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第2話   雷神の降臨

 次の日、空は朝から黒い雲に覆われ、朝日を拝むことはできなかった。休日の朝は遅い。学業に励む者や仕事をこなす者達は、ほとんどが平日の疲れを癒すためにいつもより長い睡眠をとる。大杉家でもその光景は同じで、三人の兄弟は朝昼兼用の食事をとっていた。「話し合う」と言っていた始は、今日こそ話そうと考えていたのだが、弟の機嫌は悪いままだった。一体どうしたのかと思ったが、今話しかけてはよけいに悪くなるとわかっていたので、何も言わなかった。実は二人の兄が黙り込んでいるので、それに習って沈黙を通している。両親は朝食を食べた後、知人の見舞いのために出掛けた。時計と風の音だけが響く中、沈黙を破ったのは来客を示す呼び鈴の音だった。

「僕が出るよ」

 実はそう言って席を立ち、玄関に向かった。悠斗は顔を厳しくした。

「はいはい、どちら様ですか?」

 実はそう言って玄関の扉を開けた。そこに立っていたのは、一人の少年だった。歳は実とさして変わらないように見え、青い髪と瞳をしていた。少年は礼儀正しくゆっくりとした口調で言った。

「シアルヴィと申します。こちらにいる知人に主からの伝言をお伝えしたいのですが」

「知人? 誰のことですか? 今ここにいるのは僕と兄たちだけなんですが」

 実がそう答えると、シアルヴィは少し困ったような顔をした。実はどうしたのかと不思議に思った。そしてそれを口に出そうとしたとき、後ろから声がかかった。

「なんだ、シアルヴィか。わざわざ使いをやるなんて、あいつにしては慎重だな」

 二人は声の主の方を見た。声をかけたのは悠斗だった。

「悠斗の知り合いかい?」

 悠斗の後ろにいた始が言った。悠斗は後ろも見ずに言った。

「ああ、少しな」

 悠斗の唇はわずかにほころんだ。しかしそれが善意に満ちたものではないことが、よくわかった。悠斗は来訪者の方へ歩み寄った。シアルヴィはわずかに後ずさりした。悠斗はそれを見て満足したように、にんまりと笑った。

「どうした、シアルヴィ。久々の対面だというのに。ああ、それと俺の名前は大杉悠斗だ。覚えておけ」

 なぜ会ったことのあるはずのある人間に名を名乗るのかは、実達にはわからなかった。しかしそれよりも目に付いたのはシアルヴィの顔だった。明らかに悠斗を恐れていた。顔色は悪くなり、汗が流れていた。悠斗はその姿をあざ笑うかのようだった。

「それで? おまえの主は何と言って来たんだ?」

 シアルヴィは身体を震わせながら言った。

「あ・・・ここから南の方向にある廃棄された工事現場で待つと・・・」

「わかった。すぐに行く」

 悠斗はそう言うと自分の部屋へ向かった。彼は自分のジャケットを持ってすぐに戻ってきた。

「悠斗、出掛けるの?」

 実が靴を履く悠斗に聞いた。

「ああ」

 悠斗は関心がないように言った。

「雨が降りそうだよ。傘を持っていった方がいいんじゃない?」

「いらない」

 悠斗は靴を履き終えるとシアルヴィを無視して外へ出た。彼の姿が見えなくなると、シアルヴィは緊張の糸が切れたように座り込んだ。

「だ、大丈夫?」

 実が心配して近寄った。シアルヴィは顔を上げないまま震えていた。

「ねえ、君は悠斗とどういう関係なの?」

 実はシアルヴィの顔をのぞき込むようにして尋ねた。シアルヴィは震える声で言った。「あの方は悪魔だ・・・世界を滅ぼした悪魔だ・・・」

 シアルヴィはそう言うと、ふらりと立ち上がり出ていった。それを見送ると、実は傘を持って家を飛び出した。始は止めようと声をかけたが、実にその声は届いていなかった。始はしばらく迷ってから実の後を追った。


 悠斗が目的の場所に着いたとき、まだ雨は降っていなかった。しかし雷がすぐそばまで来ていた。

「雨が降る前に帰りたいんだが」

 悠斗は目の前にいる人物に言った。彼の前にいたのは長身の男性だった。身長は二メートル程あり、筋肉質のがっしりとした体型と金色の髪を持っていた。角張った顎には髭もなく、若いアメフト選手のようだった。その目には怒りの色が見え、常人なら回れ右をして逃げ出すだろう。しかし悠斗はその威圧感を平然とした顔で受け止めていた。彼の黒い髪は風に遊ばれていた。それを気にせず、悠斗は言葉を続けた。

「そんな怖い顔をするな。数千年ぶりだというのに」

 悠斗はからかうように言った。相手はますます機嫌を悪くしたようだ。悠斗はそれに満足したように続けた。

「おまえもずいぶん変わったな。前は黒いあごひげを蓄えて、戦士と言うより蛮族のようだったのに」

「貴様はどうなんだ?」

 悠斗の言葉を遮るようにして相手は言った。

「貴様は少し貧弱な姿になったのではないか? もっとも昔からおまえは貧弱だったがな。さすがはヘルの父親だ」

 それを聞いても、悠斗は顔色を変えなかった。そして悪魔のように口を歪ませた。

「よく似ていない親子だと言われていたが、似ているところがあったんだな。それに比べ、おまえたち親子は全く似ていないな。知的な父親からどうしてこんな野蛮な息子が生まれるんだ」

 そう言い終える頃、雷が悠斗を襲った。真上から降ってきた雷を、悠斗は予想していたかのようにかわした。ついさっきまで悠斗がいた所は抉れ、焼けこげていた。落ちたのは雷だけではない。そこには巨大な鎚が振り落とされたのだ。悠斗はそれを見て勝ち誇るかのように笑った。

「暴力は美しくないな。ま、最初から話し合いで済むとは思ってなかったけどな」

「貴様に弁解の機会など与えん。骨も残さず燃やし尽くしてくれる、【ずる賢い者】よ」

「そうだろうな。こっちも弁解して許してもらおうなど考えてはいないがな、【戦車を駆る者】よ」

 雨が降り始めた。風も強くなり、二人の身体は風と水に打ち付けられた。

 一方そのころ、実と始は雨の中悠斗の元へ向かっていた。最初は傘をさしていたが、走るのに邪魔なため折り畳んでいた。そのおかげで身体は雨に打たれ濡れていた。それもかまわずに走り続けた。今行かなければ絶対に後悔する。知りたかったことが全てわかる。そう思ったからだ。始は何も言わずに走り続ける実の横を黙って走っていた。全てが知りたい、それは彼も同じだからだ。

 目的の工事現場に着いた二人は、雷が落ちたのを見た。それは何度も繰り返され、頭に響くような大きな音がした。しばらく二人はその音に驚き耳を塞いでいたが、わずかに聞こえた声に耳を傾けた。一人は悠斗のもの。もう一人は知らない誰かのもの。二人は声のする方へと向かった。近づくにつれ、声がはっきりと聞こえてきた。

「貴様はなぜそんな姿をしてまで生きている?」

 落雷が止み、声だけがはっきりと聞こえてきた。

「貴様は所詮、巨人族の子だな。誰かを殺して生きなければ気が済まないか」

 その言葉は実達にも届いた。

(殺した? 誰が? 誰を? 一体何の話だ)

 実の頭に疑問が飛び交った。二人は声の主達の姿が見える位置までやって来た。地面には黒く焦げた場所が数カ所あった。土は抉れ、穴も空いていた。山積みにされた機材の上に悠斗がいた。しかしその表情はいつもの彼と違っていた。彼と対面しているのは金髪の大男だった。実も始も知らない人物だった。

「貴様は邪神以外の何者でもない。災いと不幸を引き寄せるだけだ」

 悠斗は何も言い返さない。男はさらに続けた。

「貴様に生きる資格などない。我々神々を裏切ったのだからな」

「トール」

 沈黙を通していた悠斗が口を開いた。

「おまえは注意力散漫だな。観客にも気づかなかったのか?」

 トールと呼ばれた男は辺りを見回した。そして物陰から自分たちを見ていた実と始に気づいた。トールは舌打ちをした。

「ちっ、人間か。まあいい、今日はこの辺りにしておいてやる」

 彼の怒気が退くと同時に雷鳴は止み、時折光っていた雷光も見えなくなった。

「シアルヴィ、帰るぞ」

 彼がそう言うと、機材の影からシアルヴィが現れた。

「そちらも出てこい。不意打ちはごめんだからな」

 トールは反対側にある機材の山に向かって言った。機材の影から現れたのは長身の青年だった。青年は鋭い目つきでトールをにらんだ。

「相変わらずですね。しかし私に気づいていたことはほめるべきなのでしょうか?」

 トールはまったく気落とされることなく言った。

「相変わらずは貴様の方だな、フローズヴィトニル。今度会ったときは再び鎖で繋いでやろう」

「どうぞ、できるものなら。その時はチュール神のように腕だけでは済みませんよ」

 二人はしばらくの間にらみ合った。そしてトールは悠斗の方を向いた。

「せいぜい怪物の息子と残りわずかな時間を楽しむがいい。裏切り者にふさわしい最後を迎えさせてやろう。ロキ」

「それはありがとう。オーディンたちにもよろしく」

 そう言った悠斗をにらみつけると、トールはシアルヴィを伴って歩き去った。後には悠斗とフローズヴィトニルと呼ばれた青年、そして事情を全く飲み込めないでいる実と始が残された。


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