表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/47

第20話  鏡面の我が顔



 外へ出たのは気まぐれだったとしか言いようがない。そこでまったく似ない弟にあったのは偶然でしかない。

 少なくとも悠斗は運命というものを信じていない。というより拒否している。北欧神話には運命を司る女神達がいて、その助言が時に神々を動かすこともあった。

 しかし悠斗は彼女たちが苦手だった。感情もなく、ただ義務的に運命を口にする彼女たちがまるで人形のように見えたのだ。

 確かに神々は彼女たちが語る運命を重要視していた。だが悠斗はそれを受け入れることはできなかった。

 何より彼はその運命のために血を分けた家族と離ればなれになったのだから。だから彼が運命を嫌うのも無理はない。しかしそれ以上にどんなにあがいても変えることができない運命に嫌悪を示した。

 それは静かな波が巨大な津波となって押し寄せてくるかのように、決して逃れることはできないかのように、彼らを飲み込んでいった。

 だから運命というものは嫌いだ。悠斗はそう思っている。

 そしてここで彼に会ったのは運命というたいそうなものではなく、ただの偶然だと言い切る。

「悠斗も散歩?」

「ただ外の空気が吸いたくなっただけだ」

 愛想のカケラもない兄の言葉にまったく気にせず、実はとなりに並んだ。

 一面に広がる田畑は美しいと思えるものなのかもしれないが、今の彼らには心に残ることでもない。悠斗は最初から風景を楽しむ感性がないし、実は悠斗と話すことの方が重要であるからである。と言っても、何か重要な話があるわけではない。ただ彼と話がしたかっただけだ。

 他愛もない話をしても、悠斗はつまらなさそうな顔をするだけだった。話題が尽きかけた実は先ほど桜と話したことを思い出した。

「そういえばさっき桜が変なことを訊いてきたよ」

「ふーん、何て?」

 悠斗はあまり意味のなく相づちを打つ。

「何で悠斗に拘るんだって」

 実は何でもないように言ったが、悠斗にはそれが引っかかった。

「ずいぶん前にも訊かれた事があったけどね。何でそんなこと訊くんだろう?」

「…それでお前は何て答えたんだ?」

 桜と同様に訊いてくる悠斗は、実の気持ちを理解していない。何でと訊くのはおそらく至極まっとうな疑問だからだ。悠斗はそれまでうっとうしいとかよくやるなあとしか思わなかった弟の執着にここでようやく気付いた。頭の良い彼にしては遅すぎるくらいだが、それが彼にとって当たり前と化していたからだろう。それぐらい悠斗と実は一緒にいたのだ。そこに疑問を持たないほどに。

 始のように憤慨するわけでもなく、ただ一緒にいるのが当たり前のように訴えるその姿は異常ととれなくもなかった。しかしそれを考えるほど深い関係になるともあの頃は思っていなかった。そしてそのまま忘れてしまった。

 だから悠斗がその異常にはっきりと意識したのはこれが初めてだった。

 そして実は十数分前と同じ言葉を口に出す。

「『一緒にいるのが当たり前なんだ』って」

 悠斗の身体を悪寒が走った。言葉にするのはたやすいそれが、どれだけ異常なのかを実は気付いていない。その二重の意味で悠斗は驚愕した。

 人には運命がわからない。決して読めない文字のように、決して見えない本のように、運命は存在するにもかかわらず、人間達にはほとんど無縁のような存在である。

 それは人が運命を知らないから。知らなければ自分が運命に従っているのか、それとも従っていないのかわからない。だから人にとって運命とはあってもなくても変わらないものなのだ。

 運命の相手なんて本当にいるのかすらわからない。ただの思いこみなのかもしれない。そしてそんなあるかすらわからない運命に流されていることにすら気付いていない。それが人間だ。

 だが、今目の前にいる人間である弟はまるで運命を知っているかのように言う。そしてそれにまったく疑問を持たず口に出す彼の異常さは、悠斗自身がかつて感じたものだった。

 それはかつてバルドルが死んだ時の、あの気分の悪さ。自分の身体が自分のものでないような、他人の目を通して見ているような、あの不愉快さ。そしてその異常。それによく似ていた。

 決められた台本を押しつけられたような、そんな気分だった。そして今も、まるで台本を目の前で読まれているかのような気分だ。

「…実、お前……自分が何を言ってるのかわかっているのか?」

 つまらない質問だというのはわかっている。しかしせずにはいられなかった。彼はなぜ運命を語るのか。ただの人間であるのに。

「? わかってるに決まってるじゃない。何かおかしい?」

 その表情はいつもと何も変わりはしない。しかし悠斗はそのおかしさに気付いていた。いや、あまりにも遅く気付いたのかもしれない。

「俺は神でお前は人間だ。いつまで一緒にいられるかもわからない。本来なら二度と会わないはずの関係だ。普通の人間以上に俺たちの縁はもろい。なのになぜそんなことを言う」

「桜も悠斗も変なことを言うね。誰かと一緒にいるのがそんなに変なの?」

「夢見がちな人間が言う運命なら俺は否定する。だが、お前が言っているのはそんなことではないだろ。ただの人間が運命を語れるはずがない」

 未来は予言されたとき、急速にその形へと向かうのだと未来を司るノルンが言っていた。だから運命は簡単に口に出してはいけないものなのだ。

 預言書なんてあてにならない。神は予言の重要性を知っているからこそ人間に伝えたりはしない。それを形に残させたりはしない。

「よくわからないけど僕は悠斗と一緒に生まれたのは運命か、特別なものだと思ってる」

「だから簡単に運命を口に出すな。それはお前達が思っている以上に重い」

「わかってるよ。でも僕は本当にそう思ってる。たとえ悠斗がどこへ行こうとも、何をしようとも、最後に一緒にいるのは僕だと思ってる」

「そんなセリフは好きな女に言ってやれ。俺に言っても仕方がないだろ」

「本当のことなんだからしょうがないじゃないか」

「どこもしょうがなくない。俺とお前が一緒に生まれたのはたまたまだ。偶然に過ぎない。俺の方がもう一度訊きたい。どうして俺にこだわる。お前には俺より絆の強い人間がいくらでもいるだろう。俺はそんなにお前と仲良くしていた記憶はないぞ。むしろひどいことをしたことだってある。なのになぜ俺にこだわる」

 血の繋がった家族でもなく、幼い頃からの友人でもなく、愛した女性でもなく、もはや戸籍上も繋がりがない双子の兄。なぜそんなにも執着するのかと。

 すると実はやはり何でもないかのように言ってのけた。

「仲が良いからとか、血が繋がってるとか関係ないよ。僕は悠斗と一緒にいるんだよ。これからも」

「だからなぜ―――」

「だって最初から決まってたから」

「何が」

「会うことが。僕と悠斗は最初から出会うことが決まってたんだよ」

「そんなこと誰が言った。それが運命だとでも言うのか」

「運命と呼ばれるものならそう呼ぶよ。僕自身、それがなぜなのか、何のためにかすらわからないけど。でも初めて君に出会った時、僕の心が言ったんだ」

「何て」

「『やっと会えたね』って」

 それはまるで本能のように、その思考に逆らわない、疑問に思わない。その異常さにすら気付かない。

 悠斗は目の前にいる弟がわからなくなっていた。悪寒すら走った。

 今、目の前にいるのは誰か。

「お前………誰だ?」

 人でも神でもない、これは―――何者だ。

 一陣の風が二人の間を通り抜けた。舞い上がる木の葉が悠斗の視界から実の姿を隠す。その先にある本当の姿を。まるでそれを隠そうとするかのように、木の葉は風に身をゆだね、二人を覆う。

 視界を遮る木の葉の間に、悠斗は実の一部を見た。

 いや、その一瞬に瞳に映ったのは実ではなかった。日本人にはない青い瞳、金色の髪。かつて自分が持っていた色。そしてその顔は――――。

「おとーさん、何してるのー?」

 開きかけた悠斗の口を止めたのは背後から声を掛けてきた彼の次男だった。

 それと同時に風は止み、木の葉は地に落ちた。

「フェン兄がご飯の準備ができたから呼んできなさいって。お昼、かやくご飯だよ」

 その場の緊迫した空気が洗われていく。まるで風と共に山の向こうへと消え去っていったかのように。

「そういえばもうお昼の時間だね。動いたからお腹が空いちゃった」

 そう言った実は既にいつもの彼だった。瞳も髪も黒い。それはそうだ、彼は生まれてからずっと黒眼黒髪だ。

 きっとさっきのは見間違いだ。でなければあり得ない。あの青い眼に恐怖を覚えたなんて。誰かに恐怖を覚えるなんて今までなかった。きっと間違いだ。

「おや、そんなところで何をしているんだい?」

 まるでタイミングを計らったかのようにフレイが帰ってきた。

「そろそろお昼じゃないかと思ってね。腹が減っては祭りはできないってね」

「祭りじゃなくて戦だよ」

「おや、そうだっけ? ちびっ子は意外にも頭が良いようだね」

「チビじゃない!」

 フレイとミドガルズオルムが言い合いながら屋内に戻っていく。

「悠斗、行こう」

 実は当然のように言う。一緒に行くのが当たり前のように。

「ああ、今行く」

 何か問題が片付いたわけではない。実の異常が変わったわけでもない。ただ、今は置いておいてもいいのではないかと思っただけだ。

 それは後から考えれば逃げていただけなのかもしれない。それ以上を知ることを恐れたのか、知っていたから恐れたのか、それはわからないけど。

 ただ取り返しの付かない後悔となっても、愚かなこの時の自分は何も出来ることはない。まだ運命はその時を迎えていなかったのだから。

 後悔はいつも定められた運命の下に与えられた。たとえ何度繰り返そうともやり直しはつかない。それでも後悔せずにはいられない。ただ苦しみと嘆きが残された。

 それでもこの時は忘れようとした。あの時見た似ていないはずの弟の顔を。

 似ているとは言われたことがない双子の弟。その顔を。

 まるで毎日見る鏡の中の自分だったと。決して認めはしない。





第四章【短き平穏に身をゆだね】終了です。

次からいよいよ物語の核心へと迫ります。そのまま一気に最終章へと走っていきたいと思います。最後までお付き合いください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ