第二十二章
「おやっさーん、亮さん、元気ー?」
工房に入ってくるなり、由美は勢いよく言った。
「あ、また来たのか」
「また来たのかって、どういうものの言い方するのよ! 私はあなたの客よ、客! しかも上得意様に向かってなんて言い草?」
「はははは、そうだね。いつもお世話になってます」
この間と全く同じ会話だった。多分これから先、彼女とは幾度となく同じ会話を繰り返すのだろう。
「おばちゃん、こんにちは」
亜美ちゃんが由美に言った。由美はショックだったのか、「お、おば、おばちゃん?」と首をかしげながらも「こんにちは」と嬉しそうに亜美ちゃんを抱きしめながら言った。
「由美さん、久しぶり~」
「友加里さん、元気だった?」
「うん、私はいつも元気よ」
「はい、これどうぞ。奈々子のところに寄ってきたの。これ、昨日の残り物だから早く食べたほうがいいらしいわよ。おかげで、こっちはタダでもらえてラッキーだったけど」
「そうなの? あ、私の好きなチーズケーキだ!」
友加里は箱の中を覘きながら言った。
「こいつはね、昔っから食い気しかなくてね。由美さん、いつもありがとよ」
工房の奥で作業をしながらおやっさんが言った。
「じゃあ、コーヒーでも淹れましょうか?」
「亮さん、お願い。亮さんの淹れてくれるコーヒーが世界で一番美味しいから」
「はい、はい」
「それでね、これ、お客さんから預かってきたデザイン画なの。よろしくね」
「期限はいつまで?」
「十一月二十五日」
「一ヶ月半しかないじゃん! 他の注文もいっぱい溜まってるのに!」
「ごめんねー。いつも無理を言うわね」
「無理すぎるよ! 今度から、時間がないお客さんには、ちゃんと既成のものをすすめてね!」
「はい、はい」
そう言って、由美は亜美ちゃんに向かって舌を出した。すると亜美ちゃんも由美に向かってペロッと舌を出した。
亜美ちゃんは今日も相変わらず、友加里さんと攻防を繰り返していた。ダメだと言っても、亜美ちゃんの興味は尽きず、工房の戸棚や工具箱からいろんなものを取り出してきては、床の上に一直線に並べていた。おやっさんも僕も急ぎの仕事があって、亜美ちゃんにかまっていられなかったので、夢中になって作業をこなしていた。友加里さんも由美もけっこう頻繁に工房を訪れていたが、いつもすれ違っていて、彼女たちが都合よく顔を合わせることが滅多になかったので、気の合う二人はここぞとばかりに話し込んでいた。
そのときである! 突然、工房の奥で、亜美ちゃんが大声で泣き出した。止めていていたはずのバーナーに火が入り、火傷をしたらしい。真後ろにいたおやっさんは、ちょうど回転バーに指輪をセットし、磨きをかけているところだったので、そのことに全く気付かなかった。
「大丈夫か! 亜美!」
おやっさんは血相を抱えていた。亜美ちゃんの小さな指はみるみるうちに赤く腫れ上がり、髪の毛も少し焦げているようだった。
「おい! 友加里! さっさと氷を持って来い!」
「うん!」
友加里さんは慌てふためきながらも、タオルに氷を包んで亜美ちゃんの指に当てた。泣きわめいた亜美ちゃんも、氷を当てることで痛みがやわらいだのか、どうにか泣き止んだ。亜美ちゃんの指の怪我は、どうやら軽症で済んだようだった。
「てめぇ、あれだけ見張ってろと言ってただろう! それでも親か!」
おやっさんは友加里さんに向かって怒鳴り散らした。
「なによ! ちょっと火傷しただけじゃない!」
「ちょっと間違ったら、指が飛ぶこともあるんだぞ!」
「そんなの分かってるわよ! 分かっててここに連れて来てやってるんじゃない!」
「なんだと?」
「やる気?」
そう言って、友加里さんは工房の隅にあった長箒を振り上げた。僕と由美は慌てて二人を止めに入った。
「お父ちゃんはいつだってそう! 仕事が忙しいとか言いながら、いつも酔っ払ってて、都合が悪くなると全部人のせいにして、お母ちゃんが亡くなったときも、病院にいなかったじゃない! 今頃になって、なにいい人ぶってるのよ!」
「……」
友加里さんは泣きながらそう言って、亜美ちゃんの手を引き、工房から出て行ってしまった。工房に残された三人は呆然と佇んだ。暫くして、由美が口を開いた。
「宮前さん、すみません。私のせいです。友加里さんと話し込んでたから」
「いや、違うんだよ。友加里の言う通りなんだよ。俺がちゃんと見張ってればよかったんだ。亜美はすぐ後ろにいたんだし、ガスの元栓を閉めておけば良かったんだよ」
「……」
「俺は飲んだくれのどうしようもない男だったし、友加里がああ言うのも仕方がない。女房が死んでから改心したって遅いってんだよ……」
「僕は、いいおやっさんしか知らない」
僕がそう言うと、おやっさんは淋しげに笑った。
「おい、亮。奈々子さんを大事にするんだぞ。あの子は最高の女房だろう? 生きてるうちに女房は大事にしとかなくちゃな」
「生きているうち?」
「おう、そうさ。人の人生なんざ短いもんさ」
「そうなんですかね……」
「そうだよ。俺は、女房にもダチにも先を越されちまった。八十歳まで生きられる保証なんかどこにもねぇんだからな」
「そうですね……」
「だからな、人間なんて、生きてるうちが花なんだよ」
おやっさんはそう言って、煙草に火を点け、深く吸った。
第二十三章に続く




