついでとばかりに踵を潰した布靴も脱ぎ捨てる。手加減はしないという意思表示。
「準備運動に付き合っておくれ。もし生きてたら抱いてやるよ、模造品」
「万年処女のくせにそういうこと言うから“剃刀”に振り向いてもらえないんですよ、完成品」
「じゃかましい!!」
袍服を突き破ってバーサの背に炎の翼が生える。
飛翔。
王城の屋根を突き破り、上昇する。
竜と呼ばれた。ゆえに彼女は空を飛ぶ。“流星”たる彼女の十八番――
「戦型が古いですよ、ロートル」
刹那、爆発的な速度で追い抜き、頭上をとったリーファンが縦に回転、鉄槌の如く振り下ろされた踵がバーサを打ち落とした。
墜落、激突、衝撃。
バーサが頭から屋根に突き刺さり、ビクンと痙攣して動きを止める。
「“流星”は私の技でもあります。そして、出力では及びませんが、小回りでは私に分がある」
――あなたに空は渡さない。
屋根に突き刺さったバーサを見下ろしたままリーファンは宣言する。
「たしかにあなたは完成している。ですが、祝福もまた進歩しているのですよ、大叔母様。今なら私でもいい勝負になると思われますが?」
少女は半身をとり、片手で剣を水平に構える。バーサの知らない構え。近年新しく生み出された速度を重視した構えだ。彼女とて勝算なく勝負を挑んだわけではない。
ひたすら上方を占位し続ける。
バーサの模倣であり、瞬発力で勝るリーファンだからこそできる“流星”攻略法。
少なくとも、彼女の知る限りのバアルサファル・ファイレシアという存在への勝機はあったのだ――。
――無論、その程度で竜と呼ばれるほど、本物の竜は甘くない。
現存する竜はただ一騎。剣士の始祖たる告死竜カミュロケシスだけなのだから。
「……なぁ、リーファンよ。ワシの名の由来は知っておるか?」
再起動する。
何事もなかったかのように全身のバネを使って跳ね起きたバーサが静かに問いかける。
コキリ、と首を鳴らす様は若々しく、しかしなぜか怖気を催す。
「どういう、ことですか?」
「知らぬのか。いや、そうか。ファイレシアの先代は魔王にやられおったか。当時のイグナにそこまで伝える暇はなかったわな、うむ」
「なにをひとりで納得しているのですか!?」
「――本気を見せてやるって言ってるのさぁ、早とちり」
瞬間、世界が真っ白く焼き尽くされた。リーファンにはそう感じられた。
次いで感じたのは、熱。そして、光。
火の祝福を纏った己ですら「熱い」と感じられる熱波だ。尋常な温度ではない。
肺が焼けるのを感じながら咄嗟に再度の呼吸法を練る。
臓腑にマナを巡らせ、熱と光を防いでようやく視界が戻る。
「けほっ、な、なにが――」
リーファンは目を見開いた。
バーサがいた場所には“白い炎”があった。
「――我が身、すでに“竜”なれば』
それは、舞い踊る、竜を象った炎の群れ。
地獄のような光景。
そうだ。リーファンは遅ればせながら思い出した。
バーサは常に火のマナを垂れ流している。それを制御するために呼吸法を修めたのだ。
では、その制御を止めたのなら――
『炎ってのは不思議なもんさね。熱を高め続けると色が薄くなり、さらに高めると白くなる』
――女がいる、と思っていただきたい。数多のふたつ名で呼ばれる女だ。
“流星”、“灰被り”、“百人斬り”、“年齢詐欺”――
――“白炎の王”。
生まれついて与えられたその名こそ、最も彼女にふさわしい。
『アンタは不思議に思わなかったかい、模造品。ワシに弟妹がいないことをさぁ』
「!!」
『ワシという完成品が母親の胎から産まれ落ちたなら……同じ行程が試されないわけがなかろうにね』
「……生まれついてその炎を纏っていたのなら、母親どころか周囲一帯が燃え尽きたでしょう」
それ故の“灰被り”のふたつ名。彼女はその炎を制御できるまで灰を喰らって生きたのだ。
あるいは母親の成れの果てであったかもしれない灰を喰らって。
バーサが巨人との混血でありながらひどく小柄である理由のひとつが、幼少期の栄養不足であることは明らかだ。
『さて、言いたいことは言ったし再開しようか。小回りでは及ばぬが、出力ではワシに分があるようだしのぅ?』
「……化け物」
『その手の文句は聞き飽きたさね』
瞬間、白い炎が爆発する。
リーファンは生まれて初めて「白熱」という現象をその目で見た。
下方から逆巻き、瀑布の如く迫る炎の軍勢。
構えた剣が切っ先から融解していく。
思いあがっていたのはリーファンの方であった。
『――火の祝福、ファイレシア流合戦術奥義“流星”が崩し――“■■”』
燃え尽きた鼓膜に音の残滓が響く。
服が裾から燃えて灰となる。
熱源が近づいてくる。
耐えきれず、全身が沸騰していく。
(兄様。あなたは正しかった。ファイレシアは取り返しのつかないモノを――)
そうして、リーファンの意識すらも燃え尽きていった。
◆
「リーファン様が作戦行動を開始しました」
「暗殺には失敗。乱戦状態に移行」
「周囲の避難は完了しています」
「王城に被害が出ています」
大臣室にて矢継ぎ早に齎される報告にイグナ・ファイレシアは思わず舌打ちした。
「リーファンは何をしている。なぜ戦っている。腕の一本でも折っておけばあとは“剃刀”が――」
「――私が何か」
「!?」
声と同時に飛び退く素早さは、さすが七星の長たるファイレシアの当主というべきか。
だが、追いかけるように伸びた鋼の剣がその首に巻きついてそれ以上の抵抗を封じた。
「陛下によからぬことを吹き込んだのはその口か」
「ぐ、ぎっ」
「うむ。言うまでもないが、私は“殺人許し”だ。おぬしを殺すことに何の呵責もない」
“殺人許し”は魔王殺しの一党に与えられた免状である。
精霊より王権を授けられた「侵すべからず」たる王を殺す許し。
転じて、その免状はあらゆる殺人を許す。最も尊いはずの王を殺すならばそう解釈するしかないのだ。
濫用すれば無論、王都より刺客が放たれたろうが、ジフはこの十年その権利を行使しなかった。する必要がなかったからだ、この瞬間までは。
「他人の運命を弄ぶのは楽しかったか、ファイレシア」
「ぎ、ざま゛……!!」
「私は死ぬ。“流星”を道連れにしてな。だがそれは、貴様の企みのためでは、ない!!」
ジフが剣を引く。引き斬る。
血を撒いて、首がひとつ宙を舞う。
その目が驚愕に見開かれていることを知る者はすでにいない。
この日、王城は炎に包まれ、その政治的機能を喪失した。




