97.修学旅行の準備です!
三年生の行事と言えば、そう、修学旅行である!
それなのに私は、仲の良い女子とは同じクラスになれなかった。ちょっと不安だが、色々な人と仲良くなるにはいいのかもしれない。前向きに考えよう。
どうやら、三年時のクラス編成は八坂くん対応で練られてるらしい。私たちのクラスは、昨年大黒派に所属していた女子は一人もいない。あのような行為は容認しないという、学院の意思表明でもあると思う。私にしてみれば、味方側の女子が多いので気は楽だ。
その中に三峯くんがいたのは意外だった。選挙戦では、大黒さんと同じ内部生側立候補者だったのだが、大黒派閥に属さないと判断されるだけの立ち回りをしていたのだろう。なんというか、底知れない人間力だ。
逆に、明香ちゃんと詩歌ちゃんは大黒さんと同じクラスで、「ちゃんと見張ってるからね!」なんてやる気を出していた。……やっぱり怖い。
紫ちゃんは二階堂くんと同じクラスで愛を育むのだろう。あのラブラブっぷりを見られないのは少し寂しい。
芙蓉学年中等部の修学旅行先はシンガポールだ。治安が良く英語が通じるからだろう。英語の練習も兼ねているのだ。
シンガポールでは、団体行動と班別グループ行動の時間がある。
グループ行動の時間では、自分たちで見学先を自由に選び、公共機関を乗り継いで見学をする。見学先は自由だが、事前に日程表を提出し、先生の許可をもらわないといけないのだ。
今はそのグループ行動の打ち合わせの時間だ。
「姫奈ちゃんはどこに行きたい?」
キュルンとした瞳で私の顔を覗き込むのは、八坂晏司である。隣の机で頬づえをついて、そこから上目遣いで私を伺う。モデルスマイルの無駄使いやめて欲しい。
「ええっと、私シンガポールに行ったことがなくて……美味しいもの食べたいわ」
「うんうん」
何が嬉しいのか八坂くんは始終ごきげんである。
八坂くんは私のグループのリーダーだ。
修学旅行の班別行動のグループには、芙蓉会のメンバーがリーダーとして一人つく。彼が私のグループのリーダーだ。グループの割り振りは学校が決めた。
男子は八坂くんと三峯くんを含む四名、女子は私を含む三名の七人グループだ。女子の理子さんと芽衣さんは内部生だ。理子さんはオシャレで快活、芽衣さんは落ち着きがあり大人っぽい。そんな二人は彼氏持ちのリア充なので、八坂くんに対して付きまとったりしないから選ばれたのだと思う。
三峯くんが中心となりグループ活動を練る。
実は通常のクラス運営でも、八坂くんの副委員長は名前ばかりで、実質は三峯くんが副委員長を務めている。三峯くんはそれで不満はないらしい。私には理解できないが、何か利益があるのだろう。
シンガポールの資料を広げて、皆で頭を突き合わせる。
「アラブストリートに行きたいわ」
「『ラクサ』が食べてみたいわ!」
「マーライオンは研修で行くのよね?」
その間、八坂くんは何も言わず、ただただニコニコするだけだ。
「あの、八坂くんは? 行きたいところないんですか?」
思わず私が問いかければ、八坂くんは首をかしげてニッコリと笑った。柔らかいミルクティー色の髪がサラリと揺れる。
「うん。何回か行ってるし。姫奈ちゃんと一緒だったらどこでも嬉しい」
私は思わず顔をひきつらせた。なんてことをサラッと言うのだ、この人は。意味不明すぎる。
「そ、そうですか。三峯くんは?」
私は慌てて目をそらして話題を変えるのが精いっぱいだ。
「俺も白山さんと一緒だったらどこでもいいかな?」
三峯くんはイタズラっぽく笑った。
「ちょっと、二人して揶揄わないでください!」
あからさまな意地悪に顔を赤くして憤慨したが、二人はヘラヘラ笑っているばかりだ。
とりあえず、リーダーの癖に話にならない八坂くんは放っておいて、みんなで話し合って候補をあげる。最終的には三峯くんが電車の乗り換えを調べてくれて、ルートを決定し提出することができた。
明日は綱と電車練習だ。修学旅行前に電車の乗り方を勉強したいとお願いしたのだ。
紫ちゃんでさえ乗ったことのあるという電車。私だけ経験がなくてみんなの足を引っ張るのはご免だ。絶対罰が当たる。主に神様の。海外で罰に遭遇とか嫌すぎるので、国内にいるうちにできることは全部やる、そう決めたのだ。
「お嬢様、改札口の通り方は知っていますか?」
「バカにしないで! テレビで見て知ってるわ!」
私はカードを綱に見せた。
「これをピッとしてパッと開いたらスッとくぐればいいんでしょう? 簡単よ!」
「そのカードは?」
「お父様の家族用ブラックカードよ! 文句ないでしょう!」
フンスと鼻息荒く胸を張れば、綱は大きくため息をついた。
「なによ」
「ダメです」
「なにが」
「ダメダメです」
「ブラックじゃダメなの? プラチナ? チタンはさすがに家族用はないわよ?」
「違います。交通機関には交通機関用のカードがあるんです」
「へ?」
「でも、チケットの買い方から練習しないと意味がないので、今回は切符を買います」
「!」
切符を買うと聞いて飛び跳ねる。一度やってみたかったのだ。
「ところで行きたいところはどこですか?」
「あのね、いっぱいあるのよ? 虹色の綿菓子のお店でしょ? 苺のシフォンのお店と、発酵バターのお店。それとね、有名な雑貨屋さん行ってみたいわ。あと、市場! 築地? 豊洲? アメ横も!」
買い物は百貨店が常で、市場のようなものを歩いてふらりと立ち寄ることはあまりしたことがない。夏休みの避暑地くらいだ。観光化された避暑地は綺麗に整備されていて、異国情緒はあるけれど日本的な猥雑さはない。私は普通の日本の街角で、目的もなく買い食いなどしてみたいと思っていた。
前世ではみじんも思ったことなどなかったのに不思議なことだ。
「全部は行けませんね。数カ所に絞りましょう」
「なんで? 全部東京よ?」
「東京って言っても……。電車で行くには方向がバラバラなんですよ」
「だって、電車で行くなら早いでしょ?」
「電車の時速は早いです。でも、駅から歩きますし、乗り換え時間もありますから」
「そうなの」
「意外に東京と言っても広いんですよ」
「知らなかったわ。だっていつも気がつけばお店の前に着いてるんだもの」
甘やかされて育った私は、いつだって車送迎ドアからドアで一直線だった。だから、行き先がどこにあるだとか、どれくらい離れてるだとか、考えたことはなかったのだ。
前世でも電車に乗る機会があったのは学院のイベントくらいのものだ。そういう時は、乗らないで済むように避けて来た。
電車に乗るなんて、お嬢様のすることではない。車で乗り付けられないところなんて、お嬢様がいくべきではない。そうやって見下してきたからだ。
しかし、これからはそれでは駄目なのだ。没落したら車などない。
自分で行き先を調べて、行き方を考えなければいけなくなる。そんな当たり前のことすら知らなくて、何もかも人任せ、依存して考えなかった。
「では一番行ってみたいところはどこです?」
綱はテンパリング中のチョコレートの様にトロリとした甘い目で、柔らかく微笑んだ。







