175.恐怖の招待状
十二月に行われた淡島先輩と葵先輩、氷川くんの選挙戦は二・三年生が主体となり、私たちはポスター作りや挨拶周りに付き合ったくらいだった。八坂くんは立派な客寄せパンダである。
三人は選挙戦をつつがなく勝ち抜いて、前世の通りに淡島先輩は会長、葵先輩と氷川くんは副会長になった。
明香ちゃんは書記に指名され、会計は先輩だ。三峯くんと八坂くんは庶務だが、八坂くんは名前だけらしい。相変わらず特別だ。三峯くんはこれによって自動的に芙蓉会入りしたことになる。庶務にはほかに先輩たちが二人いる。
校友会の部長・副部長は推薦形式のため、私たちが推薦し二階堂くんは運動部副部長、詩歌ちゃんは文化部副部長に承認された。
詩歌ちゃんは文化部の副部長だったんだと、今更ながらに生徒会室にいたことに納得した。もしかしたら三年時は生徒会役員だったのかもしれない。
二階堂くんは淡島先輩に「二年時の働き次第で三年時は庶務だ」と言われて身体をこわばらせていた。無事に三年で庶務になれれば、晴れて芙蓉会入りだ。紫ちゃんとの仲にも障害がなくなる。「気合い入れて働きなさいよ!」と背中を叩けば、照れたように笑って「絶対頑張る!」と言っていた。良きかな良きかな。
紫ちゃんと私と綱は各種委員会の副委員長になるように言われているが、それは来年の春に決まることになる。
三人で一緒なら副委員長もいいかな、なんて少し思った。
さて、ここは白山家のリビングである。
私に対峙するのはお母さま。手元にあるのは黒い招待状。見てはいけない、目が泳ぐ。
あの、氷川家の赤い招待状より恐ろしい招待状がこの世にあるとは知らなかった。
お母様は、それはそれは浮かれている。浮かれまくっている。
「まさか、デビュタントの招待状が来るなんて思っていなかったわ!」
そう、そのまさか。ヨーロッパ社交界の入り口、デビュタントの招待状が届いたのだ。胃が痛い。
「は、お母様、これ、わたし、欠席」
「なにを言っているの? 姫奈子ちゃん?」
「だって、学校もあるし」
「大丈夫よ。当日は春休みよ」
「だって、ワルツなんて踊れないし」
「八坂様が特別レッスンしてくれるそうよ?」
「え、なんで八坂様がご存じなの?」
「だって、八坂様の推薦ですもの!」
……やっぱり厄災の八坂晏司め!!
私は招待状を持ったままグズグズと座り込んだ。泣きたい。
「あら、姫奈子。はしたないわ」
「お母様、無理です! 無理です! 絶対無理です!!」
「姫奈子のボールガウン、可愛いでしょうねぇ? 楽しみね?」
「い、いいえ! だから、私無理です!! 社交ダンスなんて無理です!!」
「大丈夫よ。レッスンすれば姫奈子ならできるわ! それに詩歌ちゃんも一緒よ」
「うーちゃんも?」
「ええ、氷川くんも」
「氷川くんも……」
「もちろん八坂くんとね。今年、日本からはその四人よ。光栄ね? 姫奈子」
そうだった。前世では、氷川くんと詩歌ちゃんがデビュタントへ行くと聞いて怒り狂ったのを覚えている。婚約者の私を差し置いてどういうことだ、そう思ったのだ。八坂くんも行っていたのか。まったく興味がなかった。
「それならなおさらおかしいでしょ!! 氷川くんと詩歌ちゃんはお家柄もいいし、八坂くんはそもそもイタリア貴族の流れをくむからわかるけど、うちは成り上がりだわ。絶対絶対恥をかくわ!」
「そうよ、だから早めにレッスンしないとね?」
「だから、家名を汚す前にお断りしたほうが」
「姫奈子ちゃん? レッスンに行くのよ?」
「お母様」
「いい? どこの家でも初めは初代だし、三代目は三代目なの。氷川くんのお家も初代の時があったのよ?」
いや、そうだけど。そうじゃない。
「でも、お母様……」
「ひ・な・こ・ちゃん? ここで断ったら白山家に次のチャンスはないわ。彰仁も、ということよ? わかるわね?」
「……はい……、お母様……」
彰仁を持ち出されたら、私には抵抗のすべはないのだ。
やって来ました。八坂夫人の恐怖のスタジオ。生きたまま落ちる地獄である。詩歌ちゃんと氷川くん、もちろん八坂くんもいた。
憂鬱な私に比べ、詩歌ちゃんはとても楽しそうだ。
「子供のころから楽しみにしてきたの!」
そうか、詩歌ちゃんは子供の頃から出ることが決まっていたのだ。
「え、じゃあ、踊れる?」
「ええ、一通りは」
「もしかして初心者私だけ?」
見回せば、みんな静かに頷く。社交ダンスなんて踊れるのは明らかに少数派のはずなのに!
「うそ……」
「練習にはいくらでも付き合うよ。お姫様」
八坂くんがニッコリ笑うが、恐怖でしかない。
「晏司は忙しいから、俺も付き合おう」
氷川くんも親切に申し出てくれるが、そんなに練習したくない。そもそも氷川くんだって暇じゃないと思う。
「頑張ろうね! 姫奈ちゃん! 一生に一度の舞台だもの。それに海外に友達が増えるかもしれないなんて素敵じゃない?」
ああ、詩歌ちゃんの笑顔が眩しい。何でも前向きにとらえられる、そういうところ見習いたいわ。そうね、それこそワールドワイドな美しさって訳ですね。
「はい、まずはハイヒールよ。慣れるまでできるだけお家で履いてね?」
ニッコリと笑う八坂夫人。ピンヒールの裏側が真っ赤に輝いていた。以前のウォーキングレッスンで履いたものと同じくらいだ。これを履いてダンスを踊る? うそでしょ? 三人組テクノユニットでもあるまいし!!
無理、無茶すぎる。まっすぐ歩くので精いっぱいだったのに!
「高くて転んでしまいそう……」
「これはまだ七センチ。最終的には十センチになるわよ」
これで終わりじゃなかったのか……。
とりあえず、引きつり笑いで美しいハイヒールを受け取った。
そこからは、例にもれず地獄である。ハイヒールに慣れていない足は靴ずれするし、ベッドに横になれば脹脛が攣った。使い慣れていない内腿なんかは筋肉痛で、意外に背中の筋肉も痛い。
社交ダンス初心者の私は、ひたすら基本のステップを習う。左回りのワルツと右回りのワルツ。ポルカとカドリール。カドリールは四人一組の踊りだから、ちょうど四人で練習できるのは良かった。
レッスンがない日は、八坂くんと氷川くんが親切にも芙蓉館で練習に付き合ってくれる。そう、小さな親切大きなお世話と言いたいくらいには、付き合ってくれる。
しかも家に帰れば帰ったで綱までもが練習に付き合ってくれるのだ。家のリビングで、彰仁に手拍子を打たれながらのスパルタである。っていうか、なんで綱の方が上手いの。私に合わせてステップを覚えはじめたはずなのに。
これが三月の本番まで続くのかと思うと泣けてくる。
唯一、詩歌ちゃんと踊るポルカが私の癒しになった。







