272.高等部三年 バレンタインデー 1
そして本日はバレンタインデーである。思った通り綱は来ない。それでも、綱の下駄箱には小さな箱が入っている。
きっと机にも詰められているだろう。帰りに回収して生駒経由で綱に届けてもらおう。さすがに次の登校日まで放置されるのはかわいそうだ。
自分宛てのチョコレートを回収し、綱宛てのチョコレートも回収する。
今日は八坂くんのチョコレート業務もあるので大忙しなのだ。
放課後は教室の前に定番の八坂くん受付を作り、ファンの子たちに並んでもらう。
今年は八坂くんの卒業もあって、みんな気合が入っている。おしゃれをしたガチ勢や、思い出作りのように友達と連れ立ってやってくる子など様々だ。八坂くんが一言「ありがとう」と微笑むだけで、泣き崩れてしまうような子を慰めながらも、何とか今年のバレンタインも山を乗り越えた。
一通りの受け取りが済んで、八坂くんと片づけをする。
今年は数も一段と多い。
何しろ台車二台分ほどの荷物がある。車まで運んであげなければ大変だろう。帰りの準備をして、マネージャーさんが待機している車まで二人で台車を押していく。私のもらったチョコレートも結構量があったから台車が使えて助かった。
途中で氷川くんとすれ違う。腕には高級そうな紙袋がたくさんぶら下がっていて、深刻な顔をした女の子に場所を変えようと促されているところだった。
「おい、晏司! もう帰るのか!」
「和親、頑張って~!」
八坂くんが他人事のようにヒラヒラと手を振る。
「姫奈子さん!」
切羽詰まったような顔で、こちらを見るけれどさすがに今日は助け船を出せそうもない。
高校最後のバレンタインで、プロムの相手を申し込む絶好のチャンスだ。ここで邪魔したら、たくさんの女子たちにどんな恨みを買うかわからない。
それに氷川くんは自分から告白できないようだから、本命ちゃんから声がかかるのを待っていたほうがいいと思う。
「お先に失礼いたします」
ペコリとお辞儀をしてから台車を押して逃げるようにしてその場を去った。巻き込まれるのはごめんである。
車寄せまで荷物を運び、待機していた車にマネージャーさんと三人で荷物をのせ台車を片付ける。そのあと、車まで八坂くんを送る。今日一人で歩かせるのは学内マネージャーとして不安だからだ。
やっと一息付けたことで、八坂くんが笑った。
「お礼に家まで送るね。今までお疲れさまってことで」
八坂くんの声と同時に、マネージャーさんが後部座席のドアを開けた。
「いえ、でも」
「はいはいはいはい、早く入って目立つから」
八坂くんに車内に押し込まれて、仕方なく車に乗り込んだ。
こんなに忙しいバレンタイン行事も今年で最後かと思うと少ししんみりした。
後部座席の窓から道行くカップルを眺める。 おしゃれな街並みを腕を組んで歩いていく幸せそうな恋人たち。二人だけの世界にスポットライトが当たっているかのように輝いて見える。
正直に言えばうらやましい。事前にチョコレートを渡せたとしても、やっぱり今日は特別でできれば今日、綱に会いたかった。
小さくため息をつく。自業自得だとわかっていても、生駒にバレてさえいなければ、そう思ってしまう。
「どうしたの? ちょっと元気ない?」
八坂くんの優しい声と、車の中の音楽が混じる。雰囲気のいい洋楽は私には聞きなれない曲だけど、リラックスできる八坂くんらしくやわらかい曲だ。
「ちょっと僻みっぽい感じが出ちゃってたかしら?」
「僻みっぽい気はしないけど。姫奈ちゃんでも僻んだりするの?」
八坂くんが不思議そうな顔を向ける。
「ちょっとうらやましかったりするのよ」
「うらやましいの?」
「もー、うらやましいわ! バレンタインですもの。私だって人のお世話なんかしてないで、彼氏とラブラブしたいですぅ」
口をとがらせ不満を言う。八坂くんの受付だとか、綱あてのチョコレートの回収だとか、恋人たちが愛を語らう日に私はいったい何をやっているのだろう。
八坂くんは私の見ていた窓の奥に目を向けて、小さく笑う。
「そうだね。それは僕もわかる」
余裕綽々にそういうから思わずジト目で睨んでしまう。
「そんな姫奈ちゃんを僕がお誘いします」
「お断りします」
即答すれば、八坂くんは肩をすくめた。
「即答はひどくない? 僕、けっこう人気モデルなんだけど?」
「知ってます。大人気モデルです」
「格好いいでしょ?」
「かっこいいですよ!」
半ば切れ気味に答えれば、運転席でマネージャさんが噴き出した。
「もう! 姫奈ちゃん、断ったら絶対後悔するよ。来週末グランドオープンの商業ビル、今日マスコミあてにレセプションするんだよ。それで、明日からプレオープンなんだけど。レセプションの招待状持ってるんだ」
「え!? あの六本木のですか!?」
「そう。一人だけ同伴可能です」
人差し指と中指に招待状らしきカードをはさんで、八坂くんが一振りした。
私は思わずゴクリと唾をのんだ。
何でもないことのように八坂くんが言うけれど、お父様も出店を考えていた商業施設だ。もろもろ折り合いがつかず、今回はあきらめざるを得なかった場所である。オープン前から話題沸騰で、きっとオープン後はゆっくりと見て回るなんてことはできないだろう。
行きたい。行ってみたい。とてもとっても行ってみたい。
八坂くんは私の表情を見ていたずらが成功したかのように笑った。
「決まりだね」
「え、でも、私なんかが行っていいんですか?」
「私なんかってまだ言ってるの? 飲食店の経営者なら見ておきたいでしょ?」
「で、で、でも、制服ですし」
「そっか、とりあえず、いったん父のアトリエに回って、マネ君」
「はい。白山様にも連絡しておきます」
「おねがい」
八坂くんとマネージャーさんの間でどんどん話が進んでしまう。
「商業施設の近くに父の店があるから、そこで着替えていこう? 制服じゃさすがに無理だし」
「でも、」
「家に帰る時間がもったいないから」
あれよあれよという間に八坂くんのお父様のお店についた。表はショップで、奥の部屋はお父様のアトリエ兼事務所になっているらしかった。そこで八坂くんもデザインの勉強をしているのだ。
初めて見る八坂くんのお父様は、絶世の美中年だった。そんな言葉があるかはわからないが、そうとしか言いようがない。八坂くんやエレナ様と同じ、ミルクティー色の髪は白髪交じりで少し明るく感じるが、同じように波打っていて、優しげな瞳までも同じである。
元貴族、元モデルのデザイナーって、属性が強すぎる!!
「君が晏司のミューズだね!」
ニコニコ笑顔を向けられて、思わず眩しくてふら付いてしまう。
「そう、僕のミューズ、白山姫奈子さん」
シレっと八坂くんは紹介した。
「初めまして、あの、ミューズじゃないんですけど、白山姫奈子です」
恥ずかしくて居たたまれない。
ふふっ、と八坂くんのお父様は静かに笑った。
「さぁ、姫奈ちゃん、これに着替えて。僕の新作の試作品」
八坂くんから黒いパンツスーツを押し付けられる。スッキリとしたシンプルな形だが、女性らしいラインがきれいだ。ハイヒールを履けば、去年のクリスマスのエレナ様みたいで気分も上がる。メンズライクなシャツに、首元には細い深紅のリボンを結ぶ。そこだけがバレンタイン仕様である。
「素敵! エレナ様になれたみたい!! これ、買い取らせて?」
思わず興奮して食いつけば、八坂くんが照れたように笑う。
八坂くんも同じく黒いスーツに赤いリボンだ。
「そんなに気に入った? プロトタイプだからあげるよ」
「だめ! ちゃんとお金を払わせて!」
「はいはい、じゃ後で外商の請求書に入れておくから。とりあえず今はサイズ感見せて?」
八坂くんは苦笑いしながら、私の後ろに回る。
「うーん、姫奈ちゃん、ちょっとやせた?」
そう言いながらジャケットのウエスト部分を摘まんで、内側から安全ピンで止める。一見しただけでは、もともとあったタックのように見える。
綱が家を出てしまってから、少しだけ痩せてしまったのを八坂くんには気が付かれてしまった。綱がいないと朝ごはんもお昼ご飯もおやつも夕食も、味気なく感じてしまうから仕方がない。
「ちょっとだけよ? でも、こうするとわからないのね」
「うん。意外にね。たくさん着替える撮影の時はサイズが大きい服を着たりすることもあるから、綺麗に見えるように洗濯ばさみで止めたりね」
撮影の裏話を聞いて思わず笑う。
「だから、雑誌で見て綺麗だと思った洋服も、実際着ると感じが違ったりってあるんですね」
「まぁ。どんな服もサイズが合ってないと格好よく見えないっていうのはあるね」
「でも、あんなかっこいい晏司くんの背中に洗濯ばさみって、ちょっとおかしい」
「水面下ではけっこうあがいてたりするんだよ」
そう言って、前髪をリーゼント風に大きくポンパドールに膨らませ、後ろ髪をポニーテールに結ぶ。八坂くんも同じく髪をリーゼントに整えた。最後におそろいの赤いプラスティックフレームの伊達眼鏡を渡された。
「ほら、前に姫奈ちゃんがアンチプロムするって言ってたから、ちょっと思いついちゃったんだ。どう? 赤い糸で結ぶエージェントみたいでしょ?」
「そうですね」
付き合っていると誤解されないよう、コスプレ風にしたのだろう。コスプレならおそろいでも、友達にしか見えない。八坂くんは色々なことが良く見えているのだ。







