94.ひーちゃん
今日は芙蓉大学病院の特別室に来ている。氷川くんのおばあ様のお見舞いである。白川関連のカフェで最近出している豆乳プリンが手土産だ。
「豆乳に黒蜜が合うわねぇ」
「のど越しも良くてペロリと食べてしまいますね」
二人でまったりと午後のひと時を過ごす。
「そう言えば、氷川くんの生徒会長就任おめでとうございます」
「ありがとう。姫奈子さんもお手伝いしてくれたと聞きましたよ」
「私はお友達のお手伝いをしたくらいで……」
「あらそうなの。和親は詳しい話をしないから。男の子ってサッパリしているから、嫌ね。どれだけ忙しいのだか」
おばあ様が呆れたようにため息をついた。
私は慌てて氷川くんをフォローする。
「氷川くんは早速生徒会として奔走しています。だから忙しいんだと思います」
「何をしてるのかしら?」
「私が聞いているのは、図書室のカフェスペースの充実とチュートリアルルームへの飲食持ち込み許可です。持ち込み許可の方はもう許可が下りたみたいですよ」
「あら、まぁ? 和親が考えることではなさそうねぇ」
確かに、氷川くんが食べ物に執着する姿は想像できなくて少しおかしかった。
「それで、今年の執行部は誰なのかしら?」
「女子の副会長は葛城明香さん」
「ええ、葛城教授の娘さんね」
「男子は生駒綱守くん」
「生駒……? 聞き慣れないわね?」
「三年生の特待生です。外部生ながら芙蓉会で、今年はベストにまで選ばれました」
「そう、それはすごいわね。努力家なのかしら」
「努力家です! すごいんです! 生徒会への陳情も綱がまとめているみたいです」
私は綱を褒められて気を良くする。綱は、外部生でもあることから、他の執行部より話しやすいと思われているのか、気軽にいろいろな相談を受けているのだ。
確かに氷川くんに相談はできないけれど、綱にならできる。
「会計は?」
「会計は桝淑子さんです」
「頭取の娘さん。大人しい子だった気がするけど大丈夫かしら」
私はあいまいに笑った。
「書記は浅間詩歌ちゃん」
「浅間……」
おばあ様は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「浅間の孫がベストだなんて、芙蓉も地に落ちたこと」
「そんなことありません!」
思わず否定する。
「うーちゃんはちゃんとしたお嬢様です。それに今年のベストはみんな素敵です!」
いくら、おばあ様でも私の友達をバカにするのは腹が立つ。
私は婚約者でもないので、いい子ぶる必要はない。逆にあまり気にいられても困るので、言いたいことは言ってきた。そんなわけで、おばあ様とは明け透けに話をする仲になっていた。
「……姫奈子さんは浅間の孫と知り合いなの?」
「大事な親友です」
キッパリと答える。相手が誰であれ、友達を偽るなんてしたくない。
「学生時代の友情など一時の夢よ。きちんとした方とお付き合いなさい」
おばあ様は厳しい顔で私を諭した。
「きちんとって何ですか。自分の友達は自分で決めます」
不機嫌さを顕わに答えれば、おばあ様は大きくため息をついた。
「心配して言っているのよ。私も若い頃はそんな過ちを犯しました。だから言うの」
「おばあ様も?」
「ええ……。学生時代に親友だと信じていた女はいました。でも、もう友ではありません。死んでも友とは思いません」
おばあ様は静かに俯いて、握りしめた拳を見つめた。
ドア越しに廊下を歩くスリッパの音が響くほどの静けさ。
「もしかして、うーちゃんのおばあ様?」
私が問えば、おばあ様は小さく頷いた。
「どうして仲違いされたか聞いても良いですか?」
「姫奈子さんにはお話ししましょう。聞けばきっとわかってくれるはずよ」
おばあ様はお茶に口をつけてから、語りだした。
それはもう、滔々と! 滔々と、二人の出会いから決別までの歴史を某有名脚本家の長台詞もここまではないというほどの長さで語った。長かった。
これだけ長々と語れることがあるのだ。執着は捨てきれていないのだろう。可愛さ余って憎さ百倍というものだ。
「……水谷さんの大きな谷町がいなくなったのをきっかけに、谷町界隈に先行販売の話が回るようになったの。私が十枚チケットを押さえれば、浅間も十枚チケットを押さえる。初めは二人で協力してね、水谷さんのチケットを買っていたのよ。だけどだんだん、私が百枚買えば浅間も百枚となって」
聞いただけで青ざめる。無茶苦茶な谷町だ。
「そんなにチケットを抑えてどうするんです?」
「社員に配ったわ。有休もつけたのよ?」
「……それで人は入ったんですか?」
会社役員から押し付けられたコンサートチケットでどれだけ人は入るのだろうか。
おばあ様は頭を緩く振った。
「転売やドタキャンが相次いでね……水谷さんにご迷惑をおかけしたわ」
それはそうなると思う。お金持ちのマウントは規模がえげつない。誰も幸せになれない。
「前の方の上席がガラガラの会場で、気丈に歌う水谷さんを見て、私は血の気が引いたわ。少し離れた席に浅間がいてね、目が合って……。もう二度と谷町なんて名乗れないと思ったわ。こんなことになったのも、全部浅間のせいよ」
いや、それは八つ当たりというか、同罪だろう。水谷千代子が不憫すぎる。入れなかったファンに刺されても仕方がない案件である。
「それ以来おばあ様は浅間様とお会いしていないんですね」
「当たり前でしょう!!」
興奮冷めやらぬというか、怒りに任せてというか、淑女のかけらもないおばあ様の声色に、思わず苦笑いする。
「それにしても水谷千代子さんのコンサートが原因だったなんて……」
「『しょうちゃん』がいた頃は良かったわ。あの頃は『しょうちゃん』が谷町を仕切ってらしたから、こんなことは起こらなかったのよ」
「しょうちゃん?」
「ええ、若い方は知らないでしょうけれど、水谷さんにはとても粋な谷町が後ろにいたのよ。どんなお仕事をされているとか、肩書は一切持ち込まれたことはなくて……集いの席でもただ穏やかに笑われているような方。ただ絶対的な力を持ってらしたから、私たちも引いていたのだけれど、あの方が亡くなって次の『しょうちゃん』には私が成るんだと無茶をしてしまったのよね」
おばあ様は深く深くため息をついた。
「……あの、しょうちゃんて小さな子供を連れていた……?」
「あら、姫奈子ちゃん知ってるの? 知ってるかもしれないわね。ファンの中では伝説よ。しょうちゃんと、そのお孫さんのひーちゃん」
私はおばあ様から『ひーちゃん』の呼び名が発せられて、懐かしさで顔が赤くなる。
「あの、しょうちゃんて、多分、私の祖父です」
モジモジとおばあ様を見れば、おばあ様は私を二度見した。そしてさらに頭の天辺からつま先までを舐めるように見る。
「ひーちゃん……なの?」
「はい……あの頃は『ひー』と呼ばれていました」
「あ、あの、舌足らずのひーちゃん? 自分のことを自分で『ひー』って言ってたひーちゃん? いっつも水谷さんとお揃いの生地のワンピースを着て楽屋にいたひーちゃん?」
おばあ様に子供の頃の話をされて、顔がユデダコのようになる。
おじい様はいつも、チョコちゃんに仕立てた衣装と同じ生地でワンピースを仕立ててくれていたのだ。大人の着物地は、子供に仕立てると柄は大きく感じられて、それは華やかなワンピースになったものだった。しかもステージ用だ。どれだけ派手だっただろう。幼児だからこそ許されたのだろう。
「は、はい……」
「まぁまぁまぁまぁ、そうなの……。そう、しょうちゃんは白山さんだったの」
おばあ様は私の手を両手で包んだ。
「……そう。ひーちゃんのお名前は姫奈子さんだったのね……」
おばあ様は潤んだ瞳で私を見つめた。
「おばあ様……、絶対、絶対チョコちゃんのコンサートへ行きましょうね。私チケット取りますから!」
「ええ」
「それで、浅間様と仲直りしましょう」
「それは嫌よ」
おばあ様は、拗ねた子供のように顔をそむけた。
「チョコちゃんのことで喧嘩だなんて、おじい様が悲しみます」
「……」
「チョコちゃんだって、悲しみます」
私はおばあ様をじっと見つめた。
これを機会に浅間家と氷川家の仲が修復できたら、氷川くんも堂々と詩歌ちゃんにアプローチできるだろう。
そうして、おばあ様の存命中に、本当の婚約者を見せて上げられたら、おばあ様にとっても、氷川くんにとっても幸せなことに違いない。
一歩も引かない意志で見つめ続ければ、おばあ様は根負けしたかのように私を見て笑った。
「仕方がないわね」
「おばあ様!」
「リハビリ、頑張らなくちゃね」
「ええ! ええ! そうしましょう!」







