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【5巻電子書籍&POD化】神様のドS!!~試練だらけのやり直しライフは今日もお嬢様に手厳しい~  作者: 藍上イオタ@完全無欠の悪女です2月下旬発売
中等部二年

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89.中等部二年 バレンタインデー 3


 それからは長い長い一日だった。休み時間のたびに、綱に桝さんからの伝言を伝えようとしては、伝えられないのを繰り返した。

 呼び出しがあったからだとか、移動教室だったから、だとか、周りに人がいるからだとか、言い訳を積み重ねて、気がつけばホームルームも終わりを告げる。


 最後のチャンスになってしまった。


 教室から出て行く桝さんは、私の顔を一瞬だけ見つめた。

 私はその意図を正確に読み取って、ギュッと拳を握る。そうだ。伝えなきゃいけない。


「……綱」


 喉がカラカラだ。


「どうしました?」


 不思議そうに私を見つめる綱の顔はいつものものだ。


「あのね、」


 口ごもる。


 どうして伝えたくないんだろう。綱の下駄箱に詰まったチョコレートは、素直に喜べていたのに。休み時間に呼び出される綱を、嫌だと思ったりしなかった。むしろ誇らしいとすら思っていたのに。


 それなのに。どうして、桝さんは、桝さんの言葉は嫌なんだろう。


 グチャグチャした自分の心が汚くて嫌いだ。桝さんをすごいと思う一方で、忌々しいと思ってしまう。どうしてそうなのかわからない。綱にとっては良いことだと思うのに、嫌だと思う。

 することはわかってる。言わなきゃいけないとわかってる。でもしたくない。伝えないという選択肢はないのに。


 なのに。


「……桝さんが、放課後、……いつものところに来て欲しい……って」


 俯いてようやく口にして、顔があげられないのはなぜなんだろう。たったこれだけ、ただの伝言。それ以上でも何でもないのに。


「そうですか」


 綱の声はいつも通りだ。


「わかりました」


 答えを聞いてとっさに顔を上げた。綱は無表情だった。


 嘘だと思った。なぜだか私は断ると思ったのだ。理由もなく、断ると思ってた。

 でも、綱は断らなかった。


 胸の奥に凝り固まっていた黒い鉛は、綱の一言でスッパリと割れた。カラリと音を立てて転がる。何かが終わったと、そう思った。


「私、先に帰っているわね」


 こんな気持ちで待たされるなんて嫌だ。


「今年は待っていてくれないんですか?」


 綱はジッと私を見た。あの真っ黒な瞳だ。柔らかく円やかなオペラケーキのような黒。泣きたくなって綱を見返す。


 だって、どうしたらいいのかわからない。


「だって、」

「だって?」


 綱が聞き返す。


 だって惨めじゃないか。

 惨め? 何が惨めなんだろう。去年だって同じように待っていた。今年だって同じはずなのに。どうして惨めだと思うんだろう。


 違う、そうじゃない。そうじゃなくて。


「だって、私がいたらゆっくりできないんじゃない?」


 そうだ。去年だって走って帰ってきてくれた。だから。

 私が残っていると思えば、桝さんと綱だけが知っているいつもの場所で、バレンタインの特別な時間を過ごすことができない。


 そう思ったら、自分がすごくお邪魔虫のように思えた。


「ゆっくりしなくて済む理由が欲しいんですよ」


 綱が言う。


「どういうこと?」

「姫奈を待たせていると言って帰るんです」


 綱は笑った。


 胸に落ちた鉛の塊がユルユルと融けてゆく。綱の一言で解けてゆく。


「綱まで私を弾避けに使うの?」


 思わず皮肉が口から飛び出して、それが自分でも可笑しかった。


「私の場合は事実です」

「そうね」

「だから、待っていてください。すぐに戻ります」

「わかったわ」

「フラフラしないでくださいよ」

「わかったわよ」

「教室にいてくださいね?」

「わかってるわよ! さっさと行きなさいよ!」


 もう乱暴に追い立てるくらいの元気が戻って来た。

 綱は後ろ髪をひかれるようにして、教室の出入り口でもう一度だけ振り返ったから、シッシと追い払ってみる。

 綱は肩をすくめて教室を出て行った。


 まだザワめきの残る教室。氷川くんはまた女子に呼び出されている。私は大人しく自分の席に座って、その様子を眺めていた。


「バナナ姫ー!」


 クラスの男子に声をかけられムッとする。


 ああん? という勢いで睨めばヘラヘラと笑われた。


「ブロンズが来てるぞー」


 呼ばれて廊下に出てみれば、ブロンズカラーの女の子たちが五人一緒になってやってきていた。


「あの! 姫奈子先輩! 受け取ってください!」


 一斉に差し出された小袋のお菓子たちが、パステルカラーに華やいでいる。


「まぁ! ありがとう! 嬉しいわ!」


 先輩風を吹かせて微笑んで受け取れば、キャーと歓声を上げて駆けて行った。うん、今年の一年生は元気だな。


「人気だな」


 氷川くんに笑われる。


「氷川くんほどではないですけど」


 答えれば、氷川くんは苦笑いをした。


「白山さんはあげにいかないのか?」

「もうお友達にはあげましたよ?」

「そうではなく……」


 氷川くんが目をそらして言いよどむ。この人が言いよどむ時はろくなことがない。まぁ、きっぱり命じる時にもろくなことはないが。


 そうか。


「もしかして、氷川くんも友チョコ欲しかったんですか?」

「ちが、そうではない!」

「ですよね。それだけたくさんあればもう十分ですものね」

「……いや、そうでもないけれど……」

「欲張りですね?」

「欲張りか……」

「欲張りです」


 きっぱりと言い切れば、氷川くんは噴き出した。


「俺は案外欲張りなのかもしれないな」


 愉快そうに笑う氷川くんを私は不思議に思って見た。



 廊下の向こうから綱が走ってくるのが見える。氷川くんに別れを告げて、綱のカバンを取りに行く。

 今年もまた走らせてしまった。走らなくてもいいよと、そう思うのに、今年は走って帰ってくるのがなぜだかとても嬉しかった。


「お待たせしました」

「大丈夫よ。待っている間に私も貰ったの」


 さっきの女の子たちから貰った友チョコを見せる。


 綱はそれを見て幸せそうに笑う。

 それなのに、綱の持っている桝さんのチョコレートを見て、素直に笑えない自分が汚くて悲しかった。


 桝さんのチョコレートは高級ブランドのものだった。一見して本命だとわかる紙袋。小さくなんてないサイズだ。


 私が綱に用意したのは、不格好な手作り塩味クラッカー。頑張ってラッピングはしたけれど、どう考えても見劣りする。今年は綱に渡すのを止めてしまおう。本命だってもらったことだし、迷惑に違いない。


 思わず紙袋をじっと見つめていれば、綱は袋を小さく上げて笑った。


「当選祝いだそうです」


 綱はそう言ったけれど、そうではないのだということぐらい、私にもわかった。聡い綱のことだ。きっと綱だってわかってる。


 だけど私は冷やかすことすらできずに、曖昧に笑った。


「姫奈は何を作ってくれたんです?」

「え?」

「シェフに何か教わっていたでしょう?」


 貰うことを当然のように聞いてくる優しい綱の瞳は、柔らかなブラックチョコレートだ。


「今年はクラッカーにしたの」

「クラッカー?」

「甘いものばかりだから、しょっぱいのも良いかと思って。チーズを挟んで」

「いいですね。チーズは大好きです」


 知ってるわ。綱が好きな物なんてなんだって知ってるわ。


 胸に何かがこみあげてきて、鼻の奥が痛くなる。思わず鼻をすすりあげた。


「寒いですね」


 綱が笑う。


「寒いわね」


 私も笑う。


「早く帰りましょう」


 差し出された綱の手を、私は躊躇いながら取った。温かい綱の手に包まれて、自分の手がどれだけ冷たくなっていたかを自覚する。

 氷のように冷え切った手だというのに、綱は不平の一つも言わない。


「優しいのね」


 思わずこぼせば、聞き取れなかったのか、綱は不思議そうに首を傾げた。


「何ですか?」

「寒いって言ったの!」

「だから早く行きましょう」


 グイと手を引かれて、胸までジンワリと温かくなった。



 


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