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二人でいたから  作者: 早瀬 薫
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第二十章

 柏木三郎……東府中六丁目

 黒川祥太郎……国領二丁目

 水森英俊……布田一丁目

 吉田勝隆……多摩川一丁目

 青野竜彦……仙川一丁目

 

 僕は、メモ帳に書かれた名前と住所を睨み付けていた。奈々子を尾行して調べた家の住所と名前だった。彼女が手紙を入れていたところは、どれも京王線に沿った町だった。後で、周辺の住民に聞き込みをして分かったのだが、年齢も高齢の人が多く、中には既に亡くなっている人もいるようだった。

 奈々子は一体何の目的があってこんなことをしているのだろう? 奈々子を何度か尾行してみて分かったが、東府中で柏木三郎という男性宅を訪れたときのように、毎回その表情は硬かった。やりたくてやっているのではなく、やむを得ない事情があってやっていることのように見えた。

 どうしよう? 信之君に相談してみようか? いや、無理だ。彼に相談するくらいなら、直接奈々子に訊ねたほうがいい。そんなことを考えていたら、洗濯物を干していたはずの奈々子がいつの間にかすぐ傍にいて、「どうしたの? そんな真剣な顔をして」と僕の顔を覗き込んだので、僕は慌ててメモ帳を閉じた。

「仕事のこと?」

「う、うん……」

「分かった! 由美のお客さんのことでしょう? 結婚指輪は一生物だから、拘るのも分かる気がするけどね」

「うん、でも、ギリギリまでデザインが決まらなくて、結婚式に間に合いそうもないときがあって、それはさすがに勘弁してほしい」

「大変ねぇ」

「それはそうと、今日は奈々も由美さんの注文が入ってるんだろう? 夕方からウェディングケーキの仕込みに入るって言ってたじゃん」

「うん」

「大変だねぇ」

「うん」

「でも、考えてみたら、二人ともとても幸せな仕事をしてるんじゃないかな」

「そうよね」 

 そう言って、二人で笑い合った。

「ねぇ、今からお弁当を持って公園に行かない?」

「いいけど」

「紅葉してるかな」

「まだだと思うよ。十一月にならないと無理なんじゃない?」

「そっか」

「でも、外でご飯を食べるのは気持ちがいいからそうしよう」

 おにぎりの中に、昨日の夕飯の残り物のエビ天を詰めたり、から揚げを詰めたり、たくあんや昆布を詰めたりして、それと魔法瓶に入れたお茶だけ持って出掛けた。

 公園に着くと、この間、信之君と待ち合わせしたときに見かけた年配の男性がいたので、目が合ったついでに会釈をしたら、向こうも笑顔で返してくれた。

「あれ? あの方、亮ちゃんの知り合いなの?」

「いや、二回目。この間、この公園の周りを走ってたときに見かけたんだよ」

「ふーん」

「奈々も一緒に走る?」

「えー、やだー。だって、私、一日中立って仕事をしてるし、仕事が結構運動になってるよ」

「そうだね。僕はじっと座ってることが多いからなぁ。意識して運動しないと体がなまってしようがないよ」

「そうだね」

 他愛もない話を二人でして、こんな風におにぎりを外で食べているだけで、幸せだなと思う。一人じゃなくて、二人だということを人はどうしてこんなにも幸せだと感じるのだろう? きっと一人でベンチに座って食べていたら、幸せだなんて僕は思わないに決まっている。逆に、淋しい、不幸だと思うのだろう、周囲の家族連れを羨ましそうに見ながら……。随分安上がりな幸せになる方法だと思うが、きっと愛は金じゃ買えない。金さえあれば、大抵のことは何でも叶うと人は言うけれど、金で買ったパートナーにはおそらく愛なんて存在しない。自分が容姿にも恵まれず、才能も金もないとして、「それでもいい、あなたの優しさが大好きだから一緒にいたい」という彼女ができたとしよう。そんな彼女に巡り会えるのは至難の業かもしれないが、巡り会えたとしたら、きっと、そんじょそこらの簡単に彼女を作れる男よりも幸せに違いない。

 そんなことを考えていて、ふと、周りを見ると、さっきの年配の男性を迎えに来たのか、娘さんだと思われる犬を連れた若い女性が、彼と一緒に帰ろうとしていた。すると、向こうのほうから小さなボールがその女性を目がけて飛んできた。僕は思わず「危ない!」と叫んだ。女性は僕のその声に驚いたのか、こちらを振り向いたが、ボールには気付かず、だが幸いボールも彼女に当たることはなく近くに落ちて転がった。その女性に当たらなかったのは良かったのだが、彼女が連れていた犬がボールに反応し、転がったボールを追いかけようと走り出した。急な出来事だったので、犬に不意に引っ張られて、その女性はリードを離してしまった。女性は「ペレ! 待ちなさい!」と叫んだ。

 僕はその瞬間に遠くのほうで、「ペレ!」と叫ぶ女の子の声を聞いた。その女性の声ではない。もっと小さな女の子の声だった。周りを見渡してみたが、そんな女の子はいなかった。

 幻聴なのだろうか? 僕は急に眩暈がした。

「どうしたの?」

 目を閉じてしかめっ面をしている僕に、奈々子が訊ねた。

「いや、大丈夫。ちょっと空耳がしただけ」

「亮ちゃん、最近おかしいよ。この間、一緒にクッキーを食べていたときも、ずっと上の空だったし……」

「え?」

「話しかけても、ずっと蝋燭の炎を見つめてて、無言だった」

「そうだったっけ?」

「うん」

「あのときも、どこかおかしかったんじゃないの?」

「ううん」

「そう?」

「うん」

 奈々子は心配そうに僕の顔を見つめている。

「いや、ちょっと思い出したんだよ」

「何を?」

「断片的だから、何を?と訊かれても困るんだけど。でもなんだか思い出しているときは、幸せな気分なんだ」

「そうなの?」

「うん」

 奈々子は、僕のその言葉を聞いて笑顔になった。

 ふと気になって、携帯で時間を確かめたら、午後二時だった。

「そろそろ、帰ろうか?」

「うん」

 二人で歩きながら、この間、花屋で食べた緑色のゼリーのことを思い出していた。僕は、蝋燭の炎を見なくても、過去を思い出すようになったに違いない。きっと、緑色のゼリーも「ペレ!」と叫んだ女の子も蝋燭の炎も僕の過去に関わるものなんだろう。


第二十一章に続く

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