79.天文部の観測会
冬休みの初日。今日は天文部の観測会だ。学院の屋上を特別に借りて、夕方から観測会を始めるらしい。
放課後の屋上へ望遠鏡を持って皆で上る。それだけで特別感があってワクワクが止まらない。
日がまだ明るいうちに、望遠鏡を組み立て使い方を教わる。綱は顧問の先生や部長たちに混じって、部室にあった大きな望遠鏡を組み立てている。
紫ちゃんは慣れた手つきで自分の望遠鏡を扱うから、思わず尊敬のまなざしで見つめれば、バチリと目が合う。すると紫ちゃんは照れたように笑った。くそ、可愛いな。
夕暮れを待つ間に、今日の観測の説明を受ける。まずは国際宇宙ステーション(ISS)の観測から始まって、月と星団の観測だ。星座盤の見方を教わってから、星団の位置を聞く。
暮れなずむ空に、一番星が輝く。宵の明星は大抵金星なんだと、天文部の子が教えてくれた。
「時刻は18時17分。方角は222。南西。仰角10。東北東の空へ消える。あと、1分だ」
顧問の先生の声に、皆で南西のフェンスへ駆け寄る。夕暮れが深まって来た屋上で、空を見上げた。
「あと10秒」
部長が言えば、自然に声を合わせたカウントダウンが始まる。
「0」
キラリ、南西の空に小さな粒が光った。他の星とは違った硬質な光。流れるように弧を描いて空を渡っていく。
息を飲む。静かな屋上にドキドキと胸の音だけが響く。
人が作った天を巡る舟。あっという間の五分間に、大きくため息をついた。
「綺麗……」
「そうですね」
思わず呟けば、綱がしみじみと答えた。
「国際宇宙ステーションには、実験施設『きぼう』があるのよ」
紫ちゃんが説明してくれる。
「空に希望があるなんて素敵ね」
答えれば、綱と紫ちゃんがクスリと笑った。
「そろそろ月の観測を始めるぞー。自分の望遠鏡は合わせてあるか? 無い者はこちらに集まれ」
先生の声に呼ばれて、望遠鏡へ並ぶ。一年生から順番に覗いていく。三年生にもなれば、皆自分の望遠鏡を持ち込んでいるから、下級生優先なのだ。
しかし今日の月は半月だ。だから少しがっかりだ。
「どうせなら満月の日が良かったわ」
「あら、姫奈ちゃん、満月の月は眩しすぎて観測しにくいのよ」
「そうなの?」
「欠けていたほうがクレーターが立体的に見えるの」
そう言って、紫ちゃんは自分の望遠鏡を薦めてくれた。私は言われるがままにそれを覗き込む。
確かにクッキリとクレーターが際立って見えるのは、影のおかげかもしれなかった。
「完璧だと眩しすぎて直視できないってこういうことかしら?」
「少しくらい欠けている方が魅力的なのかもしれませんね」
綱の言葉に、まるで人間みたいだな、なんて思う。
クレーターの話から、月の裏側の話まで、天文部の部員たちは興奮気味に話している。月周回衛星の話から宇宙開発の話まで、広がっていく話題はまるで今日の夜空の星のようだ。
東京の明るい空で見える星は少ないけれど、その小さな点が結ばれて、たくさんの話が広がっていく。
「さて、そろそろ丸ノ内線 すばる駅にでも行きましょうか」
天文部員の嬉々とした声に、皆がクスクスと笑う。紫ちゃんもクスクス笑う。意味の解らなかった私たちは紫ちゃんを見た。
「ああ、意味がわからないですよね。星団には『M』がつくことが多いんです。丸ノ内線の駅にもMがついているから……それとかけているんだって、鉄道好きな子が言っていました」
「そうなのね。電車、乗ったことがないから。ゆかちゃんは?」
「私はあります」
「え!? お嬢様なのに?」
「桜庭では乗らないのね」
紫ちゃんは笑った。
「まるで丸ノ内線が銀河鉄道みたいに思えます」
綱が言えば、天文部の男の子が嬉しそうに笑う。
「生駒、わかってくれるか!」
「私は電車に乗ることがあるので」
「そうか! そうか!」
「夜の電車を外から見ると銀河鉄道を走っていくみたいですよね」
「だよなー」
何やら盛り上がっているようで良かった。
「私も電車に乗ってみたいわ」
思わず呟く。
「今度一緒に乗りましょうか?」
綱がニッコリと笑う。
「ええ!」
思わず全開笑顔になって頷けば、ヒューヒューと冷やかされた。綱はそれを受けて困ったように肩をすくめる。
「ちょっとやめてよ!」
憤慨すれば皆にニヤニヤ笑われた。
そんなんじゃないんだからね!
「まあまあまあ。それはともかく、芙蓉寮へ行く途中に銀河鉄道を見られる公園があるんだって」
天文部の男の子が話す。
「来年の合宿は電車でみんなでそこへ行こう」
いいね、なんてみんなでワクワクと盛り上がる。
「おーい、M45 プレアデス星団に合わせたぞー」
先生が声をかける。
「昴のことよ」
紫ちゃんが教えてくれた。
「星はすばる ひこぼし ゆうづつ よばい星少しをかし、ね」
思わず口ずさむ。清少納言だったっけ。桜庭で、嫌と言うほど暗唱させられた。その時は意味がわからずつまらなかったけれど、こうやって星を見ながらだと面白い。千年以上前から同じものを見て、素敵だと思う心が不思議だ。
「彦星はわかるけど、他のものがわからないわ」
ぼやけば紫ちゃんが笑う。
「ゆうづつは金星ね。よばい星は流れ星よ」
「金星は今日見たわね。あとは流れ星を見てみたいわ」
「そうね。夏の合宿で見れたらいいわね」
望遠鏡の中に輝く星団がみえる。ひと際大きな六つの星の間には、白く輝く光のベールが漂っている。
「目では見えないの?」
「あの辺のはずです」
綱が指し示してくれる先。私には良くわからない。フェンスにグッと体を寄せて、つま先立ちをして空を見上げる。
「姫奈、危ないですよ」
「大丈夫よ」
言った先からグラつく私の腰に、綱が腕を回してその胸に引き寄せた。
「ほら! あぶない! だから目が離せないんだ」
ため息交じりの声が、背中に当たった綱の胸から響いてくる。
離さなければいいのにと、思った自分に驚いた。
だって、今まで綱なんて、口うるさくて意地悪で、そんなふうに思っていたのに。
ドキドキとしているのは、落ちそうでビックリしたからだ。背中の体温が心地よいのは、きっと綱が温かいから。耳まで真っ赤になって痛くなっているのは、きっと冬の空だから。
心がウキウキと沸き立つ。
私はその心に任せて、フェンスに足をかけ少しだけ登る。ガシャンとフェンスが悲鳴を上げる。
でも大丈夫。背中を綱が守っていてくれるから。
「だから! 危ないです!」
「大丈夫よ」
「姫奈の大丈夫は当てになりません」
綱の言葉をいつものように遮って、ひと際黄色く輝く星を指さす。
「ねえ! あの星が昴?」
「アレはカペラです」
「カペラ?」
「昴の相手星とも言いますね」
「昴の相手星」
「その少し下に、青白く固まっている星が昴だそうです」
「やっぱり良く見えないわ」
もう一段とフェンスに身を乗り出せば、ギュッと綱が腰を抱く。力強い腕が温かくて安心する。
「姫奈!」
「綱がいてくれるでしょう?」
綱は私の声を聴いて呆れたように笑った。
「あなたって人は……」
「なによ」
「仕方のない人ですね」
腰に回された腕が緩く解かれて、両手で私の脇を力強く支えた。
綱がいれば大丈夫。こんなに暗い夜だって、綱がいれば私は平気だ。







