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第1話   過去を見せる夢

 遙か昔、人は神の国の下に存在した。神々はユグドラシルの樹の恩恵を受け、世界を支配していた。しかしそれを良しとしない巨人族との衝突は絶えなかった。巨人族との戦いを繰り返しながらも、神々の支配は永遠に思われた。しかしそれはあっけなく終わりを迎える。希望の神バルドルに死が訪れたのだ。そしてその原因を作ったのは、一人の邪神であった。彼は巨人族を率いて神々の国アースガルドに攻め入った。これが神々の時代の終わりを意味する《神々の黄昏》である。巨人スルトの放った一撃は大地を焼き尽くし、世界は崩壊した。その時そこに立つ者はおらず、邪神もその戦いで命を落とした。滅びた世界に現れたのは、復活を果たしたバルドルだった。バルドルは世界を蘇らせ、再び神の支配する世界ができるはずだった。しかし蘇った世界に人間の姿はなく、邪神の魂も何処かへ消え失せてしまった。

 それから長い時間が流れた。人は古き時代にあった出来事を神話として伝えている。神のいた世界ではない、違う世界で新たな文明を築きながら――。





    我が義兄弟よ

    なぜ我らを裏切った

    なぜ我らの希望を奪い消し去った

    答えよ 義兄弟よ




 それは戦場で発せられた言葉。遙か昔の誰も覚えていない記憶。その手を血で染めた愚者への非難。思えばそれが、彼が自分に向けた最後の言葉だった。


 奇妙な音楽で夢は中断された。少年は起き上がり、音楽の出所を探した。それはすぐに見つかった。左翼の車だった。車は彼がいる土手のそばを通り過ぎていった。彼には理解のできない歌詞と、車に書かれた「神風」の文字は彼を不機嫌にした。いや、夢が彼を不機嫌にしたのだ。

「・・・ずいぶん懐かしい夢だったな」

 少年は首を振って眠気を飛ばした。神にすがることも、神になろうとすることも、とても馬鹿らしいと思っていた。人は神にはなれない。神は人を救いはしない。神は傲慢で、愚かで、気まぐれだからだ。ほんの気まぐれで助けられた人間は、それを慈悲深きことと勘違いする。神ができる事なんてほんの少しのことだ。運命を変える力もない。腹が立つぐらい無力な存在だ。未来がわかりながらも、変えることができない。川に落ちた葉のように、ただ流されることしかできない。そしていつかどこかに引っかかるか、沈むかして止まるのだ。そこに神と人の差なんて存在しない。そのことを人間はわかっていない。神は導く者でも、救う者でもない。支配し、搾取する者だ。かつてそんな時代があったことを、今の時代の人間達は知らない。この国のほとんどの人間は神への信仰すら薄れている。少し前までは一人の天皇を神と考えていた。今ではそれもなくなり、神は空想の存在へとなり始めている。しかしそれでいいのかもしれない。今、この世界は神の世界から切り離され、別の時代を生きている。そこに神は必要ないのかもしれない。彼はそんなことを考えていた。

「何してるの?」

 突然、後ろから座っている彼を見下ろすように声をかける者がいた。

「何でもない」

 彼は後ろに立っている同年代の少年にそう言った。彼は立ち上がると、尻に付いた草を払い落とした。

「授業は終わったのか?」

「うん、どうしたの? こんなところで」

 今、彼らがいるのは近くに高校がある川辺だ。すでに授業を終えた小学生達は我先にと土手を滑り降り、中学生や高校生がそれを眺めながら帰路についている。そして彼らは似ていないが双子だ。初めてそれを聞く人はたいてい驚く。しかし双子が似ているのは一卵性の場合であって、二卵性双生児は特に似ているわけではない。双子=似ているという概念はおかしいと、双子の兄の方は思っている。特に、この二人は血が繋がってるとも思えないほど似てない。

「買い物を頼まれたから付き合ってくれないか」

「いいよ、でもまだ慣れないの? もう二年になるのに」

「商品名がよくわからない。どれがどれだかさっぱりだ」

 それを聞いて弟の方はクスリと笑った。それを聞いた方は眉間にしわを寄せた。

「さっさと行くぞ」

 そう言って兄の方は歩き出した。弟の方はそれに黙ってついて行った。


 買い物はいつも近所にある商店街とスーパーで済ます。この日も二人はスーパーで買い物を済ませ、外に出てきた。兄の方は右手に買い物袋を持っただけ、弟の方は少し荷物の量が少ない買い物袋と、学校帰りの証である通学用の鞄。それを持つ彼が着ているのは学校指定の青っぽい制服。同じ歳であるはずの兄の方は制服を着ず、夏でも長袖の服を着ている。周りは暑苦しいと言ったが、彼自身は気にも留めていないようだが。

「悠斗、実、おまえたちそこで何をやっているんだ?」

 後ろから二人を呼ぶ声がした。二人が振り返ってみると、そこには数人の若い男女が喫茶店のテラスから手を振っていた。その中の一人に、二人の知っている顔があった。

「始兄さん、そっちこそ何してるの?」

 実と呼ばれた双子の弟の方は、帰りたがる兄の方を引きずるようにして一番上の兄の方へ歩み寄った。

「大学の仲間と春休みに行く旅行の打ち合わせ。二人は買い物か?」

「うん、学校帰りに付き合ってくれって言われて」

 そう言って実は悠斗の方を見た。悠斗は別にこの兄が嫌いな訳ではない。話のネタにされるのを嫌うのだ。

「ねえねえ、二人とも大杉君の弟さん?」

 机の向こうから乗り出してきた女子大生は、目を輝かせながら言った。

「はい、そうです」

 実は愛想良く答えた。悠斗の方は何も言わなかった。

 二人は始とその仲間におごってもらえるということで席に着いた。その間二人は質問責めを食らっていた。

「ねえねえ、どこの学校行ってるの?」

「双子なんだってね、どっちが上?」

「何歳? 彼女はいる?」

 実はたくさんの質問に一つ一つ答えていく。一方悠斗は実に全て任せて黙って注文したコーヒーを飲んでいた。そして兄の友人達をつまらなさそうに見ていた。普段の彼は決して人見知りではない。むしろ社交的だ。しかし今は夢見が悪かったせいか、話しかけようともしない。悠斗は急に立ち上がった。

「先に帰るよ」

 そう言ってイスを元の位置に戻すと、周りが何も言う暇を与えずにその場を去った。残された者達はそれを黙って見送るしかできなかった。

「弟君、かっこいいね。でも人見知り激しいの?」

「いや、そういうわけではないんだが・・・」

「今日はちょっと機嫌が悪かっただけですよ」

 始の言葉を実が引き継ぐように言った。おそらくそれもあるのだろうが、その内自分を話題にされるのだろうと思ったからだろう。

「ねえねえ、もしかして例の話の弟さんってさっきの方?」

 急に振られた話題に、二人の兄弟はやはり来たかと思った。

「ああ、そうだよ」

 始は半ばあきらめたように言った。例の話というのは二年前に起こった事故のことだ。

 二年前、悠斗は交通事故に遭い、生死の境をさまよう程の傷を負った。一命は取り留めたが、起きたときの彼はそれまでの十五年間を全て忘れ去っていた。それどころかまるで別人のようになっていたのだ。以前の悠斗は考えるよりも身体を動かす方が先で、頭はあまり良くなかったが、人に好かれ、みんなの中心になる人物だった。

 今の悠斗はまったく違う。他人を見下しているわけではないが、目上に対しても遠慮はしない。何よりも自分のことを考えて行動する。他人が作ったルールに従うのも嫌う。そして嘘つきで悪戯好きだ。悪戯も子供のするようなかわいらしいものではない。気に入らなかったかつての同級生のスクーターの燃料タンクに穴をあけたことだってある。一歩間違えれば大惨事になっていた。犯人は見つからなかったが、後に悠斗の言動で彼が犯人だということがわかった。しかし証拠はなく、両親は記憶を失った哀れな息子を甘やかしている。警察は捕まえることもできず、記憶障害の少年にそこまでする気もなかった。警察が去った後の悠斗は、まるで勝ち誇ったかのように唇を歪ませたのを二人は忘れられなかった。悪魔がいるのならこんな顔をするのかもしれない。そう思った。両親はもしかしたらそんな息子を恐れているのかもしれない。

 嘘は当たり前のように吐く。他愛もない嘘から、信頼関係を崩すような嘘まで。結果的に以前の悠斗が築いてきた信頼関係はほとんど崩れている。今の彼が中学に行ったのはほんの一ヶ月ほどだ。怪我をしてからおよそ半年入院していた彼は、卒業までの一ヶ月だけ学校に通い、受験も受けなかった。今は家で何もせずに過ごしている。両親は何も言わず、最近は近寄るのも恐れているように見える。

「その話はあまりしたくないんだが」

 始がそう言うと周りもそれ以上追求しなかった。悠斗についての話題が終わったわけではなかったが、それは彼の容姿に関してのものだった。双子の弟に似ていない彼の顔は間違いなく美形に属する者だった。親戚にも彼に似ている者はいない。幼い頃は平凡な顔で、母方の祖父に少し似ていると言われていた。しかし成長するに連れ、誰にも似なくなった。


 始の友人達と別れた後、実と始は家への帰路に着いた。その途中、話を切り出したのは実だった。

「今日、改めて考えたんだけど、悠斗って本当に変わったのかな」

「どういうことだ?」

 意味のわからない言葉に始は首を傾げた。

「だからさ、悠斗が変わり始めたのって、本当にあの事故の時だったかな」

 そう言われて始は考え出した。確かに危険な悪戯や嘘をし始めたのは事故の後だ。しかし、それより前からその兆候が見え始めていたのではなかろうか。

「事故より前から少しずつだけど、嘘を吐くようになったり、悪戯をし始めてなかった? 友達とケンカして帰って来ることが多くなっていなかった?」

 信頼関係は確実に悪くなっていった。しかし反面で頼りにもされていた。誰も考えつかないような方法で物事を解決したりもした。社交的になったとも言える。彼の矛盾した性格は事故後、はっきりと表に出るようになる。

「確かにそうだったかもしれないな。ああなり始めたのはいつ頃からだろう。事故より少し前か、もしくはもっと前からか」

 始は唸った。このままではいけないと思っていた。今さら元に戻って欲しいとは言わない。それは今の悠斗を否定することになる。記憶を失っても、悠斗に変わりはない。彼の矛盾した性格を理解してそばにいられる人間は少ないだろう。人と付き合っていくには、彼の性格をどうにかしなければならない。

「今度、ちゃんと話し合わなければな」




 時間は少し前に戻る。実達と別れた悠斗は町中を歩いていた。彼が今考えていることは、先ほど見た夢のことだ。あれは昔のことだ。気が遠くなるほど昔にあった出来事。どれだけの時が流れても忘れることなどできない記憶。

「雨が降りそうだよ」

「まじ? 朝は晴れてたのに」

 すれ違うカップルの声で悠斗は空を見上げる。南から黒い雲が流れていた。聞こえてくる雷鳴が何を示しているのか、彼にはわかっていた。

「どうやら奴らが動き出したようです」

 そう言ったのは建物の影にいる誰かだった。

「そのようだな」

 悠斗は最初からそこにいたのがわかっていたように、全く動じなかった。

「もう十七年だ。遅いくらいだろ。いや・・・」

 むしろ早いと言うべきか。悠斗は考えた。彼らにとって十七年という年月はほんの一瞬に過ぎない。かつての自分もそうだったはずだ。それにも関わらず、今の自分は一年すら前よりも遙かに長いと感じられる。悠斗はおかしかった。笑いたいくらいだった。こんなにも自分はこの時間に馴染んでいる。

「この調子だと一番手は彼のようだ」

 悠斗は空に広がる黒い雲を見て言った。

「まだ万全ではないのでしょう? そんな状態で戦うなんて無茶です。とても話し合いで済む相手でもないのに」

 悠斗を心配するかのように言う人物を、悠斗は優しい目で見つめた。

「心配ないよ。それよりおまえは次男坊を探しておいてくれ」

「・・・わかりました。ご武運を」

 そう言うとその人物はどこかへ消えた。風が悠斗の髪をなでた。

「そろそろ潮時か・・・」

 悠斗の独り言は誰の耳にも届かなかった。


いつまで続くかわからない長編に目を向けていただいて感謝します。

第1章「始まりを告げるは裁きの雷」開始です。

できれば最後までお付き合いしてください。

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