24.初めての期末テスト
夏休み明け、いつものクラスに登校する。明香ちゃんは私を見て開口一番、焼けたわね、と笑った。日焼け対策はしていたつもりだけれど、それでも少し焼けてしまったらしい。健康的でいい、そう言ってくれたのは一条くんだった。
芙蓉学院の中等部は二学期制だ。夏休み前に期末テストはない代わりに、9月に前期の期末テストが行われる。夏休みでうっかり頭から抜け落ちてしまったのにツライところだ。
しかも、始業式翌日に漢字100問受かるまでテストがあった。もちろん予告はされていたが、私は結局三回受けた。
「休み明けからこれって、なかなかハードよね」
グッタリとしてぼやけば、明香ちゃんは笑った。
「私は逆に夏休みがあって助かったけど?」
一発で合格したできる女は言うことが違う。ただし、一発合格したのはクラスでも三人だけで、三回チャレンジ組は平均よりちょっといいくらいだ。七回目でまだ不合格の人もいるらしい。
「……おさすがですわね」
思わず他人行儀になって呟けば、明香ちゃんは噴き出した。
「期末テストの勉強は生駒君が見てくれるの?」
「ええ、わからないところだけね」
「図書館? 芙蓉館を使えばいいのに」
「いいえ、家よ」
「ああ、幼馴染ですもんね」
「そう、幼馴染だから」
答えれば、明香ちゃんがニコニコと笑った。
「いいなぁ……私もそういう人欲しいわ」
「幼等部から一緒の方、学院にいるでしょう?」
「いるけれど、そういう方はいないわ」
「そうなの? 初等部でも芙蓉会だったのでしょう?」
「小さいころから知っている男子はいるけれど、そうじゃないのよねぇ」
「それが幼馴染でしょ?」
「まぁ……そうだけど」
明香ちゃんは、苦笑いした。
? なんか変だったか? ん? もしかして?
「さやちゃん、綱と一緒に勉強したい? だったら、芙蓉館でするように言ってみるわよ?」
「……なんでそうなるのよ~?」
明香ちゃんは机に突っ伏した。
「え? 違うの?」
行間を読む会話、難しい。
そんな話をワイワイとしているとホームルームになって、そのまま下校となった。
家に帰って、自分の部屋で勉強を始める。中等部入試のためについていた家庭教師はお受験専用だったので、現在は家庭教師が付いていない状態だ。もちろん、受験結果が出た時点で辞めたいと言ったのは前世の私である。
中一の今、私の成績は中の中くらいと言ったところだろうか。
芙蓉学院の中等部は、一クラス大体三十五人の編成で、F・U・Y・Oの四クラス、一学年一四〇人程度だ。内初等部からの持ち上がりは百人くらい。ちなみに高等部になると、クラスがさらに四クラス増え、外部生が半数以上になる。
140人中五十位以内は、外部生と芙蓉会がほとんどを占める。前世の私もこの時点では、ギリギリ五十位くらいに入っていた。それからどんどんサボっていき、最終的には留年組になるのだけれど、そうならないためにも頑張らなくてはいけない。
プリントをやりながら、わからないところにぶつかる。仕方がないので、綱の部屋に向かう。教えてもらうためだ。しかし、今日だけで何往復目なのだろう。
メンドクサイなぁ……。
綱の離れまでは、二階の自室から屋敷の真ん中の階段で一階へ下りて、端の渡り廊下を渡っていかなければならないのだ。
それくらい歩けよ? まあ確かにそうだけど、回数重なると時間の無駄に思える。
「よし!」
私はペンケースと教科書をもって綱の部屋に向かった。
綱の部屋は、昔おじい様が使っていた離れだ。平屋の日本家屋で、キッチン・バス・トイレが付いている。居間と、寝室が二つあり、居間には掘りごたつがあるのだ。
居間から見える庭にはお稲荷様が祭られていて、私は毎朝毎夕お参りするのをかかさないでいた。それは、亡くなったおじい様との約束だったからだ。私はおじい様が大好きで、お参りの帰りにはおじい様の膝に乗って、水あめだったり氷飴だったりを舐めるのが好きだった。それが目的でお参りしていた節がある。
五歳の年に亡くなってしまったのだけれど、お参りの習慣だけはいまだに続いているのだ。
綱の部屋はなんだか懐かしい匂いがする。居間に置かれた小さな仏壇に備えられた白檀の香り。仏壇の大きさとそこにいる人は変わったけれど、香りはおじい様がいたころと変わらない。安心するのだ。
綱は居間で勉強をしていた。アレだけできるのに何の勉強をしているのだろうと思ってみれば、テスト勉強じゃなくて予習だったから引く。し、ムカつく。
ただ教わる立場なので、あまり攻撃的なことは言えない。
それ以前に性格ブスを治さないと、あの庭に鎮座するドSの神様が目を光らせているから怖い怖い。あの神様なら、うっかり最下位に落としてくれそうだ。
「ねぇ、ここがわからないんだけど」
綱の前にプリントを広げて声をかければ、綱はめんどくさそうな顔で私を見た。
「またですか?」
そんなに嫌な顔しなくてもいいじゃないか。自分はテスト勉強しているわけじゃないんだし、高等部時代はそれこそ耳にタコができるくらい勉強しろって言ってたくせに!
その私が自主的に勉強してるんだぞ! 褒めてくれたって良いじゃないか!
「ねぇ、思ったんだけど、私ここで勉強したらダメかしら?」
もうさすがに私だって面倒なのだ。移動時間も勿体ない。
綱は嫌そうな顔をした。まぁ、たしかに嫌かもしれない。
「だったら、綱も私の家のダイニングで一緒に勉強なさいよ」
家庭教師が来ていた時はダイニングで勉強していたのだ。
そう提案してみれば、綱は、はぁぁぁぁ、と大きくこれ見よがしにため息をついた。
「違うでしょう? お嬢様。私と一緒に勉強したいなら、まずは何と言うべきですか」
綱が怒っているのは勉強する場所ではないらしい。私の態度が不満なのだ。
解っている。わかっているけど、綱に頭を下げるのがなんとなくカッコ悪い、そう感じてしまう。なんというか、屈辱的?なのだ。
「~~!」
だからといって、人にものをお願いするのに当然とした態度はいけない。少なくとも綱は私の使用人ではないのだ。
でもだけど。今までの付き合いもあるから急に素直になんてなれない。
「綱、私に勉強を教えなさいよ」
そう言えば、綱は鼻で笑った。
何も言わないがやり直し、そう言うことだろう。
意地悪だ! 意地悪だ!!
「ねぇ、勉強を……教えて?」
今の私にとっては最大の譲歩だ。これで許してもらえなかったら……、恐る恐る綱を伺えば、ニッコリと笑った
そして、こたつの上に広がったノート類を寄せて、正方形のこたつの綱の右側の一角を開けてくれた。
「どうぞ」
ホッとしてそこへ滑り込む。綱の爪先に私の足先が当たった。
「もっとそっちよってよ」
「お嬢様こそ遠慮を知らないんですか」
「なんで私が綱に遠慮をするのよ」
憮然として言い放てば、綱は小さく笑う。
「どこですか?」
プリントを覗き込むからわからないところを指差す。
ああ、これは、なんて綱が言って優しく教えてくれるのは始めのうちだけだ。
繰り返し聞いていけば、綱の目線がキツくなる。
「だから、何度言えばわかるんですか! 数字が変わっただけです、惑わされない」
「だって!」
「だってじゃありません」
スパコンと丸めたノートが、私の頭で軽やかに鳴る。
「痛い!」
「空っぽだと良い音がします」
綱がシレッと答える。
「まだまだ中身が入りそうですよ」
「鬼! 綱の鬼!!」
批難すればギロリと睨まれて、身をすくめる。
こんなスパルタだと知ったら、さやちゃんだって羨ましがらないと思う。
「ふーんだ、綱がこんなに酷いってクラスでバラしてやる」
「……良いですよ」
無表情で綱が答える。
「良いの?」
「良いですよ」
「モテなくなっても知らないわよ」
「……下らないこと言ってないで、手を動かす!」
もう一度、スパコンと叩かれた。
「今ので脳細胞が死んだわ! 綱のせいだわ!」
綱は思いっきり呆れたように溜め息をついた。
「集中力が切れてますね。お茶をいれましょう。その間に二問は自力で解いてくださいよ」
綱は立ち上がった。
キッチンに歩いていく。私はしぶしぶ問題を進める。
あー、手が疲れる。頭に入らない。
内心悪態をつきながら、それでも頑張って問題を解く。
綱は香りのよいほうじ茶を入れてくれた。お茶菓子には杏のお菓子だ。コロコロと口の中で転がして、杏をくるんだ砂糖をゆっくりと解く。柔らかな杏のペーストに歯を入れれば、ドライフルーツの深い甘みが染み出してくる。
「美味しい」
しみじみと糖分が行き渡るのを感じる。ボーとなった頭に、杏の甘酸っぱさが効いてくる。
私がお菓子を味わっていると、綱は私のプリントを確認していた。一人で解いた二問に盛大な赤丸をつけてくれる。
「やればできるじゃないですか」
自分のことのように満足げに笑うから、その笑顔がなんだか眩しかった。
迷惑をかけられているというのに、こんな風に笑えるなんて綱はすごいと思う。詩歌ちゃんは生粋のお嬢様で、だから余裕があってそもそも私と違うから性格がいいんだ、なんて思っていたけれど、綱は違う。
普通の男の子で、パパは仕事で留守がちだし、ママだっていないのに、どうしてこんなに人に優しくできるんだろう。
逆に私は恵まれてるのに、どうして優しくできないんだろう。
「綱はすごいわね」
思わずこぼせば、綱がぱちくりと瞬きをした。
「お疲れですか? でもこのプリントだけは仕上げましょう」
「……スパルタ……」
「な・ん・で・す・か?」
綱がにっこりと、それはそれはやさーしく微笑んだ。
「イイエ、ナンデモアリマセン」
私は片言で答えて、プリントに目を落とした。







