278.高等部三年 卒業式
今日は卒業式だ。今日は両親と一緒に車で登校する。私は高校の入学式の時に買ってもらったベストを着ていた。お母様は新しいものになさいと言ったけれど、私はこれが良かった。綱と色違いのベストだ。高等部に入ってからあまり身長の伸びていない私は、まだまだ着れる。あの頃は二人で並ぶことも両親は喜んでいてくれていた。
学院につけば、ピロティに張り出してある大学合格者の掲示板の周囲には三年生の生徒とともに父兄が集まっていた。私たちもその中に混ざる。やはり話題は綱だ。生駒と綱はまだ学院についていないようだった。きっと電車で来るのだろう。
「さすがですね、生駒くん」
話しかけてきたのは桝さんのお父様だ。桝さんの後ろには奥様らしい方が控えめに立っている。
「S大では留学生の面接はその国の卒業生が当たることになっていて、今年の面接官は私だったんです」
「そうでしたの! 桝頭取の出身校だとは存じておりましたが、面接がそういう仕組みだとは知りませんでしたわ」
お母様が驚いた様子で桝頭取を見る。周囲も桝頭取に注目している。
頭取はちょっと鼻が高そうにして笑い、桝さんは気まずそうに肩をすくめた。
綱は知っていたのだろうか。知っていたとしたらいつから? もう、中学二年の頃には知っていたのだろうか。
「素晴らしい面接でした。初めて会った時から生駒くんは見所があると思っていたのでね、私も自信をもって推薦しました。さすが白山さんがわが子のように育てたことはありますね」
「すべて綱守の努力が実を結んだのでしょう」
桝頭取の言葉にお父様は少し嬉しそうだ。
「生駒君の影響か、うちの淑子も京都を受験したいなんて言い出して、まぁ、受かるか受からないかわからないですがね。受かったら京都へやる約束で、心配だから家内が付いていくというんですよ。そうなったら私一人東京で単身赴任状態でね。今から少し寂しいなんて思うんですが、生駒くんはアメリカでしょう? 男の子だから心配はないと思いますが、お互いにさみしくなりますね」
卒業式ということもあるのか、気分が高揚している様子の桝頭取がそこまで話すと、周囲がザワリと色めきだった。
生駒と綱が現れたのだ。何の打ち合わせもしていなかったのに、綱も入学式に着たお父様からプレゼントされた同じ形のベストを着ていた。綱はさすがにプレゼントされたものは小さくなっていて、途中で同じものを買っていたのだ。綱曰くとてもお気に入りなのだそうだ。
偶然にもおそろいで、ぎゅっと胸が痛くなる。
「では、私はこれで」
そういうと、桝頭取は綱のほうへ向かっていく。
綱の周囲には人の輪ができつつあった。
私はそれを眩しく見つめる。ふと見ればお母様が頬を紅潮させ、呆けた様子で生駒と綱を見ている。
―― 外部からの特待生。ベスト。主席。数年ぶりのS大へ留学 ――
綱を評価する声を耳が拾う。聞けば聞くほど遠い人になってしまったと感じてしまう。
私のほうが釣り合わない。わかってる。わかってる。
卒業式が終わったら、もう週に一度も会えない。
日本にもいない。迂闊な連絡もできない。
アメリカに行けば、もっと素敵な女の子がきっとたくさんいる。
綱を信じていないわけじゃない。でも、愛の誓いは永遠じゃないと私は知っている。愛が終わってしまうのが片方のせいだけではないことも。
そばにいたって心変わりは止められないって、経験済みじゃない。私はできることを頑張るしかない。
キュッと唇を噛んで、顔をあげて笑う。
「私、教室に行くわ」
両親にそう言って足早にその場を離れた。
「ひなこ……」
背中にお母様の声が聞こえた気がしたけれど、私はあえて振り向かなかった。
卒業式が始まった。
卒業証書授与の代表者は綱だ。答辞は氷川くんである。
華やかな卒業式が順調に終わり、教室で担任の先生と別れを告げる。
生徒同士はプロムに出る人がほとんどで、同じ大学にそのまま行く人が多いからかあまり実感がわかないのだろう。しんみりというよりも、新しい世界に向けての明るさのほうが勝っている。
最後のホームルームを終えて校庭へでる。
校庭では下級生たちがプレゼントや花などをもって、なじみの先輩たちを待っていた。
智ちゃんが泣きながら駆け寄ってくる。
「おねえさまぁ! さみしいです! お花、もらってください!」
卒業生に一輪の花を贈るのは芙蓉学院の伝統なのだ。
智ちゃんは黄色いガーベラを用意してくれた。
「ありがとう! うれしいわ」
「それで、あの、ネクタイを頂けますか?」
「いいわよ、智ちゃんもネクタイ外して?
智ちゃんの声に笑って頷いて、シュルリとネクタイを外し、智ちゃんの首に着け直す。智ちゃんは顔を真っ赤にして、硬直している。とてもかわいい。
もしかして去年の私も葵先輩からはこう見えたのかななんて、懐かしく思ってしまう。
奥のほうでは彰仁が頭をかきながらあきれた様子で私を見ている。
「ネクタイは二階堂さんにとられちゃいましたね」
笑いながらやってきたのは修吾くんだ。修吾くんは赤い薔薇の花束を私に差し出した。花開いた薔薇が二輪と蕾が一輪で、慣例では一輪なのに少し珍しい。
「ご卒業、おめでとうございます」
「ありがとう、修吾くん」
花を受け取るときに、修吾くんの冷たい指先が少しだけ触れた。ビクリと肩を揺らせば、修吾くんが困ったように笑う。
「オレも思い出を一つ、もらってもいいですか?」
「あ、うん、クラスバッヂでもいい?」
「はい」
修吾くんの大きな手のひらに、クラスバッヂを載せた。一段と大きくなって厚くなった修吾くんの掌の上では、とても小さく見えてしまう。
「ローマ数字の二って、人が二人並んでるみたいですよね」
修吾くんはそう笑って、ギュッとクラスバッヂを握りしめ深く頭を下げた。
「ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします」
小さな男の子だったころを知っている。打ちひしがれた姿も、勝ち誇った姿も。その声にすべてが含まれている気がして、胸が苦しくなる。
「……うん、あの、これからも応援してるわ」
絞り出すように答えれば、修吾くんは顔をあげさわやかな笑顔で笑った。
修吾くんと入れ替わるように、次々にやってくる在校生たち。手にはなぜかみんな黄色い花を持っている。チューリップ、カーネーション、薔薇にアルストロメリア、ラナンキュラスなど、黄色い花がこんなにたくさんあるのだと、初めて知った。
「誰かと秘密の約束したの?」
不意に現れた詩歌ちゃんが赤い薔薇を見て笑う。黄色い花ばかりの中で、修吾くんの赤いバラはとても目立っていた。
「?」
「この赤い薔薇、『あのことは当分秘密』という意味よ」
詩歌ちゃんの言葉に、ボンと顔が赤くなる。
あの夏のことを言っているのだ。
慌てて修吾くんを目で追えば、私を見て悪戯が成功したかのように笑い、背を向ける。それが少し大人びていて寂しげだ。
「……うん、ちょっと、」
言葉を濁せば、もう詩歌ちゃんは次の下級生につかまっている。
私は持ちきれないほどの花束を抱え、両親の待つ校門へと向かう。校門の周辺では、卒業式の記念写真を撮るべく順番待ちをしている家族がたくさんいた。
その中に生駒と綱がいた。生駒と綱は、またもや人の輪に囲まれている。桝さんなどは一緒に写真を撮っている。
私はそれを目の端でとらえて、目をそらす。見たくない。隠れるようにため息をついた。
今までは、記念日と言えば必ず隣に綱がいた。別々だった小学校の卒業式ですら家の前で一緒に撮った。
でも、これからは無理なんだ……。卒業式も、入学式も、綱は隣にいない。
胸にぽっかりと穴が開いたような喪失感。未来の希望にキラキラと輝く周囲の笑顔と明るい声が、まるで他人事のようで早くここから逃げ出したい。
唇だけは何とか微笑みを維持して、早く順番が来ないかと校門をじっと見つめる。次はうちの順番だ。これが終わったら解放される。
「……写真くらい、いいんじゃないかしら」
お母様がボソリといった。
「いつも一緒に撮ってきたのに今日だけ撮らないなんて不自然だし、秘書と不仲だなんて変な噂が立つのはよくないわ」
お母様が小声で早口で言った。つま先を見つめるお母様は、いつもの自信満々な不敵な様子とはあまりに違って、私はあっけにとられた。
「姫奈子、綱守と生駒を呼んできなさい」
お父様が私を真っすぐ見て言った。
私はピョンと飛び跳ねる。
抱えた花束が落ちそうになって、慌てて花束を抱えなおして、お父様に押し付ける。
「いいわ! 呼んできてあげる!!」
そう言って綱のもとに駆け出した。
嬉しくて、嬉しくて、人込みをかき分けて綱の隣に無理やりに滑り込んだ。
「綱!!」
綱の制服の袖をギュッと摘まんだ。
綱がギョッとしたような顔をした。
「お嬢様!」
「ここは学校よ、綱!」
メッと綱を叱る。
そんな私を窘めようとする生駒の前に、ビッと手のひらを突き付ける。
「お父様が二人を呼んできなさいって! 一緒に写真を撮るって言ってるの!」
生駒の言葉をお父様の言葉で封じて、フフンと少しふんぞり返る。
綱が呆れたようにため息をついたけど、そんなのは無視をする。
「さぁ、行きましょ!」
生駒と綱の手を取って、二人を両親のもとに引っ張っていく。
綱も生駒も同じように困った顔をして、さすがに親子でそんな顔もよく似ている。
お父様の前に連れて行けば、生駒と綱が頭を下げようとして、それをお父様が制した。
「人目がある」
生駒がハッとしたように、表情を整えて、いつもの秘書の顔つきになる。
「さぁ、写真を撮りましょう」
お母様がそう言って校門の前に私と綱を並べた。私の隣にお母様。綱の隣に生駒。そして私たちの後ろにお父様。
お父様は私と綱の肩に手を載せた。
厚くて重い手のひらが私の肩を温める。同じ重さを綱も感じているのだろうか、いやにまじめな顔つきだ。
写真を撮り終われば当然のように生駒と綱は頭を下げて、私たちを先に見送った。
さみしい。
でも、一緒に写真を撮れただけ喜ぶべきだと思う。
お母様の顔を窺い見る。目を合わさないようにしているのか、お母様とは視線が合わない。
気まずい空気のまま車に乗り込む。車が滑るように動き出す。
「ねぇ、姫奈子、プロムは誰がエスコートしてくれるの?」
ぎこちなく笑うお母様。
「一人よ」
素っ気なく答える。
「え? お友達は?」
「皆さんパートナーがいらっしゃるわ」
「っ、え、でも、どなたかに誘われたりしたでしょう!?」
私は黙って笑うだけだ。誰に誘われたって関係ない。私のパートナーは綱だけだから。
「姫奈子、本当に一人で行くの? そんなの恥ずかしいでしょう? 彰仁を連れて行きなさい。お母様から彰仁にお願いしてあげるから」
「それだと前と何も変わらないわ。綱の代わりを彰仁がしてるだけよ、お母様」
頼る相手を変えただけでは、何も変わらない。いくら綱から離れても自立しているとは言えないのだ。
私がきっぱりと答えれば助手席のお父様が小さく笑った。
「姫奈子はお前によく似て頑固だ」
「っあなた!」
「姫奈子の好きにさせなさい」
お父様が静かに言って、お母様は「でも……」といったきり、黙ってうつむいた。静まり返る車内。私は窓の外に目を向ける。枝ばかりの街路樹が流れては消えていった。
11/22 283話にて、本編完結いたします。
今後の更新は20-22日の間に随時行います。
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