60.葵先輩の杞憂
私は今、淡島先輩のクラスの練習風景をコソコソと隠れて見学している。
なぜそんなことをしているかと言えば、氷川くんからの密命(?)なのである。他クラスのウォーウォーボールの状況について、様子をうかがってきて欲しいと頼まれたのだ。
要するにスパイ。ちなみに私だけではない。女子の方が世間話が好きだから、数人のおしゃべりな女子が選ばれてスパイ活動をしている。スパイ活動って言っても、進み具合を聞くぐらいなんだけど。
そう、私はおしゃべりな女子に認定されているということです。
私は淡島先輩と知り合いなので、先輩のクラスの担当にさせられた。あと、明香ちゃんのクラスと詩歌ちゃんのクラスもスパイする。
氷川くん……マジ、本気。
こういう大人げない所も知らなかった。いや、子供なんだから当たり前なのかもしれない。前世の私は結構フィルターかけて見ていたのだと気が付いた。
体育着姿で、校庭の植え込みの陰に腰かけてボンヤリと三年生の練習風景を見る。同級生同士なら気軽にクラスに行くのだが、さすがに上級生のクラスのある階へ出かけて行って、話を聞く勇気はないからだ。
ちなみに芙蓉学院中等部は、三階から下に向かって、一年、二年、三年と学年別に教室のある階がわかれているのだ。
たくさんのクラスが、大縄跳びやムカデ競争の練習をしている。乾燥した校庭の砂が舞い上がって、少し空気が濁って見えた。
淡島先輩のクラスは丁度ウォーウォーボールの練習をしていた。中に淡島先輩がいるのか良くわからずに、思わず首を伸ばしてジッと見る。
ここでこうやって覗き見ながら、淡島先輩の休み時間を待っているのだ。何気ないふりをして、現在の進行状況を聞き出したい。
「何してるの」
頭の上から降ってくる硬質な声に驚いて顔を揚げれば、声の主にさらに驚く。
慌てて起立して思わず直立になる。
「あ、あおっ…、沼田……先輩」
思わず名前で呼びそうになり、慌てて苗字に呼び変えた。
「何をしているか聞いているの」
不機嫌そうに眉をしかめる葵先輩に、さらに緊張して体が強張る。不機嫌でも綺麗だ。
「あ、あの、練習をみへっ、……見てました」
しかも噛んだ。最悪だ。
「三年生の? 貴女……外部生よね」
冷たい声に凍えそうになる。
「はい。二年の白山姫奈子です」
直立から直角の礼をする。まるでエレガントではない。
「知ってるわ」
突き放すような答え方に、会話の糸口さえ見つからない。そもそも、なんで声をかけて来たのか。少なくとも、良い話だとは思えなかった。
帰りたい。今すぐ回れ右して帰りたい!!
「紫と仲良いそうね」
「は、はい! ゆかちゃんとは一年から同じクラスで!」
「ゆかちゃん……」
葵先輩が考え込むように呟いた。
うわ、いきなり馴れ馴れしかったかもしれない。でも、この緊張をはらんだ空気をどうにかしたかったから、妹さんと仲良しですよー警戒しないでくださいアピールしてみたけれど急ぎすぎた?
「……ふ…」
葵先輩が言いかけて止めた。思わず首を傾げたら、キュッと目を瞑ってから、意を決したように髪をかき上げる。長くストレートの黒髪が、パサリと翻って綺麗だった。
「風雅とはどんな関係?」
「淡島先輩ですか? 経済を教えてもらっています」
「経済?」
「はい。株を勉強したくて悩んでいたところ、株のゲームを教えていただきました。その、スマホのアプリなんですけど……」
以前、経済勉強会を図書館でしていた時に見咎められたことを思いだした。しっかり誤解を解かなければならない。別に親密なわけじゃないんだよ。アプリを教えてもらってただけだと知って欲しい。
本当はあの時、淡島先輩が追いかければ良かったのだ!
「そう。ふ、風雅のことをもしかして好きなのかしら?」
ツンと澄まして問うけれど、真っ白だった頬にうっすらと赤みがさしている。なんというか、わかりやすい。
完全に淡島先輩のことが好きだ。
「尊敬はしています」
「それだけ?」
「はい。それに淡島先輩にはもっと相応しい方がいらっしゃいますから」
葵先輩に勝てる女子なんかいるのだろうか。いや、いまい。
「相応しい方?」
スウっと目を細める葵先輩。なんか地雷踏んだ? 美人の怒った顔は怖い。
「どなたかしら?」
……。え、自覚ないのこの人。淡島先輩も無自覚っぽかったけど、マジで無自覚なのこの人たち? パッと見ツンツンだけど、仲良し幼馴染カップルでしょ?
「あ、あの、沼田先輩です」
恐る恐る答えた瞬間、葵先輩はボッと音がしそうなくらいに、顔を赤らめた。
ほら、やっぱりそうじゃん、めっちゃ好きじゃん!
「……そ、そう……。私、そう見えるかしら?」
「あの、そうにしか見えないと思います」
「た、たとえば、どこがそう見えるのかしら?」
「もしかしたらなんですけど、沼田先輩は栗がお好きではないですか?」
「ええ」
あの図書館の日、淡島先輩は言っていた。「葵も好きでしょ」と。焼き栗を当然のように剥いて手渡す仕草は手慣れていて、きっと誰かのために剥いてあげるのが習慣なのではないかと、あの後思ったのだ。
「淡島先輩は、沼田先輩のために栗を剥いたりされてらっしゃらないですか? とても慣れていたので」
そう問えば、葵先輩は真っ赤な顔を両手で覆ってしまった。デレた? デレたの?
「シロヤマさん?」
肩を叩かれて振り向けば、眼鏡の奥が光る淡島先輩である。声がいつもより低い。優しそうな作り笑顔すらしていない。こんな真剣に怒ってるところは、前世も含めて初めて見る。
ひぃぃぃ! コワイ。
「葵、泣かせてる?」
「違います! 誤解です! ちょっとお話してただけで!!」
冤罪だ~!!
「誤解? だって葵が」
「風雅、違うの! 誤解よ! 私、泣いてなんかないわ!」
葵先輩が慌てて顔を上げる。
淡島先輩は、真っ赤な顔の葵先輩を見ていまいち納得できないようだった。私のことを怪訝に見つめる。
「それにしたって、葵をこんなに真っ赤にさせる話って、何の話?」
淡島先輩が、やさぁしくやさぁしく問いかけた。
ムキになって怒っちゃってさ、好きじゃん、大好きじゃん!
くう! なんだよ! なんで私が当たり前のように悪者認定なんだよ! 反撃してくれる!! この無自覚カップルどもめ!! 背中から突き落としてやるわ、恋の沼に!!
「淡島先輩が好きなのは、『沼田先輩が好き』だからじゃないかと……いう話を」
「そんな話、ボクしたことないよね? 葵が好きだなんてどうしてわかっ……」
言いかけた淡島先輩を、葵先輩が驚いて見る。
目の合った淡島先輩が顔を赤くして言葉を引っ込めた。
け、引っかかったな!
「あの、栗の話ですよ?」
私はキュルンと微笑んで見せた。
淡島先輩は口をパクパクさせている。嵌められたことに気が付いたのだろう。
淡島先輩は慌てて葵先輩を見た。二人はお互い見つめあってから、気まずそうに眼をそらした。
何やってるんだよー!! ここで告れよ! モダモダするな?
あ、私がいるからいけないのか。そろそろ退散してもいいかな?
「私そろそろ戻りますね」
にっこりと笑って暇を請う。淡島先輩は、私を見て唇を噛んだ。あれ嵌められて恥ずかしいの我慢してるやつだ、きっと。
ザマァ! ザマァ! やっと反撃してやった!!
「あの、姫奈子さん!」
葵先輩に呼び止められる。
「はい」
「貴女、私のこと名前で呼んでかまわなくてよ。紫とも仲良いみたいだし? 紛らわしいでしょう?」
葵先輩がデレた!!
「よろしくお願いします!! 葵先輩!」
私は九十度に腰を折ってお辞儀をし、二人の邪魔にならないように駆け出した。
……あ、スパイ活動、できなかった……。ゴメン、氷川くん。







