1 二人の王女
その花畑を見ていて、不安になりましたか?
辺り一面花畑である。
色彩豊かな風景を優しい風が駆け抜けて、噎せ返る様な甘い香りが俺を袋叩きにする。
花の香りから逃げる術は無い。
花畑には隠れる場所も無い。
花畑であるにもかかわらず、虫も鳥も見当たらない。
辺り一面花畑である。
この場所に明確な名前は無い。
古来より不気味な場所として知られていたが、何故そう認識されるようになったのかは誰も知らない。
人が近寄らず何物も出て来ないこの花畑に意味は無く名前も無い。
或いは、誰もが恐れるこの場所は名前を付ける事すら躊躇われたのか。
「何の因果でこんな所に……」
心の内を少しだけ吐露する。
音は、普通に去って行った。
足を止めて後ろを振り返る。
俺の歩いた場所は花がなぎ倒されている。
花畑を踏み固めた獣道は真っ直ぐ背後へ伸びている。
鼻が馬鹿になっている事を除けば俺の感覚はまあまあ正常の様だ。
この花畑は広い。
だからこそ妖腕の花売りが踏み入ったのだろう。
妖腕の花売りはこの花畑を我が物として大陸に君臨しようとしていたのだろう。
ここには無数の花があり、ここで君臨するだけで畏怖される。
死んじまっちゃあ、全てはおじゃんだが。
それでも、死して尚爪痕を残しその結果俺がここに来た訳だが。
死んでからも迷惑な奴だ。
だからこそ、死んでも尚その死体には価値がある訳だが。
背嚢から傘を抜いて広げる。
花を潰しながらどっかりと腰を下ろすと、自然と深い溜息が漏れた。
カチカチの干芋を食い千切りながら花を摘む。
俺は花に詳しくないが、この花は知っている。
名前は知らないが食べられる。
口に放り込むと苦甘い味が優しく広がった。
干し過ぎて味のしない芋にもこのくらいの優しさが残っていたらよかったのに。
もしゃもしゃと花を咀嚼しながら、先の事について考える。
懸念されるのは食糧だ。
水は意外と瑞々しい花で補給出来そうだが、困った事に腹が膨れるまで花を食べるのは思いの外億劫である。
肉が喰いたい。
銀芯の獣追いの通り名にあるまじき悩みだが、何せこの花畑には獣がいない。
ここには何も無い。いやまあ花はあるし風は吹いちゃあいるが。
楽な仕事では無いと思っていたが、それでもしくじったかもしれない。
漠然とした不安を余所に日が沈んで行く。
俺は傘に蚊帳を引っ掻けて花畑に横たわった。
この蚊帳にも果たして意味があるのかどうか。
獣も虫も夜行動する種が多いが、この花畑に棲息している保障は無い。
花畑の色が闇に沈んで行く。
普通ならば暗闇の方が不安を煽る物だが、色が煩いこの花畑に置いては逆だ。
加えて夜と言う物は昼よりも気配に満ちているのが普通なのだが、この花畑には何も無い。
いや、ある。
気配、それも人の気配か?
蚊帳の中で半身をもたげる。
使い所が無いかも知れないと心配していた仕掛け槍を組み、気配の方向に目を凝らす。
ぼんやりとした明かりが見える。
明かりはゆっくりと動いていて、徐々にこちらに近づいて来る。
姿を隠す意図は無さそうだし、どうにもこちらの存在に気が付いていない様にも思える。
暫し考え、俺は声を張り上げた。
「そこに誰かいるのか?」
明かりが止まる。
どこと無く驚いている様な気配が伝わって来た。
それにしても正体不明の相手に対して無策に声を掛ける等、普段の俺なら選択しないであろう行動だ。
気が付いていないのなら遣り過ごすのが正解なのだから。
俺は僅か一日でこの何も無い花畑に参っていたのかも知れない。
だが、それは相手も同じであった様だ。
「人? そこにいるのは人?」
女の声だ。
俺と同じ様に何らかの依頼か命令を受けてこの花畑に入り込んだのかもとも思ったが、それにしては伝わる雰囲気が違う。
擬態かも知れないが、どうにも荒事も知らない町女の様な不用意さが透けて見える。
「そうだ、人だ。獣追いをしている。お前は誰だ?」
俺の問い掛けに相手が一瞬だけ言いよどむ。
そして、意を決した様な気配と共に返事が返って来た。
「私はアズキ、カミノクラ=アズキ!」
その名前に俺は深い溜息を吐いた。
そしてどう考えても厄介な女に声を掛けてしまった事を悔やんだ。
その一方で、この花畑で人に出会えた奇跡に安堵していた。
◆
花が散っていた。
花と言ってもただの花では無い。
ヒナガタが売った花だ。
食い花或いは化け花と呼ばれる、人の形をした花だ。
今は枯れて見る影もないが、花の抱擁は他に無い快楽を与えてくれるのだと言う。
残念ながら私がその快楽を体験する機会は永遠に失われてしまったが。
花が散ったのは半月ほど前の事だ。
それには何の前触れも無く一斉に。
そして人々は畏れたのだ。あの花畑を。
一月程前にヒナガタが占有する事を宣言した、あの花畑を。
だから、誰も枯れた花を片付けようとはしないのだ。
だから我々死体屋は花を片付ける。
巷に在庫が溢れ返り、最早売り物にもならない花を片付ける。
枯れた花が人の形で床に横たわっている。
無数の花弁が寄り集まったその外見は、近くで見なければ人のそれと見分けがつかない。
それを箒で集めて袋に詰める。
袋はそのまま燃やされる。
事の前までは花の秘密を暴こうと奇術師や権力者がこぞって花の残骸を求めたのだが、今となっては数も量も多すぎるのだ。
花によって大陸を牛耳っていただけの事はある。
一月前のあの日、家族や隣人が散った者は多い。
それだけ花は蔓延っていたのだ。
花弁で構成された人型を二人分袋に詰め込んで、三人目と四人目に向き合う。
一人は身なりの良い初老の男性で、もう一人は若い女性だ。
初老の男は人格者として知られた奇術師だったが、いつからかこの男は花と置き換わっていた。
女の方の素性ははっきりとしていない。諜報員の可能性もあるが、今となっては調査する意味も余裕も無いと言う事だろう。
近寄って見ても花には見えないが、半ば崩れた男の中身はみっしりと詰まった花弁だ。
右腕の肘から先がもげた女も、その断面から花弁が零れている。
人と見分けが着く花とは異なり中に詰まった花弁は大きい。
ヒナガタの目や耳がいかに大陸に行き渡っていたのか、それがヒナガタの死後に明らかになった。
北の王国では王族が一人残らず散ったらしい。
ここ封国では議会の三分の二が散ったらしい。
聖国のとある町から一人残らず散ったらしい。
帝国が誇る兵士達が致命的な程散ったらしい。
だから一月経った今もこうして散った花が新たに発見される事があるし、一月経っても尚散った花を片付ける目処が立たない。
過去に私が売った死体の中にも花は混ざっていたのだろうか?
最早知る術の無い事だ。
何故ならヒナガタ自身が散ったからだ。
聖国の発表以外にそうである証拠は無いのだが、ヒナガタが踏み込んだあの花畑はそれを確信させる何かがある。
事実はどうあれ数多の国が揃いも揃って静観を決め込んでいるのだ。
花が散った後の始末に追われていると言う理由もあるのだろうが、それでも帝国も聖国も封国も揃いも揃ってヒナガタの死体を回収しに動かないのは異常だ。
優れた奇術師の死体等、喉から手が出る程欲しいだろうに。
まあ、静観を決め込んでいるのは私達死体屋も同じなのだが。
そう言えば封国が人を送り込んだと聞いた。
大国がどちらも静観を決め込んでいる今が好機だと踏んだのだろう。
もっとも、送り込んだのは雇われ奇術師らしいが。
確かヤグラとか言う奴だ。
随分と汚く殺す奴だったと思うが、果たして花畑に向いている奇術師なのだろうか?
余計な事に思考を巡らせながら男の方を袋に詰め、女をどう処理しようかと手を止める。
上手く切り口を誤魔化せば死体として売れないだろうか?
ここ半月の間、方々で生きている人も死んでいる人も不足している。
死体屋は顧客と商品を大幅に失ってしまったのだ。
廃業した者も多いと聞くし、その中には自らが商品となってしまった者もいると聞く。
私自身、割と原型の残ったこの花を死体に偽装出来ないかと考える程度には困窮している。
暫し本気で考えた末、今はその選択肢を取らない事にする。
死体屋は後ろ指を指される仕事だからこそ信用が大事だ。
今の様に仕事を奪い合う状況であれば尚更だ。
まあ、そこにつけ込まれて実入りの少ない花掃除を強いられている訳だが。
適当に砕いて袋に詰め込もう。
木槌に手を掛けた所で――目が動いた。
悲鳴を押し殺して飛び退く。
人と見分けの付かない花の目玉が、ぎょろぎょろと動いてから私を見据えた。
「……ここはどこ?」
花が喋った。
私はぎこちない動きで木槌を構える。
その両手が情けない程激しく震えていた。
「いいえ、見覚えがあるわ。ここは封国にある大使館の中ね?」
そうだ。ここは封国の中にある北の王国の大使館。
半月前に王族が全員散り昨日ここの駐在員も全員が散っていた事が判明した、北の王国の大使館だ。
突然の出来事にただ固まる事しか出来ない私の前で、花がうんうんと唸りながら何かを考えている。
それは永遠の様に長い時間続いている様に感じたが、実際にはそれ程長い時間では無かったかも知れない。
花は考えがまとまったのか一度頷いて私を見据える。
「私の名前はアズキ、カミノクラ=アズキ。木槌と袋を持っていると言う事は、貴方は死体屋ね? 正統王国の王族として私は貴方に状況の説明を命じるわ!」
花が肘から先の無い腕で私を指してそう宣言した。
その直後、自らの腕の状態に気が付いて軽く動揺していた。