第19話 すべては運命
僕達は生まれたときから二人だった。
幼い頃から思っていた。一人ではなく二人で生まれたことにはきっと重要な意味があるのだと。
それは何か運命じみたものだと、特別なものなのだと思っていた。ただそれは特別でありたいという子供じみた虚栄心だったのだろうが。
それでも自分は生まれた時から一人ではなかった。だから死ぬまでずっと一緒だと思った。いつも一緒でなくても、一番近いのはお互いなのだとかたくなに信じていた頃があった。
しかし事故をきっかけに変わっていった兄が、兄弟どころか他人よりも遠く感じた。距離はもはや測れないほど離れていた。
それでも、最後に傍にいるのは自分だと、成長した後も信じていた。
なぜそこまで信じるのかと問われた時があった。一卵性でもない、兄弟以上に似ていない兄に、そこまでこだわるのかと。
その時、僕は確かこう答えた。
一緒であることが当たり前なのだと。
記憶にも残らない、しかし確かに覚えている。初めて彼に会ったとき、僕の心が言った。
『やっと会えたね』と―――――。
正直こんな田舎で温泉以外に何を楽しめばいいと言うのだ。
コンビニすらない田舎の温泉宿でできることと言えばたかが知れている。観光地もなく、あるのは清らかな小川と秋の色に染まった山。黄金の稲に様々な色の果実を実らせる畑。
ああ、なんて素敵な自然美。などと感動するはずもない悠斗はとにかく暇だった。
元々こういった宿は休むことだけを目的としている。帰宅は明日なのであと丸一日は滞在するのだが、せっかくの時間を悠斗は部屋でごろつくことで消費していた。
他のメンツはというと、始とフェンリルは宿の主人が趣味で集めたという蔵書を読みふけり、若いガキどもは昨日の続きをと卓球場へ。フレイは朝から散歩に出ている。今部屋に残っているのは悠斗とヘルだけだ。
鳥のさえずりも虫の鳴き声も、本物の子守歌には適わない。
心地よい歌声が悠斗の心を癒す。彼女に似た彼女の歌。それは遠き過去を思い出させてくれる。安らかで、暖かかったあの頃を。
悠斗の頭を膝に乗せ、ヘルは母から習った歌を歌う。それは風と共に流れていきそうなくらい自然で、春の太陽のように優しいものだ。
昔、幸せだと言えた頃、よくこうやって彼女の膝枕で眠った。彼女の歌はどんな子守歌よりも聞き心地が良くて、眠ってしまうのがもったいないくらい美しかった。
サラサラと流れる黒髪も、花のような香りも、自分の頭を撫でる白い手の感触も、ふわりと微笑むその顔も、何一つ色あせることなく覚えている。
優しく撫でられるのが好きだったが、それを口にしたことはない。それでも彼女にはわかるのか、子供みたいねと笑っていた。子供扱いされることは不満であるはずなのに、撫でる手を止めたくなくて、文句も言わなかった。
その口から溢れるのはいつだって人を包み込む慈愛。他人を欺し、傷付けるばかりの自分とは正反対だった。
しかしそれを決して嫌うことも恐れることもしなかった。ただ子供っぽいところがあるのねと、それだけで済ましてしまう人だった。だから、彼女に何を言われても傷つくことはなかった。ただその声だけで癒された。
その存在だけですべてが救われた。
今はもう二度と会うことはない、愛しい人。
「父様、母様のこと考えてるの?」
「わかるか?」
「わかる。だって、娘だもの」
女の洞察力って侮れないなと本気で思う。それが大切な人のことならなおさらだ。
「たまにはこういう時間も必要だと思う」
「退屈は嫌いなんだ」
「知ってる。でも、休むことも必要だと思うの。母様も言ってたでしょ? 三日働いたのなら一日休みなさい。息抜きは怠惰ではなく義務なんだって」
「お前はアイツの言ったことをよく覚えてるな」
「子供にとって親は導き手だもの。父様は本当に神だけど、人間の子供だって自分の親は神様なのよ」
「なら、神って存在も意外と手軽なものなのかもな」
本当にそうならいいのにと本気で思った。
何一つ判らぬ世界で、ただ一つその存在だけが絶対だと信じられる。最初は親のマネをして、だんだんと世界を知っていく。子供はそうやって大人になっていく。
どんな虐待を受けても親を憎めない、捨てられることに怯える子供がいるというが、それはたとえどんな親であっても、その子供にとっての世界であるからだろう。その意味では、確かに親というのは『神』であるのだろう。
自分を救ってくれるかどうかは関係ない。ただ絶対の存在。
「私にとって父様と母様は『神様』、家族は世界。私のすべて」
「俺は、お前にそんなことを言ってもらうほど出来た存在じゃない」
外見なんてどうでもいい、その中身は一枚皮を捲れば醜悪で、汚らわしい。この世で自分が一番醜いのだと思ってしまうほどに。
「どんなものでも構わないの。私にとって父様は大切な父様。父様が汚れた存在ならその父様から生まれた私達だって汚れてる」
「お前達は汚れてない」
「私達が汚れていないのならお父様だって汚れてないわ。それに私はお父様が汚れていても構わないの。だから、自分を堕とさないで」
たとえ汚れきった手であっても、また頭を撫でてね。抱きしめてね。
そう言われれば父はそれ以上何も言えるはずがなかった。
「あー疲れた!」
そう言って部屋に入ってきたのは賑やかな次男坊だった。
「卓球をしていたんじゃなかったのか?」
「休憩! 俺もゴロゴロする!」
「いらんところをマネしなくてよろしい。ヘル、お茶を入れてくれるか? 茶菓子ももらったしお茶にしよう」
悠斗は起き上がり、着ている浴衣を整えた――ちなみに彼は昨晩から浴衣のままである。理由は楽だから。
ヘルはちゃぶ台に置いてある急須にポットからお湯を注ぐ。ミドガルズオルムは自主的に茶菓子を並べる。これは朝食後、宿の主人がくれた饅頭である。
穏やかな時間に穏やかな空気が漂う。
確かにたまにはこういうのも悪くないのかもしれない。子供達の笑顔を眺めながら、悠斗はぼんやりと思った。
こんな最低の自分から生まれた宝物達。受けいれてくれる暖かい人。お前たちを護るためなら、俺はどんなに汚れても構わない。
ただ願わくは、いつか終わり行き着く場所が、彼らと同じであるように。
視界を赤く染める紅葉、青い空、鳥の鳴き声。それを満喫しながらのお茶はいつもよりおいしく感じる。
悠斗達が家族水入らずでお茶を飲んでいた頃、実と桜も外のベンチに座りお茶を飲んでいた。傍らには宿の主人が気を利かせて持ってきてくれた煎餅がある。
「こうやってゆっくりするのも良いわね。家族旅行や修学旅行みたいに保護者の目がないし」
「観光地を巡る旅行も良いけど、こうやってのんびりするのも悪くないね」
彼は知らないだろうが、ちょうど悠斗も同じようなことを考えていた。まったく似ていない双子は、変に似ている。
「…一つ、訊きたいんだけど」
「何?」
「あんたは、どうして悠斗にこだわるの?」
桜の突然の問いかけに、実はなぜそんなことを訊かれているのか。いや、何のことを言っているのかわからなかった。
「昔からずっと思ってたの。あんたは基本的に誰とでも仲良くできるし愛想も良い。でも独占欲がなくて、嫉妬なんて感情はほとんどなかった。でも、あんたが唯一執着したのが悠斗だった」
桜が何を言っているのかわからない。桜は実の相づちも待たずに続ける。
「双子だからって仲良くする義務はないわ。仲の悪い兄弟だっている。あんたは誰かを悪く言うのは苦手だし、本気で他人を嫌うこともできなかった。だから気の合わない双子の兄にただ一人積極的に接しているのもわかる」
でもね。桜はそこで一度言葉を句切った。
「今の悠斗は血のつながりはあっても本当の兄弟じゃない。それでも家族だと言って付き合うことを決めたのはあんた達だけど、あんたは始さんみたいに割り切ってない。まるで悠斗と一緒にいるのが当たり前のような気でいる」
そう、桜がずっと抱えていた疑問。
実は昔から空気が読める子で、相手が自分を嫌っているとわかればそれ以上無理に関わることはしなかった。だけど悠斗にだけは違った。
ロキとしての自覚が現れた悠斗は大杉家の人たちと仲良くしようとはしなかった。適当に付き合い、北欧神達が現れてからは完全に自分の周囲から排除しようとしていた。
それは敵意にも見えただろう。にも関わらず、実は悠斗への接触を積極的に続けた。一度は迷いもした。しかし再び元の形を取り戻した。
始は悠斗に対し、相手が望む以上の形で接することはなかった。その関係は兄弟というよりも、対等な大人の関係にも見える。割り切っているから口出ししない。ただ見届けるだけだ。
それに対し実の接し方はおかしい。異常と言っても過言ではない。
他の誰でもなく、ただ悠斗だけにその執着心は向けられている。ドロドロとしたものではないからわかりにくいが、付き合いの長い桜にはそれがわかった。
「実、私は家族じゃないし、あんたが言った二年間の悠斗を知らないから結局は他人事なのかも知れない。でも、あんたのやり方はおかしいと思う」
「おかしい? どこが?」
本気でそう言っているのだと、それのどこに間違いがあるのかと、純粋に聞いてくるその目に、どこか寒気を覚えた。
「あんたは悠斗の正体が人間だろうがそうではなかろうが構わないのよ。あんたにとって重要なのはそれが悠斗であることだけ。あんたは誰とでも仲が良いけど、本当はどうでもいい相手なのよ。あんたにとって意味があるのは悠斗だけ。それに気付いてないつもり?」
実の答えを待たずに桜は続ける。いや、聞きたくなかったのかもしれない。聞くのが恐いのかもしれない。
「ねえ実。あんたはどうして両親でも始さんでも私でもなく、悠斗を選んだの?」
多くの選択肢がある中、なぜあの悠斗を選んだのか。
しばらくの間沈黙が続いた。
そして、一つのため息と共に沈黙は破られた。
「桜、僕も昔同じようなことを訊かれたことがあるよ。『何で悠斗にこだわるんだ』って」
「それで?」
「だから僕も答えたよ。『一緒にいるのが当たり前なんだ』って。最初から決まってるんだって。僕にはわかっていたんだ。僕は悠斗に会うために生まれてきたんだって」
「そんなの、誰が決めたのよ」
「さあ? 神様って答えるのが適当かと思うけど、神様にだってわからないことはあるんだね」
彼らの傍にいる邪神は、その無知と無力さから大切な者を失った。世界を敵に廻した。
ベンチから立ち上がり、数歩歩いてから実は立ち止まった。
「もしかしたら」
風が木の葉を吹きあげる。木の葉は逃げるかのように空へと飛び出す。
桜の方を振り向いた実の目が、青く光ったように見えた。
「運命ってやつかもね」
桜は立ち上がることも、何かを言うこともできなかった。
恐かった。生まれて初めて味わう恐怖だった。実の顔は似ているはずがないのに、シギュンやフレイヤを前にした悠斗の顔に似ていた。
冷や汗がたらりと頬を流れた。
「? どうしたの、桜」
そう言った時にはいつのも実がそこにあった。
「実…あんた、何?」
「? 僕は僕だよ。さっきから変なことばかり訊くね」
そろそろ戻ろう、そう言って実は歩き出した。そこには先程までの空気は無かった。
「実……あんた、本当に誰よ」
桜の問いかけに答える者はいない。ただ、彼がこのままであることを願うしかなかった。
長くなったので二つに分けました。
次で4章終わりですね。




